弁当の話 ――一文上げる理由
その日は、昼の山が一段落したあとやった。
鍋の火を落とし、帳面も閉じた頃。
のぶが、少し言いづらそうに口を開いた。
「博之さん」
「話、してもええですか」「ええで」
二人で、裏の小さな台に腰を下ろす。
のぶは、しばらく考えてから言った。
「弁当のことなんですけど」
「今、味噌田楽と茄子の煮浸しと
飯と漬物で三十文ですよね」
「せやな」「……これ」
「もうちょっと改良できませんか」
ヒロユキは、すぐには返さなかった。「理由は?」
のぶは、はっきり言った。「出来高です」
「弁当が自分の出来高になってるのに」
「自分、鍋を見るの土日だけです」
「鶏汁も豚汁も、まだ覚えてる途中で」
「それで給料もらいすぎてる気がして」
ヒロユキは、少し驚いた顔をした。
「真面目やな」「いや」「気になるんです」
「商売として」「せやから」
のぶは続けた。
「単価、上げられへんかなと」
ヒロユキは、少し考えてから言った。
「一番手っ取り早いんは」「出汁巻きやな」
のぶの目が、少し動く。
「卵、足すだけで見た目も腹持ちも変わる」
「ただ」ヒロユキは、指を一本立てた。
「普通の出汁巻きやとおもろない」
「色どり欲しいな」
「中に刻み生姜、入れるとか」
のぶは、すぐに乗った。
「ネギも刻みましょか」
「生姜とネギ、一緒に巻く」
「上から醤油、ちょろっと」
ヒロユキは、首を振った。
「それやと」「せっかくの卵の色、潰れる」
「見た目、大事や」
少し考えてから言う。
「味は卵に先に入れて醤油も混ぜるか」「もしくは」
「大根おろし、横に添える」
「そこに醤油染み込ませる」
「白と黄色と醤油の感じが出る」
のぶは、弁当を想像して小さく頷いた。
博之は、続けた。
「卵は、腹に来る」
「見た目もええ」「ただ」
「弁当を五十文でどんと出すと」
「うちの鶏汁五十五文、豚汁七十五文とかぶる」
「そこ、気になるな」
のぶも、頷いた。「忙しいおっちゃんら、買うかどうか」
「ちょっと不安です」しばらく、二人とも黙った。
それから、博之が言った。
「ほな」「足すか」のぶが、顔を上げる。
「足す?」
「弁当は三十文のまま」「今まで通りや」
「で」指で空中に線を引く。
「別の箱、用意する」
「そこに出し巻き卵」「二十文」
のぶは、すぐに理解した。
「1つにするんやなくて」「追加、ですね」
「せや」「二つ買うたら五十文」
「一つやったら三十文」「選ばせる」
のぶは、小さく笑った。
「それやったら」「納得感、ありますね」
「腹減ってたら足す」「時間なかったら三十文」
博之は、頷いた。「値上げやない」「理由のある二十文や」
のぶが、続ける。
「数、どうします?」
「弁当、三十個」「卵は……半分で十五個くらい」
「最初はそれでええ」「売れたら次考える」
二人で、簡単に段取りを確認する。
出し巻き卵は、ただの卵やない。
刻み生姜とネギを少し巻き込む。
出汁の味は最初から入れる。
横には、大根おろしを少し添える。色を残す。
見た目も、腹も、理由になるように。
「大工のおっちゃんら、これ、好きそうですね」
のぶが言う。「せやな」「忙しい人ほど」「選べるのが助かる」
博之は、立ち上がった。「ほな」「明日、やってみよか」
「弁当三十」「卵十五」「売れた数が答えや」
のぶは、強く頷いた。
店に、卵を割る音が響き始める。
一文上げるために、理由を考えた。
上げずに、足すというやり方を選んだ。
その判断が合ってるかどうかは、明日わかる。
今日は、
それで十分やった。




