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四十杯の日 ――増やさないという選択

昼の鍋が、空になった。

 二十杯。

 いつもと同じ数だ。

 博之は、鍋を洗いながら思った。

 ――今日は、ここまでだな。

 そう考え、暖簾を一度下ろした。

 だが、夕方。

 暖簾の外で、足が止まる気配があった。

「もう終いか」

 声がする。

「今日は、鶏は出ねえのか」

 博之は、奥から顔を出した。

「……少しなら」

 そう答えてから、

 しまったと思った。

 火を入れ直す。

 残していた仕込みは、ぎりぎり。

 夕方だけで、十杯。

 さらに、その噂で――

 人が、途切れなくなった。

 結果。

 その日は、四十杯出た。

 昼の倍。

 博之は、帳面を見て息を吐いた。

 売上は、二千四百文ほど。

 原価と経費を引いても、

 千文近くが残る。

 ――回っている。

 だが、体は正直だった。

 腕が重い。

 火を見る目が、少し鈍る。

「……人を入れるか」

 ふと、そう考えた。

 洗い物。

 仕込み。

 呼び込み。

 一人では、限界が見え始めている。

 そのとき、

 あの男の言葉が浮かんだ。

手を、増やすな

 博之は、鍋を見た。

 二つだけ。

 どちらも、目が届く。

 これ以上増やしたら、

 味より先に、人を見ることになる。

 翌日。

 昼に二十杯。

 夕方に二十杯。

 同じ流れ。

 だが、博之は決めた。

 暖簾に、小さく書き足す。

昼・夕

なくなり次第、終い

 呼び込まない。引き延ばさない。

 出せる分だけ、出す。三日続いた。

 四十杯。

 四十杯。

 四十杯。

 増えない。

 だが、減らない。

 同じ顔が、昼にも夕にもいる。

「今日は、まだあるか」

 そう聞かれる。

 値段は、もう聞かれない。

 夕方、男が来た。

 今日は、豚を選ぶ。

 一口。

 黙って頷く。

「増やしたな」

 博之は、正直に答えた。

「時間を、です」

「人は?」

「増やしていません」

 男は、箸を止めた。

 博之の顔を見る。

 しばらく、何も言わない。

「いい」

 それだけ言った。

「四十杯で、止められるのは、

 強さだ」

 博之は、少し驚いた。

「普通は、ここで壊れる」

 男は、椀を置く。

「欲が先に立つ」

 立ち上がり、暖簾の前で言った。

「増やすのは、鍋じゃない」

 一拍置く。

「理解だ」

 そう言って、去っていった。

 博之は、帳面を閉じた。

 四十杯。

 これ以上は、まだ要らない。

 この店は、

 今の形で、回っている。

 それが分かった。

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