さきちゃんとの会話(帳場・夜)
暖簾を下ろし、鍋の火も落ちた頃。
帳場の奥で、博之は帳面を広げたまま、佐紀を呼んだ。
「さきちゃん、ちょっとええか」
「はい」
さきは素直に座り、帳面をのぞく。
「弁当の数、よう出てるやろ」
「……はい。正直、想像以上です」
博之は一度、指で帳面を叩いた。
「それがな、ええ話でもあり、問題でもある」
佐紀は少し首をかしげる。
「弁当売りの子らや。あの子ら、雨の日もあるし、
月に十五日も売れたら上等、そのくらいのつもりでおった」
「……はい」
「せやのにや。今は、晴れの日やと毎日売れてしまう。
しかも数も出る」
佐紀は、少し間を置いて言った。
「……売り子の子たちが、上手だからではなく、ですか?」
博之は小さく笑った。
「そこや」
帳面を閉じ、ゆっくり言う。
「今売れてるのはな、
あの子らの口上や立ち回りやない。
わしの弁当の味と値段が釣り合ってて、うまいからや」
佐紀ははっとして、うなずいた。
「……確かに」
「売り子の腕で売れてるなら、儲けが出ても文句は言わん。
けど今は違う」
少し声を落とす。
「このままやと、下働きで年二両のさきちゃんより、
売り子の子の方が、はるかに銭を取ることになる」
さきは慌てて首を振る。
「私は……」
博之は手で制した。
「さきちゃん、お前の話もや」
佐紀を見る目が、少し柔らぐ。
「お前は下働きやが、仕入れも考え、
段取りも考え、わしが見落とすところを先に言う」
一拍置いて。「年二両は、安い」
さきは目を見開いた。
「……そんな」
「年三両にする」
即断だった。
「その代わり、この店の“仕組み”も一緒に考えてほしい」
さきは、深く頭を下げた。
「……ありがとうございます」
博之はうなずき、話を戻す。
「売り子の子らにはな、“夢”は残す。けど、“店を越える銭”は渡さん」
「……歩合を下げる、ということでしょうか」
「歩合を“功績”に変える」
博之は、静かに言った。
「売れた分は誇ってええ。けど、売れすぎた分は、店の力や」
佐紀は少し考え、言った。
「……なら、売り子の子たちには
『今日はよう売れたな』と胸を張れる分だけ、ですね」
「せや」
博之は立ち上がった。
「この店は、一人だけが抜ける場所やない。
皆が、ちょっとずつ上がる場所や」
さきは、はっきりとうなずいた。
「……わかりました。私なりに、形を考えてみます」
博之は、帳場の灯を落としながら言った。
「頼むわ、さきちゃん。この店は、もう“鍋屋”やない。商いや」




