縁談の座敷にて仕事の話ばかりする博之
座敷に上がったところで、ユキはすっと身を引いた。
座敷に通され、茶が置かれた。「ほな、あとは二人で」
そう言うて障子を閉めると、部屋には博之と、その女だけが残る。
障子の向こうで、ユキの足音が遠ざかる。
気を利かせたつもりなのは分かるが、博之としては少し落ち着かへん。
向かいに座る女は、背筋を伸ばしていた。派手さはないが、
場慣れした空気がある。現場を知っている人間の立ち姿や。
沈黙が気まずくなって、博之はいつもの癖で口を開いた。
「最近は、店が六軒になりまして」女は小さく頷く。
「ご縁の日とか、みそ替えの日とか、
ちょこちょこ企画を打ちながら回してます」
「聞いてます。町で噂になってますね」
「ありがたいことに、縁談の話も、下の者には増えてきまして」
博之は少し言いよどむ。
「自分は……まぁ、後回しにして、今は女の子らの面倒を見てる感じです」
「面倒、ですか」
「ええ。花嫁修行いうて、月に一度、料理を教える日を作ったり」
その瞬間やった。女が、吹き出した。
「……ちょっと、待ってください」肩を震わせている。
「結婚もしてない殿方が、下の女の子の花嫁修行ですか?」
博之は真顔や。「せやから、必要や思いまして」
女は堪えきれず、声を上げて笑った。「そんな話、初めて聞きました」
「笑うとこやないです」「いえ、失礼。でも……」
目尻に涙を浮かべながら言う。
「めちゃくちゃおかしいですし、めちゃくちゃ真面目です」
ひとしきり笑ってから、女は息を整えた。
「普通は、下の子の縁談なんて、厄介ごとやって避けますよ」
「せやから、せめて、ここにおる間くらいは」
博之は、ぽつりと言う。
「ちゃんと嫁げるように、恥かかんように、してやりたいな、と」
女は、しばらく博之を見ていた。
「……それで、下の子には手ぇ出さへん、って話なんですね」
「気まずなるのが嫌で」そう答えたあと、彼女は首を振った。
「それだけやないでしょう」博之は、少しだけ考えてから頷く。
「前の旦那が、下の子に手ぇ出してました」
女の声は、落ち着いているが重い。
「仕事中に、デレデレしてるのを見るのが、本当にしんどかった」
店の空気が壊れる。注意すれば、女房が悪者になる。
「職場が、職場やなくなるんです」博之は低く息を吐いた。
「それは……」「ええ。せやから、その線を越えへん人は、信用できます」
少し間を置いて、女は視線を上げた。
「じゃあ、遊郭は?」博之は内心で思う。
――えらい踏み込んでくるな。「昔は、正直行ってました」
女は驚いた顔をする。「でもな」博之は続ける。
「やるだけやと、ちょっと寂しなりまして」
「寂しい?」「ええ。どうせなら、自分の話を、
ちゃんと聞いてほしいな、思うようになったんです」
場末の料理人の頃。誰にも相手にされへんかった。
「金を持ち出したら、急に人が寄ってくる」
博之は苦笑する。「正直、うんざりです」
女は静かに頷いた。「分かります」「ほんまに?」
「三井の名前があるだけで、期待されたり、
妬まれたりしましたから」彼女は微笑む。
「せやから、こうやって仕事の話を、フラットにできるの、
楽しいです」盃を持ちながら、少しおちょくるように言う。
「私やったら、夜ご飯一緒に食べながら、
ゆっくり関係作る、そういうのもできますよ」
博之は、思わず視線を逸らす。そのとき、障子が開いた。
「どうや?」ユキが顔を出す。
「縁談として、ありか、なしか」博之は答えに迷う。
女が先に言った。「楽しかったです」
ユキは目を丸くする。「……それだけ?」
「十分です」女は立ち上がり、博之を見る。
「また、話しましょう」
博之は、少し考えてから言う。
「……ほな、今度は、うちの飯でも」
女はにやりと笑った。「楽しみにしてます」
障子が閉まる。ユキは呆れたように言う。
「なんやそれ」博之は肩をすくめた。
「仕事の話ばっかりでした」
ユキはため息をつく。「縁談ちゃうやん」
せやけど、博之の顔は、少しだけ柔らいでいた。
仕事の話から始まる縁。それも、悪くない。
そんなことを、初めて思っていた。




