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お高に有馬温泉に新婚旅行に行く話を相談する

 

 その夜、店を閉めたあと、二人は帳場の奥に並んで座った。

 昼間の熱が、まだ床に残っている。燗酒の湯は落とされ、鍋も静まり返っている。

 外はもう暗い。「さっきな」博之が、ぽつりと口を開いた。

「ユキが来ててん」「うん、見えた」

「忙しそうで話しかけにくいって、言われたわ」

 お高は、少しだけ笑った。「それ、わかる気する」

「やっぱりか」「店に立ってるときの博之さん、

 いつもより背中に力入ってるもん」

 博之は、苦笑いした。

「走ってる時って、自分じゃ分からんねんな」

 少し間を置いて、続ける。

「それでな、新婚旅行、有馬にでも行ったらどうやって言われた」

「……ええやん」おたかは、即答した。

「実は、私もちょっと思ってた」

「ほんまに?」「うん。店が落ち着いた“今”やからこそ、やと思う」

 ひろゆきは、ゆっくり息を吐いた。

「それと、もう一つ聞かれた」「家族のこと?」

「せや」おたかは、黙って頷いた。逃げない。

「正直に言うわ」ひろゆきは、帳面を見つめながら言った。

「店の勢いが、自分の想像より、だいぶ早い」

「うん」「できるだけ、一つ一つ積み上げてきたつもりやねん」

 豚汁屋。親子丼屋。居酒屋。

「でもな、気づいたら、勝手に大きくなってきてる感じがして」

 言葉を選びながら、続ける。

「ユキに言われたわ。“どこまで行きたいんか”って」

 おたかは、ひろゆきの方を見た。

「博之さんは、どう思ってる?」「……正直」

 一拍置く。「無理に広げたいわけやない。

 でも、止める理由も、今はない」

「うん」「店を増やしたい、というより、

 積み上げた結果、増えるなら仕方ない、

 そんな感覚や」

 おたかは、少し考えてから言った。

「それ、博之さんらしい」

「そうか?」「うん。欲張ってないけど、

 手を抜かへん」そして、静かに続ける。

「子どものことも、同じなんちゃうかな」

 博之は、目を上げた。「どういうこと?」

「“今すぐ欲しい”でもないし、“絶対いらん”でもない」

 お高は、自分の胸に手を当てた。

「私も、この店がどう育つか見たいし、

 私たちがどうなるかも、ちゃんと感じたい」

 少し照れたように笑う。「焦って決めたくないだけ」

 ひろゆきは、深く頷いた。「それ聞けて、よかった」

「決めへん、って決断もあるで」「せやな」

 二人の間に、静かな沈黙が落ちる。

 外で、誰かの足音が遠ざかる。

「有馬、行こか」博之が、ぽつりと言った。

「一週間、店を任せて」「試しにもなるしね」

「うん。俺らがおらんでも回るかどうか」

 お高は、くすっと笑った。「回らんかったら、

 戻ってくればええ」「それも、そうやな」

 ひろゆきは、少し肩の力を抜いた。店の勢いは、まだある。

 でも、その中心には、ちゃんと“二人”がいる。

 それを確かめられた夜やった。ひろゆきは思った。

 大きくするかどうかは、走りながら決めなくていい。

 一度、湯に浸かってからでも、遅くない。

 おたかは、その横顔を見ながら、静かに微笑んでいた。

 この人となら、どんな形でも、ちゃんと話し合っていける。

 そう、確信しながら。

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