博之の店の衆に町の旨い店に食いに行かせる。客を横取りしたお詫びを兼ねて
博之は、帳場で算盤を弾きながら、改めて人数を数えた。居酒屋、親子丼屋、豚汁屋、弁当、
仕込み、帳場。十軒を回して、だいたい五十人。五十人が動けば、飯も動く。一人三食。
三十日。五十人掛ければ、月に四千五百食や。この数字を見て、博之は思った。
――全部を自分の店で食わせる必要はない。むしろ、それをやったら町が痩せる。
そこで決めた。四千五百食のうち、千から千五百食は、外に出す。
一日一食は、必ず別の店で食え。下の者たちを集めて、そう言うた。
「値段は気にせんでええ。うまいと思った店に行け」「ただし、食うたら木札を置いてこい」
木札は、小さな札や。〈博之の店の者が食いました〉それだけ書いてある。名前も、
理由もいらん。最初は、戸惑う者もおった。「旦那様、毎日外で食うたら、金が……」
「そこは心配せんでええ。飯代は出す」博之は、即座に切った。
これは遊びやない。町と折り合いをつける、仕事や。木札は、少しずつ町に溜まり始めた。
天ぷら屋に三枚、鰻屋に五枚、蕎麦屋に七枚。煮物屋、寿司屋、古い酒場。
一枚は一食。十枚溜まれば、十食分。百枚溜まれば、百食分。
店主たちは、最初は半信半疑やった。せやけど、札が増えるにつれて、帳面が変わる。
平日の昼、ぽつりと入る一人客。暇な夜、埋まる一卓。
博之は、番頭と一緒に、改めて頭を下げに回った。
「商売で、客を取った」それは事実や。「せやから、千食分は、町に返す」
嘘は言わん。「この木札の分だけ、確実に行かせる」
木札は、約束の証や。口約束と違う。溜まった数が、そのまま実績になる。
恨み節を言うていた店主の声も、次第に変わった。
「まぁ……あの旦那、筋は通すな」そう言われるようになる。
それでも、全員が納得するわけやない。親子丼に客を取られた事実は消えへん。
けど、完全に奪われへんと分かっただけで、町は落ち着く。
博之は思う。商売は奪い合いや。せやけど、奪い切ったら、次は自分が孤立する。
四千五百食のうち、千から千五百食。それを町に流す。数字で折り合いをつける。
優しさやない。戦略や。鍋の火を見ながら、博之は静かに算盤を伏せた。
数字は嘘をつかん。けど、数字の使い方で、町の空気は変えられる。
勝ち続けるには、勝ち方を選ばなあかん。




