親子丼の完成。出汁の残りを居酒屋のつきだしにと考えてみる。
博之は、もう一度鍋を見た。
「……鰹と昆布、合わせたらどうやろ」
安い出汁ではあかん。せやけど、誰でも真似できるような味にもしたくない。
“出汁と卵とじ”は、形だけならすぐ盗まれる。
やからこそ、芯になるところで差をつける。
鰹節は薄削りのええやつ。昆布も、香りが立つ分だけを短く使う。
まずは澄んだ一番出汁をひく。
そこに、これまで使ってきた鶏の出汁を少し合わせる。
足し算やなく、重ねる感じや。
火にかけると、香りが一段深くなる。
卵を落とす前から、空気が違う。
「……これは、ええな」卵で閉じる。飯にのせる。
常連が、ひと口。「前より深いな」「これ、毎日いけるわ」
「うなぎほど高なったら困るけどな」
その一言で、店の空気が緩む。笑いが起きる。
博之は心の中で頷いた。狙い通りや。
高級でもない。安売りでもない。毎日食える“芯”。
誰かが言う。「これ、親子丼でええんちゃう?」
博之は一瞬、間を置いてから答えた。
「……せやな」卵と鶏。名前はもう、
決まっていたのかもしれへん。
ただし、すぐには出さん。この味は、
軽く出すもんやない。「お披露目は、もうちょい先や」
そう言って、鍋の火を落とす。
七軒目、八軒目が動き出し、
店も人も、次の段に上がりつつある。
その足元に置く一杯として――
この親子丼は、ちょうどええ。
博之は、静かにそう確信していた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
数日後、博之は、出汁殻を前にして手を止めた。
昆布も、鰹節も、今日のはええやつを使っている。
親子丼のためだけに、これを捨てるのは気が引けた。
「……もったいないな」独り言みたいに言うてから、すぐ動く。
昆布は細く刻み、鰹節は軽く絞ってまとめる。
そこに、親子丼用に仕込んだ鶏の端と、根菜を少し。
鍋に入れて、醤油、味醂、砂糖。分量は測らへん。
香りと色で決める。火にかけると、さっきまで澄んでいた出汁が、
今度は「肴の匂い」に変わる。
でも、甘くはせえへん。小鉢に盛って、夜に出す。
「これ、今日のあてな」客が箸を伸ばす。
「出汁の味、残ってるな」
「これ、酒すすみそうな味や」博之は、内心で小さく笑う。
親子丼のために取った出汁が、そのまま居酒屋の肴になる。
無駄がない。――こういう積み重ねや。
新しい店を増やすより、派手な看板を出すより、
一杯の中身を太くする。その方が、長い。
博之は鍋を洗いながら、目標の居酒屋で出す景色を思い浮かべていた。
親子丼。出し殻の肴。出汁は、一本で何役もこなす。
「これでええ」そう呟いて、また次の仕込みに手を伸ばした。




