博之とお高に子供ができたことが広がる。
博之とお高に子どもができたことは、ほどなくして三井本家にも伝わった。
顔には出せない。大旦那はそういう立場や。表立って祝いの席を設けることもない。
けれど、話を聞いたとき、顔は確かに緩んでいた。「男か女かは分からんが」
そう前置きしてから、「お高に子どもができたいうのは、めでたい」
と、短く言うた。家が一つ、増える。それだけで十分やった。
博之はその様子を伝え聞き、胸の奥で小さく息を吐いた。
派手な言葉はいらん。ただ、喜んでもらえた。それでええ。
一方で、博之自身は、少しずつ仕事のやり方を変え始めていた。
皆を集めて、はっきりと伝える。
「夕方の早い時間には、もう家に帰る」
一瞬、場が静かになる。文句が出るような空気やない。
ただ、意外やっただけや。
「店回りは、朝から昼、遅くても夕方までに終わらせる」
「朝はな、陳情とか、仕入れ先とか、そういう外の用事を片付ける」
「大きな店を出すか出さんか、そういう判断も、朝にやる」
夜は、家に戻る。それだけの話や。
代表代行の二人には、自然と負担が増える。
そのことも、博之は分かっていた。
「正直、迷惑はかける」
「けど、その分、頼るところは頼る」
「ただ働きはさせへん」誰も反対はせえへん。
博之が決めたことは、これまで全部、腹を括った上での判断やと知っている。
話が一段落したところで、博之はふと思いついたように言うた。
「子どもが生まれたらな」
「うちの店のやつらの家族向けに向けに、育児の寺小屋みたいなん、
作ろうかなと思てる」場がざわつく。「……博之さん」誰かが苦笑しながら言う。
「それ、気早すぎません?」博之は、首を振った。
「いや、でもな」言葉を選びながら続ける。
「自分とこの子ども育てるにしてもや」
「一人でやるより、周りと一緒にやった方が、効率ええと思うねん」
皆、黙って聞いている。
「それに、うちの子だけ特別扱いされるのも、正直、違和感ある」
「同じ場で、同じように育つ方が、ええやろ」
子どもを“囲う”発想やない。“混ぜる”発想や。
「身の回りの人間と一緒に育てる」
「それが、この町のやり方やろ」
そこまで言うと、誰かが肩をすくめた。
「……考えすぎですよ」別の者も頷く。
「親になると、皆そうなるんですわ」
博之は、少し照れたように笑った。
「かもしれんな」確かに、まだ何も始まってへん。
十月までは、時間もある。考えすぎかもしれん。
それでも、博之は思っていた。
店も、人も、町も、一人で抱え込むと歪む。
子どもも同じや。少し真面目な空気になりかけたところで、
博之はふっと口の端を緩めた。
「まぁ、あれやな」
皆が顔を上げる。
「子ども混ぜるいう発想と一緒でな」
「うちの店の味、ちっちゃい頃から覚えさせといたら
ええんちゃうかとも思うねん」一瞬、間。
「言うたら……洗脳みたいなもんやな」
次の瞬間、場が爆発した。
「ちょ、旦那様、それ言うたらあかんやつ!」
「洗脳て!」「一番あかん言葉選んでますやん!」
博之は笑いながら手を振る。
「ちゃうちゃう」「ええ意味のやつや」
さらに続ける。
「小さい頃からな、親子丼とか豚汁とか食うて育ったら」
「それ食わんと、なんか日常ちゃう感じになるやろ」
「今日もあれ食うてへんな……落ち着かへん、みたいな」
「そういう感覚、植え付けるわけや」
もう一度、どっと笑いが起きる。「怖いわ!」
「でも分からんでもない!」
「気づいたら帰省したら絶対食ってるやつや!」
誰かが言う。「それ、宗教ちゃいます?」
「ちゃうわ」博之は即座に突っ込む。
「食習慣や」のぶが腹を抱えている。
「いやぁ……博之さん、発想が商人すぎるわ」
「子ども相手にも商売するんすね」
「せや」博之は悪びれもせず言う。
「刷り込みは、早い方が効く」
お高が、呆れたように、でも笑いながら言う。
「……ほんま、この人」
「子どもできる前から、どこまで考えてんねん」
「考えすぎや言うたでしょ」誰かが言うと、
「せやな」博之は笑って頷いた。
「考えすぎや」でも、その顔はどこか楽しそうやった。
子どもを混ぜる。味を覚えさせる。
町に溶かす。冗談みたいな話の中に、
いつもの博之の本音が、ちゃんと混ざっていた。
場はまた笑いに戻り、
夜はそのまま、ゆるく更けていった。




