暖簾の内側 ――見に来る人
昼の波が、少し落ち着いた頃だった。
暖簾が、遠慮なくめくられる。
「おう、生きとるか」
その声で、博之はすぐ分かった。
「……おかげさまで」
「相変わらずやな」
入ってきたのは、
豪商の遠縁にあたる町人だった。
松坂から、
博之を引っ張ってきた人だ。
勝手知ったる、という顔で席に腰を下ろす。
「鶏汁、あるか」
「はい」
博之は、いつも通りに鍋に向かう。
「値、変わっとらんな」
「五十五文です」
「そうやな」
椀を受け取ると、
一口すすって、
すぐに言った。
「……落ち着いとる」
褒めでも、
評価でもない。
ただの確認だ。
男は、そのまま視線を動かす。
鍋。椀。
帳場。小間使い。
「人、増えたな」
「縁がありまして」
「ほう」
小間使いの男が、少し背を正す。
「この子か」
「はい」
「鍋は、まだか」
「鶏汁の火だけ、見せてます」
「そらそうや」
男は、あっさり言った。
「豚から触らせたら、
わからんままになる」
博之は、小さく笑った。
「弁当も出しとるやろ」
「三十文で、少しだけ」
「帳面、見せてみ」
博之は、帳面を差し出す。
男は、指でなぞるように目を通す。
「……減っとらん」
「増えとらん」
「ええとこや」
帳面を閉じて、小間使いを見る。
「お前」
「はい」
「弁当、お前が作っとるんか」
「はい」
「三十文で、腹は満ちるか」
「……はい」
「ほな、上等や」
それだけだった。
男は、銭を置く。
五十五文。きっちりだ。
「博之」
「はい」
「店はな」
「派手に増やすもんやない」
「減らさんように、人を置くもんや」
立ち上がり、
暖簾の前で振り返る。
「松坂で拾ったときより、顔がええな」
「余計な心配、せんでよさそうや」
そう言って、出ていった。
暖簾が戻る。
小間使いが、息を吐いた。
「……怖くなかったです」
「せやろ」
博之は、
鍋を見る。
「あの人はな」
「怒りに来る人やない」
「続くかどうかを、見に来るだけや」
夜。
鶏汁の火は、
一日、安定していた。
小間使いは、
昨日より、
具を見ていた。
沈み方。
泡の出方。
博之は、
まだ任せない。
だが――
もう、
横に立たせる理由は
できていた。
店は、
一人のもんやない。
そう言えるところまで、
来ていた。




