68話「秋の収穫祭」
空を見上げると、うろこ雲。
もう入道雲ではないのだなと、秋を感じる日々。
公爵邸の庭木も赤や黄色に色づき、夏とは違った鮮やかさがある。
そんな日々の中、先日の王都での暗殺未遂事件以来、俺は家族の安全の事を考えていた。
あの夜、オペラの幕間に怪しい黒衣の魔法使いが俺達夫婦を攻撃したのだ。
意図せず結界魔法が発動して事なきを得て、俺は「これ以上、家族を危険に晒したくない」と思ってはいたが、それでも収穫祭を諦めるのは惜しい。
せっかくの秋の実りの時期、領民達と収穫の喜びを分かち合いたいし、引きこもってばかりだと鬱屈した気分になるし、恐れ慄いて引きこもってばかりいると思われても癪だ。
なにより領地民のリアルな姿を直接見る事も公爵としての務めでもあるわけだし、更に元日本人の俺にとっては「美味しい屋台グルメ」を堪能する絶好の機会でもあった。
「アレンシア、七日後には収穫祭もあるし、変装でもして行くか? それとも怖いなら君は引きこもっていてもいいが」
「変装ですって?」
「ああ、つまり町娘のフリで祭りに混ざるんだよ」
「私が……町娘に?」
アレンシアはしばらく考える素振りを見せた。
「ところで、公爵様、奥様が行かれない場合はどうされるのですか?」
アレンシアの侍女が俺に訊いてきた。
「そうだな、せっかくのお祭りだし、娘と護衛騎士達と行くかな、その代わり屋敷の警備は何時にも増して厳重にして行くよ」
「……私も行きますわ」
「そうか、なら七日後に行けるように準備しておいてくれ、変装用の町娘風衣装も忘れずにな」
「はい」
そして俺は娘のミルシェラにも声をかけた。
お祭りで家族サービスだ。
「ミルシェラはかわい過ぎるから、誘拐犯に狙われにくくする為にお祭りでは男の子の服を着てみようか」
「わたしが男の子の服を着てもいいんですか?」
「ああ、お祭り中の変装だから特別にな」
◆ ◆ ◆
そしてエルシード公爵領の秋の収穫祭当日。
黄金に輝く麦畑から収穫を終え、色づく木々のコントラストが美しい季節に、領都エルトリアの街は年に一度の秋の祭を迎えて活気づいていた。
今の時刻は昼頃。
街路には麦の穂の飾りがいたるところで飾られ、露店からは焼き菓子の甘い香りが漂い、子供たちの笑い声と楽士の陽気な調べが、秋の澄んだ空に響き合っていると一足先に現地に向った視察隊より魔法の鳥を使って報告もうけた。
しかし、我々公爵家のメンツは、いつもの豪奢な装いとは異なる姿で街に紛れ込む準備をしていた。
「あなた、本当にこんな格好でいいのですか?」
アレンシアが、鏡の前で体をくるりとターンさせながら尋ねる。
彼女が着ているのは、町娘風のディアンドルに似た服であり、スカートは緑色、そして白いブラウスは特に豊かな胸が強調されてて素晴らしい。
普段の公爵夫人らしい気品あるドレスとはうって変わり、愛らしい雰囲気が漂う。だが、彼女の頬はわずかに赤らみ、照れ隠しの不機嫌さが滲んでいた。
「完璧だよ、アレンシア。まるで街のお店の看板娘みたいだ」
俺は、彼女の肩に軽く手を置き、笑顔を向けた。
本日の俺のコーデはウルフカットの黒髪の後ろ髪を軽く束ね紐で縛り、白いパイレーツシャツに似たものに茶色のズボンという簡素な装いだ。
それでも、どこか貴族の気品が滲み出るのは、ケーネストの生まれ持つ高貴な容姿のせいだろう。
「まぁ、私はいいですわ。でも、ミルシェラは大丈夫かしら?」
アレンシアが視線をずらすと、そこには男装したミルシェラがいた。
髪を一本の三つ編みにして、帽子を被り、ゆったりしたキナリ色のシャツとグレー系のズボンで少年のふりをしている。
娘は少し緊張した面持ちで、しかし真剣な瞳で父である俺を見上げていた。
「ミルシェラ、パパとママがついてるからな」
俺がそう言ってミルシェラを抱き上げると、ミルシェラは「はい!」と礼儀正しく返事をした。
「ミル、今日は平民のフリだから、うん。でいいぞ」
「そうでし……あ、そうだった」
「そうそう、アレンシアも、今日はシアと呼ぶし、俺の事はあなたと呼んでくれ、ミルは父さんかパパな」
「はい、パパ! じゃない、うん、パパ!」
「分かりま……分かったわ」
アレンシアの方もシア呼びで了承した。
「さあ、行くぞ。護衛の連中も準備万端だ」
俺が振り返ると、護衛騎士たちが同じく平民の服に身を包んで控えていた。
彼らはラフなシャツとズボンに腰に剣といういでたちで、まるで冒険者のような雰囲気を漂わせていた。
そして俺達はいつもの豪奢な馬車とは違う幌馬車に乗りこんで祭り会場のある領都の大きな公園に向った。
◆ ◆ ◆
領都の街は収穫祭の喧騒で溢れていた。
広場には木製のテーブルが並び、焼きたてのパンや果実のタルト、ジューシーそうな肉串の屋台も沢山並んでいた。
俺が領地内で流行らせたリンゴ飴を子供達が手に走り回り、大人たちは地元のエールを手に談笑していた。
「わぁ、すごい! 人がたくさん! そしてなんだかあそこから美味しそうな匂いがする!」
ミルシェラは目を輝かせ、左手で俺の手を引き、右手の指は屋台の焼き菓子を指していた。
俺も笑いながら「よしまずはあの焼菓子だな!」と、狙いを定めた。
アレンシアが思わず、
「あなた達、食べすぎには気をつけて」
と釘を刺してくるが、ミルシェラとは反対側にいて、俺のシャツの裾を掴み、離れないようにしてるのが何気に可愛い。
俺はまず屋台で焼菓子を買い、それからリンゴ飴も買い、ミルシェラと妻にそれぞれ手渡した。
ミルシェラは「おいしい、バターがいっぱいみたい」とマドレーヌを頬を膨らませながら食べ、俺もその愛らしい姿に癒されるし、妻もリンゴ飴を手にして、その飴を纏ったリンゴの愛らしい姿に見惚れてる。
一方俺の方は肉の香ばしい香りに誘われ、串焼きを購入することにした。
「店主、これは何の肉かな?」
「キジ肉です」
「なるほど」
キジ肉は鶏肉よりも歯ごたえがあり、コクのある味わいだった。脂には上品な甘味があり、臭みもなかった。
「!!」
串焼きを食べ終えた後、祭りの屋台を見て回る途中、不意にアレンシアにぶつかりそうな酔っ払い男が現れたので、俺は咄嗟に横から前に出て彼女をかばった。
特にスリとかではないようだったが、気をつけないとな。日本の駅にもぶつかり男とか存在するし。
そして今回は俺が一番近くにいたし、先に動いたものだから、護衛はアレンシアの代わりにミルシェラの肩を掴んでガードしてた。
はぐれないようにしてくれてサンキューな。
アレンシアの頬がわずかに赤くなってる。
そして彼女は「酔っ払いには困ったものね」と悪態をついた。
祭りのハイライトは、広場でのダンスだった。
楽団が陽気な曲を奏で、老若男女が楽しそうに踊り始める。
ミルシェラが「楽しそう」と目を輝かせたので、「よし、パパと一緒に踊るか」とミルシェラを縦抱っこで持ち上げた。
そしてもう片方の腕は、アレンシアの細い腰にまわす。
「ちょっと、何をする気で……」
「シア、お前を取り残す分けに行かないだろ。ほら、この曲はリズムも緩やかだから子供を抱えてても何とかなる」
「あなたったら、一度に欲張り過ぎでは?」
「どっちも大事だから」
「しょうがない人ね」
と、 彼女は苦笑したが、まんざらでもなさそうだったし、すぐにリズムに合わせてステップを踏み始めるのは流石である。
アレンシアのブロンドの髪が秋の風に揺れ、緑の瞳が火灯りに照らされてキラキラと輝く。
俺は己の妻の美しさに改めて感心したし、街の人間も俺達を見て思わず歓声を上げた。
やばい、ちと目立ち過ぎたか?
ひとまず一曲分のダンスを終えてダンスゾーンを離脱し、屋台のリンゴジュースを買って喉を潤した。
それから俺は家族を連れて屋台の最後の一品、スパイスが効いたミートパイを買い、3人で分け合った。
「パパ、ミル、来年もお祭り来たい」
ミルシェラがパイを堪能してからそう言うので、
俺は「そうだな」と笑い、アレンシアも「まあ、悪くなかったわ」と呟き、珍しく素直な笑顔を見せた。可愛い。
──今日の夕刻の風は心地よく……家族の絆は木々が少しずつ秋色に染まるかの如く、深まった気がする。




