雇われた側の葛藤。思ってたんとちゃう。
正直に言えば、話はええことばかりやと思ってた。
博之の店は、今や町で知らん者はおらん。
安くてうまい、働く者の顔がええ、空気がええ。
双六で有馬が当たったとか、歌舞伎に行かせてもろたとか、
そんな話まで聞こえてくる。
「ここで働けたら、誇らしいやろな」
そう思って、口入り屋に頼んだ。
せやのに――いざ入ってみると、思てたんと違う。
鍋は触らせてもらえへん。
味も見させてもらえへん。
最初の仕事は、洗い物と掃除、声出しだけ。
「下積みやから」そう言われた。
忙しい。暇な時間があると思ったら大間違いや。
双六の話に胸躍らせてた自分が、ちょっと恥ずかしい。
やることは多い。覚えることも多い。しかも、次の店の話が出えへん。
「六軒目は、まだや」それを聞いたとき、胸の奥がざらついた。
拡大してる。勢いもある。やのに、新しい店は出えへん。
「うまい汁、吸える思てたんちゃう?」
誰かに言われたわけやない。自分の中の声や。
確かに、給金は悪ない。でも、楽ではない。
誇りはあるが、余裕はない。
双六で当たった古参を見て、少し羨ましくなる。
でも同時に気づく。あの人らが抜けた二日間、現場はきつかった。
自分が一日抜けただけでも、誰かに負担がいく。
「この店は、遊び場ちゃう」
ようやく、その意味がわかってきた。
やめようか、と思う夜もある。正直、ある。
けど、次の朝も来てしまう。
鍋の音、給仕の声、弁当売りが戻ってくる足音。
気づけば、自分もその中におる。
「辞めるなら、今やで」心のどこかで、そう思う。
でも、もう一つの声もある。「ここで残ったら、次がある」
六軒目の話が出えへんのは、人が足りへんからや。
育ってへんからや。――その「育つ側」に、自分はおるんか。
迷いながら、今日も手を動かす。
この店は、甘ない。せやけど、嘘はつかへん。
それだけは、よう分かってきた。




