縁談相手が不義理。博之が静かに怒る
その晩、店が引けたあと、給仕が座敷の端で声を殺して泣いた。
「すみません……」「私が、ちゃんと見抜けへんかったから……」
博之は、黙って湯呑みを差し出した。
話は、もう聞いていた。縁談がまとまりかけた矢先、相手の男に別の女がいると
知れたこと。しかも、それが町で半分噂になりかけていたことも。
「泣く話やない」博之は静かに言う。
「軽く扱われたのは、お前やない」「相手が、筋を外しただけや」
給仕は顔を上げる。「……破談、ですか」「当たり前や」
迷いはなかった。「先の苦労が見える縁談は、祝いやない」
翌日、その男が店に来た。味噌屋の知り合いづて、という立場を
盾にするような、どこか軽い足取りやった。
「昨日の件で……」「ちょっとした出来心でして……」
博之は、鍋の前から動かへん。「出来心で済む話とちゃう」
男は言葉を濁す。「以後、気をつけますんで……」
その瞬間、博之の声が落ちた。「軽いな」男の顔色が変わる。
「お前な」「うちの給仕を軽く見た言うことは、
うちの看板を踏んだのと同じや」
「ここで働いとる女は、町から“値打ちがある”と思われとる」
「それを汚すなら、取引一つ減る覚悟、あるか?」
男が青ざめる。「そ、それは……」
「あるか、ないかや」
男は答えられへんまま、深く頭を下げて帰っていった。
その足で、男は味噌屋に走った。
「旦那、えらいことです」
「あの店、取引減らす言うてます……!」
味噌屋の旦那は顔色を変えた。「何しとるんやお前は!」
「博之のとこは、今一番筋のええ客やぞ!」
「値切りもせん、支払いも遅れん」「町での顔も立つ」
旦那は即座に博之の店へ向かった。
「博之さん、すまん」「うちの顔で通した話が、こんなことになって」
博之は一礼だけ返す。「旦那の顔に泥は塗らせへん」
「せやから、話はここまでや」「ただし」
一拍置く。「次、同じことがあったら、量は減る」
味噌屋の旦那は深く頭を下げた。「心得とる」
夕方、給仕にその話をすると、彼女は涙を拭いて笑った。
「……守ってもろたんですね」博之は肩をすくめる。
「商い守っただけや」その夜、ヒロが聞いて呆れる。
「どこまで面倒見るねん」
博之は火を落とした鍋を見ながら答えた。
「ここで働く言うことが、不幸になる場所にはしたない」
暖簾は、静かに揺れていた。




