脱落する人と博之や古参の葛藤
辞めるやつは、辞めていった。理由は、だいたい同じや。
「思ってたんと違う」「下積みが長い」「話がうますぎた」
それを聞いて、古参が黙り込む夜が増えた。
「あいつ、惜しかったな」そう言う声もあれば、
「しゃあないやろ」という声もある。博之は、その輪には入らへん。
聞こえてへんふりをして、帳面をつけ、鍋を見ている。
ほんまは、思うことが山ほどある。
――惜しいやつほど、早よ辞める。
――残るやつほど、黙って手を動かす。
せやけど、それを言うわけにはいかん。
一度でも口にしたら、次に躓いたときも、
その次も、同じ説明をせなあかん。
「なんで自分には言うてくれへんのですか」
そう問われたら、答えは用意できひん。
博之ができるのは、仕事を一緒にやることだけや。
忙しい時間帯、人が足りへんとき、誰より先に手を出す。
洗い物もする。配膳もする。弁当も担ぐ。
「主人がやることちゃうやろ」そう言われても、
笑って流す。背中を見せるしかない。
ある夜、下積みの一人を、酒に誘う。
大げさな話はせえへん。説教もせえへん。
「今日、よう動いてたな」
それだけ。相手は、戸惑いながら杯を取る。
「正直、辞めようか迷ってます」
そう言われても、引き止めへん。
「そうか」それだけや。「ここは、向き不向きある」
「残るやつも、出ていくやつも、どっちが正しいとかやない」
それ以上は言わへん。
古参は、それを見て揺れる。
「あの人、冷たいんちゃうか」
「もうちょい、言うたったらええのに」
せやけど、辞めていった者の後ろ姿を見て、
残った者は気づく。
――あれだけやってくれたのに、
――言葉で縛らへんかった。
「逃げ道、用意してたんやな」
誰かが、ぽつりと言う。
博之は、ただ願っている。
残るやつには、伝わってほしい。
辞めるやつにも、いつか思い出してほしい。
あの店は、甘くはなかったが、
嘘はついてへんかった、と。それだけでええ。
店は、今日も回る。人は、減り、増え、また揺れる。
博之は、その真ん中で、何も言わず、手を動かし続ける。




