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金の重さ、味の値段

店と呼ぶには、あまりにも小さかった。

表通りから一本外れた路地。

雨が降れば土がぬかるみ、晴れれば埃が舞う。

板を打ち付けただけの壁と、傾いた軒。

「ここだ」昨日の町人――名はまだ聞いていない――は、そう言って立ち止まった。

 博之は中を覗いた。鍋は一つ。包丁は古い。

 火口も、ろくなものじゃない。

「……飯は、出せますか」

「出せる」

 町人は即答した。

「派手なもんはいらん。腹に入って、明日も生きられる飯だ」

 博之は黙ってうなずいた。

 最初に渡されたのは、銭だった。

「これで、今日の分を仕入れてこい」

 掌に乗せられた銭を見て、博之は一瞬、眉を動かした。

「……少ないですね」

「そうだ」

 町人は、にやりともせず言った。

「だから考える」

 博之は、初めて自分が

金を使う側に立ったのだと気づいた。


 市場は、音と匂いで満ちていた。

 魚。

 野菜。

 豆。

 味噌。

 同じ大根でも、値が違う。

 同じ味噌でも、匂いが違う。

 博之は、銭を握りしめながら歩いた。

 安いものを選べば、量は増える。

 だが、味は落ちる。

 味を取れば、銭が足りない。

 主人の顔が、ふと浮かんだ。

 安く仕上げろ。

 味噌も具も、控えめに。

 博之は、首を振った。

 違う。

 そうじゃない。


 量を減らしてもいい。

 だが、味は落とさない。

 博之は、脂の少ない豚肉を選び、

 少し小ぶりだが香りのいい大根を取った。

 味噌は、少しだけ値の張るものを選ぶ。

 量は減らす。

 溶き方で、補えばいい。

 銭は、ぎりぎりだった。

「どうだ」

 店に戻ると、町人が聞いた。

「……足りるかどうかは、出してみないと」

 博之は答えた。

 鍋に火を入れ、具を放り込む。

 量は少ない。

 だが、匂いは立つ。

 最初の客は、近所の荷運びだった。

「高くはねえな」

「腹は、膨れるか?」

 博之は答えない。

 答えるのは、飯だ。

 男は無言で食い、椀を置いた。

「……また来る」

 それだけ言って、去った。

 町人は、その背中を見ていた。

「今の一杯、いくらだと思う」

 博之は、少し考えた。

「……銭の数より、

 明日また来るかどうか、ですね」

 町人は、何も言わなかった。

 ただ、頷いた。

 その仕草が、少しだけ

町人のものではないと、博之は思った。

 その日、帳面はつけなかった。

 だが博之は、はっきりと感じていた。

 金には、重さがある。

 安さには、理由がある。

 そして――

 味には、値段がある。

 それを、初めて自分の手で量った一日だった。

 夜、博之は鍋を洗いながら思った。

 料理場を追い出されたのは、

 終わりじゃなかった。

 ここからが、

 自分の料理の始まりだ。

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