お高と三井の関係を憂う博之
博之とお高は、夜の仕込みが一段落したあと、店の奥で向かい合って座っていた。
昼の喧騒も、夜の立ち働きも終わり、ようやく二人の声がそのまま残る時間やった。
「なあ、お高」広雪が湯飲みを持ったまま言う。
「俺らのこと、いつ、どうやって言うかやけどな」
お高はすぐに顔を上げる。「うん。そこはちゃんと決めときたいですね」
博之は少し考えてから、言葉を選ぶように続けた。
「休憩所を一つ作ってな」「そのあとに、居酒屋を一軒やろう思てる」
お高は頷く。「前に言ってましたね。みんなが集まれる場所」
「せや」「その居酒屋の開店の日に」「結婚しました、って言うたらええんちゃうか思てな」
言い終わってから、少し照れたように笑う。
「商売の節目やし」「わざわざ別で大げさにやらんでもええ」
お高は、その言葉を聞いて、少し間を置いてから答えた。
「……私は、それでいいと思います」「むしろ」
「あんまり引っ張られる方が、落ち着きませんし」
そして、少しだけ真顔になる。
「ただ」「あんまり待たされるのは、嫌です」博之は苦笑した。
「やっぱり、そこは言われる思た」
「七軒目と八軒目を一気に出しましょう」
「その次に、九軒目と居酒屋」
お高の口調は、もう現場の相談そのものやった。
「その順番なら」「時間も、話も、ちゃんと筋が通ります」
博之は深く息を吐く。「よし」「それで行こか」
話が一段落したところで、博之はふと気になっていたことを口にした。
「……なあ」「三井との付き合い方やけど」お高は少し微笑んだ。
「聞きます?」「聞いとかんと、あとで困りそうや」お高は、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「ユキさんからは、前に“遠縁”って聞いてましたよね」
「せやな」「実は」「大旦那の娘です」
博之は、大旦那との初めてユキが連れてきたあの御大が
ユキを使う感じで察していたが納得した。「……本家か」
「はい」しばらく沈黙が落ちる。「ほんまやったら」
「逆玉って言われる話ですね」博之は、正直な気持ちを隠さず言った。
「俺、そういうの、あんまり好かんねん」
「楽になる感じがして」お高は頷く。
「わかってます」「だから、距離感は考えなあかんと思ってます」
そして、淡々と続ける。「うちのお父さんは、まだ元気ですし」
「今は、番頭さんも、親戚も、周りに人がようけいます」
「作法とか身分のことも」
「事情は、全部知ってます」
少し間を置いてから、正直に言う。
「ただ」「よく思わへん人が、出てくる可能性はあります」
「それは、覚悟しといてください」
博之は、ゆっくりと頷いた。
「せやな」「避けられん話や」
でも、その顔には逃げ腰はなかった。
「せやけど」「目の前のことを、ちゃんとやるだけや」
「七軒、八軒」「人を育てて、店を回して」「その先に、居酒屋」
タカは、その横顔を見て、静かに言った。
「それでいいと思います」
「急がんでええ」
「でも、逃げんのも違う」
二人は、しばらく黙って湯飲みを傾けた。
広雪の胸には、不安もあった。
三井の名が、自分の店に影を落とすかもしれんという怖さ。
けれど、それ以上に、今まで積み上げてきたものを、自分の足で守りたいという気持ちがあった。
「……やるか」小さく呟く。目の前のことを、必死に。
一軒ずつ。一人ずつ。そう決めた夜やった。




