筆記
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その日の朝も女性は窓際のカウンター席に掛けていた。卓上に便箋のような綴じた紙を置き、ペンで書きものをしていた。私鉄駅の高架下にあるチェーン店のコーヒーショップの店内で、ラッシュの時間帯の過ぎた今は店内はさほど混んではいない。
杉浦啓太は、店内のテーブル席でエスプレッソのカップを口に運びながら、斜め前の女性の姿に、ちらちらと視線を向けていた。
杉浦啓太は遅い出勤で、この店でコーヒーを飲みながら、その日の予定を手帳で確認することが日課になっていた。カウンター席に座る黒いスーツ姿の女性に気づいたのは、数日前からだった。毎日決まった席に座っている。この位置からだと相手の横顔しか見えなかったが、鼻筋のくっきりとした聡明な表情を持った女性だった。
手紙を書いているように杉浦には思えた。書き終えた紙を折ると、封筒にいれて、シール式の切手を貼り、バッグにしまった。そして席を立つと店を出ていった。
杉浦が窓の外を見ると向かい側のポストに女性は封筒を投函した。
翌日も杉浦は店で女性を見た。やはりペンで筆記していた。続けて女性から手紙をもらう男性を杉浦啓太は想像した。相手は彼女よりも歳上だろう。若い男性には手紙のニュアンスは伝わらない。書き終えると、用紙を封筒にいれて、またシール式の切手をはる。宛先は見えない。バッグにしまう。恋人への手紙だとしたら、ずいぶん古風な女性だと、杉浦は思った。
女は店を出るとポストへ封筒を投函した。
そのときである。
どこから現れたのか私服の男たちが彼女を取り囲んだ。男たちはひとことふたこと女性に話したようだったが、車が横付けされ、女性は車内にうながされた。
このとき、店内の杉浦と何気なく目があった。微笑したように思えた。
数日後、朝刊の社会面の小さな記事の見出しが杉浦の目にとまった。
【自称宇宙からの使者 各国大使館に降服勧告書】
記事はアンドロメダ星雲から来たと自称する女性が地球人に武器を捨てて平和を確立するように呼びかけた降服勧告書を主要各国の大使館に郵送していた、と書かれていた。女性は××区のポストの前で封筒を投函したところを逮捕されたと、記事にはあった。
あの女性だ、と杉浦啓太は知った。
この小さな記事の続報はそれからもぽつぽつと掲載された。
まとめると、彼女の持っていた筆記具は、暗号化された異星の言語を地球の文字に変換する機能を持ったデバイスで、封筒に納められた用紙には、彼女の星の技術をちらつかせた化学式が書かれ、地球のものではない微量な鉱物の粉末が同封されていて、「降服せよ」というメッセージの記述とともに、これを主要各国の大使館に送りつけていたのだと報道されていた。
しかし、最初の数通が主要国の情報機関の知るところとなり、その異様な内容と、地球上のインクや紙を一切使用していない(彼女の星の物質を微量に含んだ)という分析結果から、「特異な脅威」として彼女の追跡が各国と日本の当局との連携した捜査対象となったと続報は解説していた。
だが、しばらくすると、この出来事はなぜか社会からは忘れられ、ニュースにもならなくなった。
杉浦啓太は、思い出す。連行される直前、スーツ姿のあの女性――アンドロメダからの使者は、あのとき窓越しに自分の方を見て、わずかに微笑みかけたような表情をした。その笑みは、警告が通じなかった地球人への憐れみか、あるいは、たった一人で各国政府を混乱させたことへの勝利を示した満足感のあらわれだったのか……。杉浦啓太には判別がつかなかった。
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