期待代金 ――鍋の外で教えること
値段じゃない。
博之は、それだけは分かっていた。
五十五文の鶏汁は、
今日も同じ数だけ出る。
真似した店は、もうない。
だが、店はまだ、一人分の厚みしかなかった。
駒使いの男は、よく動く。
水を汲む。薪を割る。椀を並べる。
鍋には、まだ立たせない。
だから――鍋の外を、
少しずつ広げることにした。
「一品、足す」博之は、
茄子を持った。
「煮びたしと、味噌田楽」
「今日は、お前がやれ」
出汁は、博之が引く。
味噌も、博之が作る。
切って、煮て、焼く。火を見るのは、男だ。
昼。鶏汁に添えて、小皿を出す。
「これ、ええな」
箸が止まらない。
夜。今度は、弁当を作った。
汁は、入れない。煮びたし。田楽。
漬物。白飯。「売るんですか」
「少しだけや」数は、十。
値は、三十文。昼の合間に、五つ出た。
夕方には、残りも消えた。
「……全部、出ました」
帳面を開く。三百文。
博之は、迷わず半分を分けた。
「これ、お前の分や」男が、
慌てて首を振る。
「……もらいすぎです」
「給金やない」
博之は、静かに言った。
男は、次の言葉を待っている。
「昔な」博之は、鍋を見たまま話した。
「俺は一度、料理場を追い出されとる」
男の呼吸が、わずかに止まる。
「行き場がなくてな」
「その時、声をかけてくれたんが
あんたの主人の遠縁の人やった」
「『あんたの飯がうまかった』
それだけで声をかけてくれた」
「店も、用意してくれた」
博之は、少し間を置いた。
「包丁も、鍋も、任せてくれた」
「せやけどな」
「銭のことについては、よう遠巻きに
見とってくれた」
「値段の付け方やとか、仕入れやとか」
「それが、ちゃんと回っとるかどうかを
黙って眺めとる人やった」
男は、黙って聞いている。
「俺は、そこに恩を感じとる」
「それでな」
「その方からあんたの主人を紹介してもろた」
「その縁で、今ここに店があって」
「その縁で、お前を受け入れとる」
博之は、男を見た。
「せやからな」
「これは、給金やない」
「俺がお前に期待しとる分の銭や」
「期待代金や」
男の表情が、少し引き締まる。
「次に、何か品物を作ることになったらな」
「原価がいくらか」
「それで、ちゃんと回るか」
「ちょっとでええから、考えてみてくれ」
「それをやってくれたら、
俺としてはそれで十分や」
男は、深く頭を下げた。




