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引き継いだ店で豚の角煮丼屋を開く。場所がいいので高単価の80文。不安もあるが・・・

 借りた店の戸を開けたとき、博之は一度、何も置かれていない土間を見渡した。

 ええ場所や。人の流れ、光の入り方、暖簾が揺れたときに目に入る角度。

 ここを空けたまま終わらせるには、惜しすぎる。

 実はこの一連のやり取りの間、博之の頭の片隅には、ずっと同じ鍋が

 あった。豚の角煮や。割下を少し濃いめにし、火を弱め、時間だけをかける。

 箸を入れると、すっと切れるが、崩れはせえへん。脂は落ちすぎず、残りすぎず。

 重たいが、嫌な重さやないところまで、ようやく来ていた。

 もう一つは、温泉卵や。歓酒の隣、火を直接当てへん場所で、同じ湯を使い、

 じっくり温める。急がん。白身はぷるぷる、黄身は指で触ると揺れる程度。

 角煮の上に、温泉卵をぽんと乗せてみる。黒と白。

 それだけで、見栄えが整う。箸で卵を割る。黄身が流れて、角煮に絡む。

 一口食う。「……うまいな」濃さが、丸うなる。重たさが、受け止められる。

 角煮だけやと途中で箸が止まるが、卵が入ると、もう一口が自然に出る。

 居酒屋で出すと、反応は早かった。酒が進む。皿が早う空く。皆、同じことを言う。

「これ、丼にしたらええやん」博之は、借りた店を思い出した。

 場所がええ。せやけど、店代は高い。安売りはできへん。無理して下げたら、

 他の店にも迷惑がかかる。「八十文でいこ」親子丼が五十文。六十でも、七十でもない。

 八十文。高いと思うやつは、来んでええ。その代わり、来たやつには、ちゃんと納得させる。

 回し方は、親子丼と同じ。昼四十、夜四十。一日八十杯。鍋も、人も、それ以上は回さへん。

 開ける前日、博之は不安やった。角煮は重たい。丼で食うには、きついと思われるかもしれへん。

 八十文は、強気や。「まぁ……やれる一手や」自分にそう言い聞かせて、暖簾を出した。

 最初の客は、様子見や。値を見て、一瞬止まる。

 けど、隣の客が食うてる丼を見る。白と黒。湯気。卵が揺れる。

 一口、食う。箸が止まる。二口目が、すぐ来る。「……これ、ええな」

 昼過ぎには、外に人が並び始めた。派手な呼び込みはしてへん。

 ただ、並ぶ。行列ができる。夜も同じやった。

 居酒屋帰りの客が、腹は満ちているはずやのに、並ぶ。

「重たそうやと思ったけど、いけるな」「卵がええ仕事しとる」

 八十杯は、きっちり出た。それ以上は、出さん。

 暖簾を下ろすと、不満の声もあったが、博之は聞き流した。

 帳面を見る。数字は、立っている。無理はしてへん。

 他の店とも、ぶつかってへん。博之は、鍋を洗いながら思った。

 新しい一手いうのは、派手なもんやなくてええ。

 今まで積み上げたもんを、別の形にするだけでええ。

 親子丼の町に、もう一杯、理由が増えた。

 その夜、借りた店の前で、暖簾が静かに揺れていた。

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