博之から三井の大旦那へのお願い
博之は、その場に流れる空気を噛みしめながら思っていた。
一緒に暮らす――それはつまり、自分が三井の者と関係を持つ、ということになる。
どれだけ言葉を選ぼうが、そこだけは疑いようのない事実や。
(三井の匂いは、つく)布団を並べる以上、名前も縁も、切り離して考えることはできへん。
けれど同時に、博之には、どうしても譲れん線があった。
今の店は、まだ“自分の足”で立っている途中や。
親戚付き合いの延長みたいな形で三井に入ってしまえば、
途端に話が簡単になりすぎる。それは楽やけど、面白くない。
何より、これまで積み上げてきた匂いが変わってしまう。
博之は、正面から大旦那を見て言った。
「……一つ、お願いがあります」大旦那は、腕を組んだまま頷いた。
「聞こか」「三井とのお付き合いは、もう少し待たせてください」
お高が、ちらっと博之を見る。
「今、九軒やって一軒、真ん中に居酒屋を作る、それを中間の目標にしてます」
「そこまでやって、初めてちゃんと“お披露目”させてください」
「家族付き合いも、正式な看板も、それからでお願いしたいんです」
場が静まる。ユキは、博之の横でじっと聞いている。
「……ただ」博之は、そこで言葉を区切った。
「順番は、ちょっと逆になりますけど」深く息を吸う。
「お高さんとは、一緒に暮らします」
「布団も、一緒に入らせてもらいます」
お高は、一瞬だけ驚いた顔をしたが、
すぐに視線を落として、何も言わへん。
大旦那は、その様子を見てから、鼻で笑った。
「はは」「順番なんか、どうでもええ」
「本人同士が、布団に入れるなら、それで十分や」
そして、少し声を落とした。
「正直な」「今、三井の名前を前に出すことで」
「せっかく考えてやってきたもんを、不意にしてしまうんは、
もったいない」「事情も、よう分かる」
博之は、ほっと息を吐いた。「ありがとうございます」
「それにや」大旦那は続ける。「この商い、正直、面白い」
目が、きらっと光る。「これ一通り終わったら、
うちの親戚付き合いの中でも」「このやり方、
真似させてくれへんか」博之は、少し驚いた。「それは……構いません」
「僕自身も、お披露目が済んでから」
「三井の名前が付くなら、次の目標があります」
大旦那が、興味深そうに身を乗り出す。「ほう」
「大阪の街中から、京都などの都会では地区を広げて細路地9件居酒屋1軒の流れ
を横展してそれから大阪から続く街道沿いに」「居酒屋を、少しずつ延ばしていく」
「下の者を育てながら、料理の修行の場、花嫁修行の場も、一緒に作っていきたい」
「町や地区で自分の店や下のもんの仕事作ってや生活費を落として地域の商いに根を張る」
「それは、僕一人でできる話やない」「もし、三井の名前で入ることで」
「お役に立てる場があるなら、その時は、力を貸していただけたらありがたいです」
大旦那は、しばらく黙って考えてから、大きく頷いた。
「……満足や」そして、にやりと笑う。「正直な」
「わしが飼おうか、とも思っとった」
博之は、思わず苦笑いする。「せやけど」
大旦那は、ちらっとお高を見る。
「娘が、飼いならしてくれる言うなら」「それが一番や」
お高は、顔を赤らめながらも、小さく息をついた。
ユキは、その一連を見て、肩をすくめる。
「……話、大きなってきたな」
博之は、胸の奥がじんわり熱くなるのを感じていた。
順番は逆でもええ。名前は、まだ借りへん。
けれど、布団は並べる。商いも、暮らしも、
一段ずつ。そう決めた瞬間、道筋が、はっきり見えた気がした。




