表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

120/189

博之の店でご飯を食べたタカコの感想とお花見のお誘い

湯飲みを置いたあと、しばらく二人とも黙っていた。

気まずさではない。言葉を探している間の、静かな間や。

先に口を開いたのは、タカコやった。

「……洗練されてますね、この店」

博之は一瞬、構えた顔をした。

褒め言葉に慣れてへん人間の反応や。

「洗練、言われるとちょっと照れますけど」

「でも、勢いにあぐらかいてへん」

 そこを言われて、博之は小さく息を吐いた。

「それが一番、伝わりました」

 お高は続ける。

「流れはあります。人も増えて、店も増えて、

 正直、浮かれてもおかしくない」

「でも、ご飯に妥協がない。今日の豚汁も、付け合わせも、

 “これでええやろ”が一個もない」

「作り手が、食べる側の顔を想像してる味やなって」

 博之は、しばらく黙って聞いていた。

 そのまま、少し照れたように笑う。

「……実はですね」

 視線を少し落として、話し始めた。

「昔、松阪におった頃は、仕事言うても、賄い作るくらいで」

「ええもん食うのは、店の人間だけやったんです」

「客は客、働くもんは働くもん、そんな空気が当たり前で」

 お高は、何も言わず頷く。その感覚を、よう知っている顔や。

「せやから、ここで店やるって決めたとき、思ったんですわ」

「安くてもええ、派手やなくてもええ、せやけど“ちゃんと

 うまいもん”を腹いっぱい食わせたいって」

 少し間を置いて、博之は自嘲気味に付け足した。

「……手前味噌ですけど」「顔も良くないし、

 四十過ぎまで金もなかった」

「料理は好きやったけど、自信なんてなかったですわ」

 お高の目が、少し柔らぐ。「せやから、

 人に優しくできてるかは分かりませんけど」

「つらく当たるのだけは、絶対やめよう、って」

「腐ってる大人、いっぱい見てきたんで」

 それを聞いて、お高は小さく笑った。

「……似てますね」「え?」「私もです」

 お高は湯飲みを指で回しながら言った。

「三井の名前があって、現場にも出て、

 それなりに見られて」

「でも、ちゃんと見てもらえへん時間の方が長かった」

「腐りそうになったこと、何回もあります」

 少し間を置いて、続ける。

「でも、腐ったら終わりやなって思って」

「仕事だけは、ちゃんとやろうって」

 二人の間に、ゆっくりとした空気が流れた。

 派手な共感やない。でも、確かに重なっている。

「……居心地、ええですね」お高が、ふと漏らした。

「ここ」博之は少し驚いた顔をしたあと、

 照れ隠しみたいに笑った。「そう言ってもらえるなら、

 やってきた甲斐ありますわ」お高は、店の奥から

 聞こえる音に耳を澄ます。「勢いはあるけど、

 無理してない」「腐らず、積み上げてきた感じがする」

 その言葉に、博之は静かに頷いた。

 派手な約束も、甘い言葉も、まだ何もない。

 せやけどこの時間は、

 確かに“落ち着く”ものやった。

 腐らずに来た男と、腐らずに立ってきた女。

 それだけで、十分に話は続いていきそうやった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ