細路地の商いを、三井はどう見るか
その日は、夕方の仕込みが一段落した頃だった。
ユキが先に店に入ってきて、博之に目配せをした。
続いて、見慣れぬ男が一人。
年は三十前後だろうか。背筋が伸びて、動きに無駄がない。
「三井の者です」
名乗りはそれだけだった。
博之は鍋の火を弱め、手を拭いてから男を見た。
品書きも値段も、今日は特に説明しない。
ユキが口を開く。
「この人、しばらくコマ使いとして出すわ。
仕込みと配膳、帳場の補助まで一通りできる」
博之は一瞬だけ考え、うなずいた。
「鍋は任せへんで」
男は即座に返した。
「承知しています。見るだけで十分です」
その返事を聞いて、博之は少しだけ安心した。
一息ついたところで、ユキが腰を下ろす。
「今日はもう一つ話がある」
博之は黙って湯呑みを出した。
「三井として、博之のこの店をどう見てるか、や」
少し間が空いた。
先に口を開いたのは、あの男ではなくユキだった。
「正直に言うとね」ユキは店内を見回した。
「高単価で、細路地で、最低限の人数で回す。この感じが小気味ええ」
博之は笑いもせず、黙って聞く。
「三井の商いは大きい。人も金も動く。せやけど――」
そこで一拍置いた。
「こういう商いは、できへん」
男が補足するように続ける。
「利益の最大化、再現性、拡張性。そういう軸で見ると、
この店は三井のやり方とは真逆です」
博之はそこで初めて口を挟んだ。
「ほな、なんでや」
ユキは少しだけ笑った。
「せやから、や」
「自分らの商いでは体験できへん。せやけど、
商いとしては確かに立っとる」
鍋から、ふつふつと音がする。
「それに」
ユキは続けた。
「こういう先は、いくらあってもおもろい」
博之は火を止めた。
男が少しだけ前に出る。
「ただし」
と前置きしてから、静かに言う。
「博之さんの店だけ、特別扱いするつもりはありません」
「和菓子屋もあります。着物屋もあります。細工師、茶屋、料理屋――
候補はいくらでも抱えています」
博之は、ようやく笑った。
「そらそうや」
「俺も、三井に拾われる気はあらへん」
一瞬、空気が張る。
ユキはその空気を楽しむように言った。
「せやから、ええんや」
「三井は見る側。博之はやる側」
「噛み合うときだけ、噛み合えばええ」
男は一礼した。
「明日から、使ってください」
博之は鍋を指差した。
「まずは、湯を沸かすとこからや」
男は即座に動いた。
その背中を見ながら、博之は思った。
――見られている。
――だが、縛られてはいない。
細路地の商いは、
まだ、自分の手の中にある。




