106話「運命の歯車と聖女の話」
アレンシアは今、俺の職場である執務室に来ている。
屋敷の家計簿的なものをつけるのも公爵夫人の仕事だから、こうして一緒に使う事もある。
今はまだ春ではあるが、先程まで夏に向けて屋敷内のカーテン等を変える為、予算組みや使う業者の手配等をする為、書類を書いていたのだが小休止のターンに入ったらしく、お茶を飲みつつ壁に飾られた地図に目をやった。
それは去年の秋に行った巨大農園の地図である。
「この巨大農園の運営はどうなってるんですか? あまりに広大で大変そうですが」
「学院に通いたいけどお金がない平民の子供にもそこで仕事を与えている。主に雑草取りと害虫、虫取りなんだが、捕った草や虫が多いほど駄賃がもらえるんだ」
「まぁ、学園に通いたい平民の子供に……」
いちいち平民の子供の事まで考えてるのか、とでも言いたげな貴族特有の驚き方をしている。
「子供ができる仕事は限られてるからな。靴磨きや瓶洗いなんかもあるが……野菜や果物も収穫の手伝いで貰えることがあるし、家計の足しになるし、将来的に学のある優秀な人材が領内に増えるのは喜ばしいことだ」
子供なら虫取りは得意だし、収穫の喜びも味わえる。
「家計の足しは結構なのですが、集めた多くの虫なんてゾッとしますがそれ、その後どうなさるのです?」
脳内で想像してしまったのか、アレンシアは身を震わせた。
「鶏や養魚場の魚の餌になる。貴重なタンパク源だ」
「まぁ……鶏って虫を食べるんですね。葉っぱを食べていると思ってましたわ」
貴族の夫人の鶏の知識など本体のチキンの味と卵の味と……まぁ、多分餌は葉っぱ食ってる程度のものだろう。
「多くの鶏はミミズも喜んで食べるがミミズは畑にいいものだから、鶏や魚に食わせるのは主にイモムシとかだな」
「葉っぱだけ食べてると思っていた方が幸せでしたわ」
「両方バランス良く食べてるほうが健康で良い卵を産むはずだ」
「そういうものですか……」
「ああ、人間も肉、魚、野菜、どれもバランス良く食べた方が長生きする」
「……でも平民の学校だの怪我や病気で働けなくなった時の保険だの、あなたは本当に下々の者達の事をよくお考えになりますわね」
これは感心しているのか、呆れているのか……微妙なラインだな。
「下は土台と考えてごらん、ぐらついてしっかりしてないと上はまともに立っていられないだろう」
アレンシアは貴族として教育を受けてきた公爵令嬢だから、そんな考えになるのは仕方ない。
少しずつ、誰かが教えていけばいいことだ。
「まぁ、それは確かに……」
「そしてあまり下々という言葉を使うのは良くないぞ、特に貴族以外の者がいる時は」
「何故ですの?」
素でこんな返しが出るのがいかにも貴族だ。
「平民相手でも不必要に恨みを買うべきではない。例えば急に貴族の時代が終わったら、高慢チキで鼻持ちならない貴族は首を切られるだろうが、あの人は貴族のわりに平民の俺達にも優しかったから、見逃そう!と、言ってくれる者が現れる可能性もある」
「貴族の時代が終わる? 貴方はとんでもない事をおっしゃるのね」
「何にせよ最悪のケースを考えて動く癖がついているのでな。昨今強力な魔力持ちの貴族も減ってきていると言うし」
という、統計が魔術師の塔からも上がっている。
「何故なのかしら?」
「さぁ、それは人々の中にある信仰心の減少のせいかもしれないし、自然の流れなのかもしれない」
本当は原作漫画キャラの聖女と真ヒーローを輝かせる為の設定なのだろうが、そんな事は言えない。
「でも魔獣の出現は増えてるそうではないですか? そして対魔獣戦に駆り出されるのは主に魔力持ちの貴族です。魔力持ちの少ない平民らは結局我々貴族に頼るしかないのです」
確かにそれはそうなんだがな。
「魔獣が増えているのが……魔王復活の兆しでなければいいのだが」
原作漫画だと、聖女はそのせいで現れるって設定だったような。元々聖女はこの世界にはいたんだが、急に覚醒する流れで表舞台に現れるのだ。
「そういえば神殿が聖女降臨祈願の祭りをするそうですわね」
「ああ」
そろそろ本格的に運命の歯車が回り出すのか……。
まったく、王位継承の為の血縁同士の争いなんかしてる場合ではなかったのに……。




