42話 「コーディアル」
別荘から帰宅した翌日の朝。
窓を開けたら甘くいい香りのする風が入って来た。
心地よさを感じながら俺は自分の部屋の文机の棚に例のひまわり畑の写真を飾っていた。
そこにノックの音が響き、妻が現れた。
顔色は先日とうって変わって良くなってる。
「あの……あなた、先日はありがとうございました」
「ん? ああ、もしかして薬が効いた? それともお土産のことかな」
「両方……です」
「いや、いいんだよ、君の役にたったならそれで」
妻から生理用ナプキンやら鎮痛剤を渡した事への礼を言われた。
「その絵は……」
「絵というか、これは写真だ」
「私やミルシェラとうり二つですね……」
「人の手で描いたわけでなく、そのまま写すからな、あれは」
「そのまま……うつす……」
妻はプリントアウトされたそれをポカンと眺めてる。
「ああ、綺麗だろう?」
「ええ、ところであなた、七年目の桃が収穫時だと庭師が言ってましたわよ」
「どおりで良い香りの風が窓から入ってくると思った。じゃあせっかくだし一緒に収穫に行くか。ミルシェラも誘おう」
妻は静かにはいと答えた。
◆ ◆ ◆
家族三人で夏の朝に庭園を歩く。今日も妻は日傘をさしている。
俺はふと公爵邸の庭園に咲く矢車菊の青さを目に止めた。確かこの花は……
「この矢車菊という花も食べられるんだよ、ミルシェラ」
と、娘に教えつつ、矢車菊を少し詰んで籠に入れた。
「この青いお花?」
「ああ、その青い花だ」
ミルシェラの知識をひとつ増やしてから、俺達はしばらく歩いて桃の木のある所に来た。
その桃の木には実が沢山実っていた。
「この桃の木はまだ存命だった頃のお義母様がミルシェラの誕生月に植えてくれたものですが、あなた、覚えていますか?」
妻にそう問われるも、全く覚えてなくて申し訳ない。
「すまない……全く覚えてないが、母上はミルシェラの誕生を心から祝福してくれてたんだろうな」
「とりたい……」
ミルシェラが背伸びをして桃に手を伸ばす。
抱え上げてやった。
「ほら、これでどうだ?」
「とれた!」
「とれました、でしょ、ミルシェラ。言葉は丁寧にエレガントに」
「とれました!」
妻にたしなめられてちゃんと言い直したミルシェラはえらい。
ミルシェラがもぎった桃を籠に入れていき、しばし俺達は桃狩りを楽しんだ。
その後に俺は屋根のあるテラスに移動し、煮沸消毒された瓶に矢車菊と桃と砂糖等を入れ、それらをシロップにしてみた。
妻と子は興味深そうに俺のやることを眺めてた。
その後、朝食とランチをもすませた後にミルシェラが収穫した桃を日本で仕入れたバニラアイスに添えて三人で食べた。
「どちらが主役か分からないほど美味しいな」
「甘くておいちいです!」
「そうですね……この白いの、とても冷たくて、濃厚で甘くて……口のなかですぐに溶けてしまいます、なにでできているのですか?」
「ああ、このバニラアイスはミルク、砂糖、卵、バニラエッセンス、生クリーム、氷で出来ているよ」
◆ ◆ ◆
翌日の朝。
朝食の場で、コーディアルシロップが出来上がっていたので、俺は氷を入れたグラスを用意して飲むことにした。
コーディアルとは、ハーブや果物などをシロップに漬け込んだ、イギリスやオーストラリアの伝統的なノンアルコールの濃縮飲料のことで、水や炭酸水、お湯、ハーブティーなどで希釈して飲むのが一般的だ。
そしてハーブや果物の持つ健康効果が期待できるとされている。
美味しくて体にいいなら最高だよな。
「……美味い」
「ケーネスト、これは体に良いのですか?」
妻はコーディアルになじみがないらしい。
「ああ、矢車菊は、ハーブとして鎮痛、抗菌、鎮静、抗酸化、血行促進などの効果が期待でき、また目の疲労回復にもいいらしいぞ」
日本にいた時、このような知識は元カノが教えてくれた。
以前は彼女と一緒にハーブ等を楽しみながら、結婚生活を夢見ていたこともあったが、異世界美人の妻と愛らしい娘が今はいるから、少し変化して夢が叶ったと言えるだろう。
「鎮痛……」
そう言いつつ、妻はお腹をさすりながら矢車菊のコーディアルを飲んだ。
「どうだ?」
「いい香りがします」
「ああ、それはよかった」
──俺の中にも、この夏の中で爽やかな甘みと香りが夢のように広がっていった。




