お高が三井の大旦那(お父さん)に報告に行く
その後。三井の屋敷の奥、朝の仕事が一段落した頃合いを見て、
お高はそっとっ三井の大旦那――父親のもとを訪ねた。
「お父さん」声を潜めて言う。「ちょっと、話がありまして」
大旦那は帳面から目を上げ、
その顔を見ただけで察したように鼻で笑った。
「なんや」「例の細路地の男の話か」
お高は一瞬だけ頷く。「ええ」「博之さんと……」
「結婚する運びになりそうです」
言葉を選びながら続ける。
「お披露目は」「居酒屋ができた時の開店の日に」
「二人で、結婚しましたって言うつもりです」
大旦那は黙って聞いていたが、やがて大きく息を吐いた。
「ほう」「ほな」「これでお前も、また嫁に出せたわけやな」
お高は少し苦笑する。「“また”言わんといてください」
大旦那は肩をすくめる。「戻ってくんな、言いたいとこやが」
「近所やしな」「遊びに来るんはええ」
「せやけど、出戻りになるような真似はするな」
前の結婚のことを、大旦那はあえて隠さず口にした。
「あの時は浮気や」「相手が悪かった」
「今度の男は」「女より仕事が好きな時期やろ」
「仕事に気持ちが入っとる男はな」「不義理はせえへん」
大旦那は、そこでユキの顔を思い出したように言う。
「ユキが連れてきた時から見とる」「あいつは、気持ちが入ったら逃げん」
お高は、その言葉を静かに受け止めた。
その日の昼過ぎ。大旦那は、三井の幹部たちを集め、
お高の縁談の話を正式に通した。
「娘のお高は」「細路地で店をやっとる博之と一緒になる」
すると、下の者の一人が口を挟む。
「しかし大旦那」「三井と、あんな細路地の店主では」
「名前が釣り合わんのではありませんか」
大旦那は、ちらりとその男を見る。
「釣り合わん、か」「ほな聞くが」
「細路地で、わずかな金から始めて」「二年で六軒」
「町の顔にまでなれるか?」
男は言葉に詰まる。大旦那は畳みかけた。
「あの店の利益率」「羽振りの良さ」「知っとるか」
「ただの豚汁屋が」「従業員に金払って」
「反物まで買いに行かせとる」
「しかも」「三井の小間使いを、ようけ受け入れとる店や」
「こっちはな」「面白いと思って、関わっとるんや」
「家格にどうかは知らん」「せやけど、やっていける男や」
そして、静かに言う。「そんなに言うなら」
「お前、そこからゼロで全部作ってみい」
その場は、しんと静まり返った。「……ほな」「決まりやな」
横断断の一言で、話は終わった。その後。
お高が戻ろうとすると、大旦那が呼び止めた。
「おい」「お前、まだ三十や」「子どももできるやろ」
「孫ができたら」「また顔見せに来い」
一拍置いて、にやりと笑う。
「で」「布団には、一緒に入れたんやろ」
タカは、思わず顔を赤らめた。
「……もう」「あんまり急かさんといてください」
大旦那は大きく笑った。「急かしとらん」「確認しとるだけや」
「順番なんぞ、どうでもええ」
「ちゃんと一緒におれるなら、それでええ」
そう言って、手を振る。お高は小さく頭を下げ、
屋敷を後にした。その背中を見ながら、大旦那は一人呟いた。
「面白い男を捕まえたな」細路地から始まった商いが、
いつの間にか、三井の屋敷の奥にまで話を運んできていた。
時代は、静かに動いていた。




