店の衆が食べに行ってもつぶれる店はある。店を引き継ぐ
木札が町に溜まり始めてから、空気は一段、はっきりと分かれた。
札が置かれる店、置かれへん店。善し悪しやない。比べられた、という事実だけが残る。
博之の下の者が通い、うまいと言うた店には、自然と人が流れた。
札が十枚、二十枚と増える頃には、帳面の数字も動き出す。一方で、名前が挙がらなかった店は、
苦しくなる。文句は出る。恨み節も出る。「結局、博之の店が町を食うてるんやろ」
そう言われることもあった。せやけど、博之は言い返さへん。町のもんが食うて、
うまいと思ったもんに行く。それだけの話や。そのうえで、自分は千から千五百食を
外に出す仕組みまで作った。これ以上の言い訳は、逆にみっともない。
「うちも時代やな」そう呟いて暖簾を下ろす店も出てきた。
それは敗北やない。流れに身を任せる、ひとつの終わり方や。
そんな折、博之のもとに、一人の店主が訪ねてきた。長く町で飯屋をやってきた、
年配の男や。声は低く、背中は丸い。「もう、あかん」そう言うて、頭を下げた。
金を貸してくれという話やない。客を回してくれという話でもない。
「この店、畳む」ただ、それを伝えに来ただけやった。
博之は、店の場所を思い浮かべた。人の流れ、日当たり、路地の抜け。
――ええ場所や。「売る気はあるか」博之が聞くと、男は首を振った。
「売る気はない。ただ、終わらせたい」そこで、博之は別の提案を出した。
「貸してくれへんか」店はそのまま。暖簾も、看板も、残してええ。
中だけ使わせてほしい。「親子丼か、今考えてる新しい店を、ここでやらせてほしい」
男は、しばらく黙っていた。奪われる気はなかった。せやけど、引き継がれるなら、
話は別や。「……それなら、ええ」その日で、男の店は廃業になった。
売り払われたわけやない。借金で潰れたわけでもない。静かに、終わった。
町の者は、噂した。「あの場所、博之の店になるらしい」恨みの声も、少しはあった。
けど、多くはこう言うた。「まぁ……筋は通ったな」
博之は思う。全部を救うことはできへん。けど、終わり方は選べる。
食われて消えるか、形を残して渡すか。商いは残酷や。
せやけど、冷たくせんでも、前には進める。町は、少しずつ姿を変える。
それでも、路地は残る。暖簾も、匂いも、記憶も。
博之は、新しい鍋を据えながら、静かに思った。勝ち続けるいうのは、
奪い切らへんことや。次の時代に、場所を渡す。それもまた、商いの仕事や。




