見るところ ――同じ顔の数
暖簾が、静かに揺れた。
夕方の忙しさが一段落したころ、
年配の男が一人、店に入ってきた。
着物は地味だが、布がいい。
足運びに、無駄がない。
博之は、すぐに分かった。
あの男だ。
「どちらにしますか」
男は、鍋を一度見ただけで答えた。
「今日は、鶏にしよう」
「はい」
値段は聞かない。
博之は、黙って椀を差し出した。
一口。
男は、すぐには飲み込まなかった。
二口。
ゆっくり、息を吐く。
「軽いな」
「はい」
「だが、浅くない」
それだけ言って、椀を空にした。
五十五文を置く。
迷いがない。
「帳面、つけてるか」
唐突に、男が言った。
「はい」
「何杯出てる」
博之は、一瞬考え――
答えなかった。
男は、すぐに続ける。
「……いや」
指を一本立てる。
「同じ顔が、何人いる」
博之は、そこで初めて男を見た。
「……七人ほどです」
「毎日か」
「はい。二日続けて来る方もいます」
男は、ふうっと小さく息を吐いた。
「上出来だ」
博之は、驚いた顔をした。
「二十杯出る店は、山ほどある」
男は、低い声で言う。
「だがな、同じ顔が七人いる店は、少ない」
博之は、黙って聞いた。
「値段で集めた客は、値段で消える」
「……はい」
「味で集めた客は、
理由をつけて戻ってくる」
男は、椀を指で軽く叩いた。
「この鶏は、理由になる」
しばらく沈黙が落ちた。
男は、通りを一瞥する。
「数は、増やすな」
博之は、思わず聞き返した。
「……増やさない、ですか」
「ああ」
「増えるのは、向こうからだ」
男は、そう言った。
「名を聞いていなかったな」
「博之です」
「そうか」
男は、立ち上がる。
「俺は、人を見るのが好きでな」
博之は、言葉を選んだ。
「……今日は、いかがでしたか」
男は、少しだけ笑った。
「まだ、飼わない」
だが、その目は楽しそうだった。
「だが、見てる」
男は、暖簾をくぐる前に振り返った。
「鍋は、増やしたな」
「はい」
「次は――」
一拍置く。
「手を、増やすな」
博之は、深く頷いた。
暖簾が戻る。
博之は、帳面を閉じた。
今日の杯数は、
いつもと変わらない。
だが――
見る目が、席に座った。
それだけで、
今日は十分だった。




