料理教室のあれこれと隣町に進出した親子丼の脅威
料理教室は、思った以上に早く町に溶けた。包丁の音が揃い、出汁の匂いが立ち、笑い声が混じる。
いい空気の回もある。誰も前に出過ぎず、話は料理に戻り、終わればそれぞれが礼を言って帰る。
――こういう場なら、続けられる。博之はそう思っていた。
だが、毎回そうはいかへん。距離が近すぎる男、冗談の皮を被った軽口、包丁を持つ女の手元より、
顔色ばかり見るやつ。最初は場の空気で流した。次は、さきちゃんが一言、線を引いた。
それでも懲りへんやつが出てくる。あまりにひどい男は、静かに呼び出して言う。
「次はない」理由は言わん。説明もしない。出禁や。ただ、博之の胸には、別の不安も残った。
排除し過ぎてええんか。あしらい方を覚える前に、全部外から切り落としてしまったら、
この子らは“場で生きる女”になれへんのやないか。守るのは簡単や。けど、守り切ると、弱くなる。
さきちゃんに限らず、女衆には、自分で距離を測り、自分で断る力も要る。それを奪ってへんか
――博之は、夜更けに一人、帳面を閉じながら考えた。
一方、親子丼屋の準備は、淡々と進んでいた。看板は小さく、暖簾は同じ色。器も、箸も、
今までと変えへん。変えるのは立地だけや。隣町の端。人は少ないが、昼と夕方、必ず腹を
空かせた人間が通る道。開店の日も、大げさなことはせえへん。祝い花も断り、口上もなし。
ただ、鍋を温め、卵を割り、丼を出す。それだけや。町の飯屋の反応は、割れた。
鈍い店は、最初から気にせえへん。「食いもんが違う」「どうせ一回で飽きる」
そう言って、昨日と同じ仕込みを続ける。だが、目の利く店は違った。
天ぷら屋、鰻屋――単価が高く、客の回転数で成り立つ店ほど、親子丼を警戒した。
一杯五十文。腹に溜まる。早い。これに客の“昼一回”“夜一回”を取られたら、月の帳面がズレる。
「毎日は行かんやろ」そう自分に言い聞かせながらも、何度も暖簾の外を見た。
蕎麦屋は、別の動きを見せた。出汁を嗅ぎ、割下を探り、麺つゆで親子丼ができんかと画策する。
蕎麦の余りで出せるなら、原価は下がる。丼一杯で客を止められるなら、勝負になる。
町は静かやが、水面下では思惑が交差していた。誰が敵で、誰が味方か、まだ決まってへん。
ただ一つ確かなのは、博之の店が「無視できん存在」になり始めたことや。
料理教室の場、親子丼の丼、町の視線。全部が、同時に重なり出す。
博之は鍋の前に立ち、火加減を見ながら思った。
人も、店も、町も――近づき過ぎたら、火傷する。離れ過ぎたら、冷える。




