60話「ミルシェラの部屋で」
「夏バテ? ミルシェラが?」
「はい、食欲がないらしく」
執事の言葉は寝耳に水だった。
しかしどうりで食事の時間に食堂にもミルシェラは来なかった。
俺は食欲がなくてもちゅるりと食べられるかもと、わらび餅をミルシェラに食べさせてやろうと思った。娘の分はかろうじて確保していたのだ。
部屋に行くとミルシェラは天蓋付きのベッドで寝ていた。
まだ寝間着のまま横になっているのである。
よほど怠いのか。
俺はベッドサイドに椅子を持って来て、それに座り、日本の冷蔵庫で冷やされたままのわらび餅を魔法の袋から取り出し、ベッドサイドにあるトレイにスプーンと一緒にのせて渡した。
「パパ……これなに?」
ミルシェラは見慣れぬものに首を傾げてる。
「ミルシェラが夏バテだと聞いてな、これなら食べられるか? 冷たくて甘いおやつだよ」
「つめたくてあまいおやつ……」
ミルシェラはベッドから体を起こし、トレイにのせてあるスプーンを手にした。
「甘くて美味しいと思うよ」
俺が繰り返し、子供が好きそうな味だとアピールした甲斐があったのか、娘はわらび餅を口に運んだ。
「甘い……」
ミルシェラはわらび餅を食べて笑顔でそう感想をもらした。
……ビニールプールと子供用水着でも仕入れてくるべきかな?
こちらの夏は日本よりはぜんぜん暑くないし、日影に入ればだいぶ涼しいので油断してたが、俺の留守中に真夏日でもあったのだろうか?
幸いわらび餅は完食できた。俺はお土産第二弾を取り出す。
「それとおみやげのレターセットとぬいぐるみだよ、ほら、猫ちゃんだ」
「きれいなレターセットに……かわいい猫ちゃん……」
ミルシェラは猫のぬいぐるみを抱きしめた。
愛らしい。
「しばらく留守にして悪かったな」
俺が詫びをいれるとミルシェラはゆるく頭を振った。
「パパ、今日はそばにいてくれるの?」
上目遣いで俺の様子を伺う娘。
「ああ、じゃあ午前中はここで仕事をしようかな、午後も屋敷の近くにはいるよ」
「よかった……」
儚げな笑顔が胸に刺さる。姪っ子とはいえ、よそでばかり遊んでてごめん!!
「まだ怠いなら、寝てていいぞ」
「はい……」
俺はミルシェラの部屋のテーブルセットを借りて書類仕事をすることにした。
「ミルシェラ、回復したら森でブラックベリーでも摘みに行くか? 疲れたら俺と騎士が交代で背負うか抱えるかするから心配はいらないぞ」
「騎士かパパがこうたいで?」
「ああ、自分一人だと体力が持つか分からないので念の為保険をかけた」
「ほけんってなんですか?」
あ、そうか、こちらには保険制度がないか。
「保険ってのは、えー例えば騎士が任務中に怪我をしたとすると、見舞金として傷病手当が出る。つまりお金が貰えるわけだ、それは治療の為にお医者様に診てもらう為のお金だったり、お薬代だったり、怪我が治るまで働けない場合は日々の暮らしに必要な……食べ物を買ったりするのに使えるお金が貰える制度……のことだ」
かなりざっくりと説明した。
「ほけん……そんなものがあるんですね」
ミルシェラはいつの間にかだいぶ敬語も使えるようになってる。
これはただの夏バテだけではなく、お勉強スケジュールをつめこみすぎて疲れた説もあるな?
アレンシアはかなり教育に熱心なタイプだし。
娘の将来の事を思ってだろうが……。
「いや、そのような制度は騎士にはあるけど、うちの平民、領民にも使えるようにそろそろ作らないとな……と思ってる。いざと言う時に助けて貰えるお金はあった方が民も安心だからな」
「ふうん……」
ミルシェラは分かったか分からなかったのかよく分からない返事をした。ちょっと難しかったかな?
まあ、ともかく毎月の積立金が平民に払えるのかは分からんが……領民からは税金をもらってるのだし、その辺で多少融通しないとな。
壊れた橋を直したり、飢饉に備えて食料を備蓄したり厄介な魔物が出た時騎士を派遣したりする等には使ってるけど。
ともかくケーネストの中味が俺であるうちに、領民の暮らしを少しでもよくしておこう。いつ寝たきりのケーネストが起きて入れ替わるか分からないし、俺がただの悪霊憑きのように思われても困る。
なにより、領主への領民の心証が良ければミルシェラの未来にもきっと役に立つはず。
「領主として領民の納めた税金を社会保障費とかに正しく使うぞ、俺は! いや、私は!」
今のミルシェラにとってはよく分からない事かもしれないけどな。
──そしてそんな宣言をしたあとに、ミルシェラの文机を見て思い出す。
「あっ、ミルシェラへのお土産に日記帳もあったんだ、ほらこれ」
俺は日本で買った赤い表紙の日記帳をミルシェラに手渡した。
「ありがとうございます、これでパパとブラックベリーをつんだら、日記に書けるからうれしいです」
「そうか、良かったよ」




