古参衆の任命
古参の話は、一度にまとめて出すことになった。
博之は大げさな場を設けなかった。いつもの閉店後、鍋の火を落とし、
給仕と弁当売りを帰したあと、残った者だけを奥に集めた。
ノブとさきちゃんが、左右に立つ。それだけで、皆は察していた。
「今日はな、役の話や」博之の声は、静かやが重い。
「店が増えた」「人も増えた」
「せやけど、全部を一人で見る段は、もう終わりや」
少し間を置いて続ける。「せやから」
「現場をまとめる古参を立てる」
のぶが一歩前に出た。「俺からいくで」
呼ばれた男は、料理場で一番長く鍋に触れてきた者やった。
派手さはない。口数も多くない。
せやけど、忙しい時ほど、動きが乱れん。
「前へ」男は一瞬だけ目を伏せ、それから進み出た。
「お前を古参に立てる」それだけや。男は何も言わず、深く頭を下げた。
博之が懐から小さな包みを出す。「祝い金や」「一両」
周りがわずかにざわつく。男はすぐには受け取らなかった。
「……俺で、務まりますか」のぶが口を挟む。
「務まるから呼んだ」「今日からは、下を見る立場や」
「火も、段取りも、人もや」博之が続ける。
「逃げられへん立場や」「それでもええなら、受け取れ」
男はゆっくり包みを受け取り、懐にしまった。「……覚悟します」
それだけ言った。
次に、さきちゃんが前へ出る。
空気が、少し変わった。
料理場とは違う、給仕の空気や。
「次は、給仕の古参です」
呼ばれたのは、弁当売りから上がってきた女やった。
声が通り、段取りがええ。何より、人を見る目がある。
「前へ」女は一瞬、驚いた顔をした。
「私……ですか」「せや」さきちゃんは頷く。
「忙しい時、誰が詰まってるか、一番見とった」
「叱る時も、ちゃんと距離を取れる」
博之が包みを差し出す。「祝い金、一両や」
女は思わず息を呑んだ。「……こんな大金」
「金やない」博之は静かに言う。「立場や」
さきちゃんが続ける。
「今日からは、給仕の動き、私と一緒に見てもらいます」
「文句も、先に受ける役です」
女は包みを受け取り、深く頭を下げた。
「……精一杯、やります」その場に拍手はない。歓声もない。
ただ、それぞれの胸に、違う重さが乗っただけや。
任命されなかった者たちは、何も言わない。
せやけど、空気は確かに変わった。
その日の後片付け、誰よりも早く動いたのは、任命されなかった男やった。
給仕場では、任命されなかった女が、声を荒げずに後輩を助けていた。
博之は、それを見て思う。
——ここからや。
古参は、偉くなるための席やない。
責任を引き受ける席や。
店は、また一段、静かに積み上がった。




