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夢幻開現師 ―夢の守り人―  作者: ks21
第七章:死灰の残響編
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第61話「残響の果てに」

 斬ったはずのものは、斬れていない。

 届いたはずの刃は、手応えを残さない。

 灰は裂けて、なお背後で形を成す――悪鬼《死灰》。


 踏切の音が、淡々と世界を刻む。

 笑みのまま、傷を隠す男。

 憎しみのまま、“家族”を抱く女。


 そして、紅蓮が天を裂く。

 残響の果てに待つのは、勝敗か。

 それとも――取り返しのつかない答えか。

  灰色の闇が、咆哮と共に和泉へ牙を向ける。

  凄まじいスピード。だが、その姿を目で追えないわけではない。


 思考を挟む余地すらない刹那であっても、和泉は動きに合わせ、点火針の切っ先を振るう。

 敵は、気持ちが良いほど真っ直ぐに――こちらへ突っ込んで来た。


 そのタイミングを合わせるなど、和泉にとってはさほど難しくない。


 和泉が振り下ろした一閃は、あっけないほどに狂犬の肉体を両断する。

 ――だが、しかし。


「むっ!?」


 自身の手に、何の手ごたえもない。

 その事実を、和泉は遅れて理解した。


 思考が、ほんの数瞬、停止する。


 敵は、それを見逃すほど甘くはない。

 切り裂かれたはずの死灰の身体は、和泉の背後で再びその肉体を形成していた。


 ガッ!!


 振り下ろされた狂爪が、和泉の脇腹を抉る。

 死灰は更なる追撃を加えんと、牙を剥いた。


「ちっ!!」


 しかし、体勢を崩しながらも、和泉は手元から火のクナイを放つ。

 火の一閃は死灰の灰の肉体をあっけなく通過し、そのまま霧散した。


 ――効かない。


 だが、その僅かな間で、和泉は死灰との距離を開ける。


 和泉の右脇腹から、だらだらとどす黒い液体が流れた。

 それは“傷”のようでいて、この世界では――精神の損耗が可視化されたものでもある。


「すうううぅぅ――」


 和泉が深く呼吸し、意識を整える。

 すると、その流れは止まった。


 ここは、敵が創り出したとはいえ、意識の世界だ。

 現実の肉体が裂けたわけではない。


 だが、精神が剥き出しになったここで受けるダメージは、精神そのものを確実に蝕む。

 痛みは曖昧でも、損耗は残る。

 そして、それが大きすぎれば、精神だけでなく肉体へも“現出”してしまう恐れすらある。


 だからこそ、開現師を目指す者の多くは、精神へのダメージを具体的なイメージとして可視化し、自己管理できるように訓練する。

 その気になれば、まるで“ダメージを受けていない”ように装うことも可能だ。


 だが――和泉は、あえてその“隠す”行為を選んだ。


 なぜなら。


「デートで、あくせくする所は見せたくないな…」


 和泉の軽口に、澪音はふっと笑う。

 その光景は、まるで本当にデート中の男女のようにすら感じられる。

 二人の凶器と、一匹の怪物を除いては。


「さすがだね、百希夜(ときや)君。

 先ほどの一撃、本来なら致命傷になるところを――貴方の一撃で、カロンの攻撃が少しそれてしまったみたい」


 そして彼女は、手にした刃を和泉に向けて問いかける。


「あまり、私の家族をいじめないでくれる?」


 澪音はそう言うが、当の死灰はまだまだ元気そうである。


「ご冗談を」


「……やって、カロン」


 澪音は返事の代わりに、再び自身の悪鬼を向かわせた。


飛火剣(とびひけん)!!」


 またも飛び込んでくる灰色の狂犬へ、和泉は炎のクナイを放つ。

 赤い軌跡が真っ直ぐ伸び、死灰の中へ潜り込んだ。


 ――刺さった感触はない。

 煙の中へ物を投げ入れたように、赤い軌跡の中心から黒い肉体が吸い込まれ、やがて炎の線は見えなくなる。


 死灰が吠える。

 しかし――。


 ボッ!!!


 死灰の中に飲み込まれた飛火剣が、一気に爆散したのだ。

 取り込んだ部分から、死灰の身体が分断される。


 ――だが、時を同じくして。

 和泉は背に、強烈な殺意の波動を察知した。


 澪音は自身の悪鬼を向かわせた瞬間、白日(バイリー)の切っ先を、すでに獲物めがけて走らせていたのだ。


「ぐっ!?」


 和泉は咄嗟に、点火針の刀身でその攻撃を受ける。


 ガキン。


 乾いた金属音が、耳に刺さる。


「な、に!?」


 突如、背に衝撃が走る。

 ぐらつく身体を堪えようとするが、意識が澪音へ向いた刹那――背後が無防備になっていた。


 和泉は目撃する。

 伸びた黒い鞭のようなものが、自身の肉体を激しく打ち据えるのを。


 ――死灰の尾。


 和泉の身体は、まるでピンボールのように地面を跳ね、弾かれていく。

 線路に敷き詰められたバラストが激しく飛び散った。


 やがて砂塵を上げながら、和泉は地へ伏す。


 一方の澪音は、今が好機だとばかりに駆け出していた。

 主人を追うように、死灰も駆ける。


「――これで!!」


 勝利を確信した彼女だったが、瞬間――。


 ぞっとする悪寒が、全身を包み込む。

 それは半身の死灰にも伝わったのか、灰の毛並みを逆立て、最大限の威嚇を行った。


 跳び出した両者の動きが、完全に止まる。


 本来なら、こんな機会を逃すほど甘くはない。

 だが、それでも“本能”がけたたましくアラートを鳴らしている。


 砂塵の奥。

 先ほどの攻防で倒れ伏したはずの少年へ向けて――。


「なあんだ……。

 こっちへ、飛びついてくれないのかい?」


 砂ぼこりに紛れて、炎が舞い上がる。

 先ほどまでの火とは比べ物にならない、痛々しいほど真っ赤な炎。

 舞い上がった砂を焼き、煙を一気に晴らしていく。


悪鬼招来(あっきしょうらい)……《刃火血刹・鬼焔操流じんかけっさつ・きえんそうりゅう》」


 澪音は瞬時に理解した。

 舞い散る紅蓮の炎――それこそが少年の内に潜む、悪鬼のものだと。


 ヒリつく感覚が全身を刺す。

 たとえここが幻であろうとも、“あの炎”に触れれば、ただでは済むまい。


 その恐れは、隣に控える死灰にも伝播していた。

 主人を守ろうと虚勢を張るが――それが畏れの深さを、かえって晒している。


 そして、かっと和泉の眼が開かれる。

 先ほどまでとは違う、本気の眼。


 呼応するように獄炎が唸り声を上げるが如く天へ舞い、

 瞬間、オレンジと黒の世界は赤々と照らされた。


 幻影だった太陽は隠れ、ただのレールと踏切しかない虚空が、炎に染まる。


 やがて炎は、天を這う無数のムカデのようにうねり――次の瞬間、濁流となって澪音へ降り注いだ。


「カロン!!」


 澪音の叫びに、死灰は主人の身体ごと後方へ大きく跳ぶ。


 ゴオオオオオオ!!!


 雪崩の如く灼熱の渦が、そこを包み込んでいく。

 恐ろしいほどの光景だった。

 これが、あの少年の放ったものだとは、にわかに信じがたい。


 圧倒的なポテンシャルの違い。

 まともにやり合えば、一気に片が付くだろう。


 ――だが、それは通常ならば、だ。


 ここが、彼女によって生み出した世界である限り、

 そのアドバンテージはそうそう埋まらないはず。


 そう確信した澪音は、世界そのものを操り動かす。


 火の海と化した地面が、空気を入れた風船のように膨れ上がり――

 限界と共に、巨大な爆発が起こる。


 熱せられたことでオレンジ色に煌々と光るバラストが、

 吹き上げられた火山岩のように、和泉めがけて降り注いだ。


 和泉は鬼焔を操り、それらを瞬時に消し炭へ変える。

 ――が、次には熱せられたレールが鞭のように横薙ぎとなり、彼を襲った。


 ギイイイィィィ!!


 耳をつんざく轟音を上げながら迫るレールを、和泉は点火針で両断していく。

 レールは、溶けたバターのように飛沫を上げ、散った。


 だが和泉が視線を上げると、レールを滑り降りてくる澪音の姿が見える。


「ふっ!!」


 強烈な刃が、和泉めがけて放たれる。

 和泉が後方へ飛び退くが――


 ガッ!!


 死灰が巨大な口を開け、和泉を飲み込まんとしていた。


「ならば!!」


 和泉の意志に従い、紅蓮の炎が死灰を呑み込まんとする。

 しかし寸でのところで、灰の身体は霧散し――再び和泉の背後を取る。


「二度も、同じ手を喰らうかよ!!」


 和泉は残していた炎を、襲い掛かる死灰へ放った。

 炎が死灰の身体を燃やす。


 それでも凶爪が振り下ろされる――


 ガキィン!!


 だが、やはりダメージは入っている。

 その攻撃は難なく、点火針の刀身で受け止められていた。


 そして、大地を駆ける炎が無数のムカデのように、うねりながら澪音へと向かう。

 火のムカデたちは一斉に跳ね上がり、炎の牙を剥いた。


 しかし、地面が急激に隆起する。

 澪音の世界が、そのまま攻撃を押し返したのだ。


 ――だが、燃え滾る紅蓮は凄まじい熱波となって、澪音へ降りかかる。


「くっ!?」


 さすがに、これは防ぎきれない。

 澪音は死灰の巨躯へ身を寄せ、灰の陰に抱かれるようにして、熱の余波を耐え抜いた。


 一方の和泉も、その消耗は決して看過できない。

 死灰から受けた傷も、“目に見える形で”現れていないだけで、回復したわけではない。


 さらに、澪音が意志を強めたことで、この世界からの拒絶反応も増す一方だ。


(それに、いつまでもつかな……)


 現在発動している《鬼焔操流》も、相当な集中力を要求される。


(できることなら、一気に決着をつけたいところだが……)


 しかし、そういうわけにはいかない。


 和泉の悪鬼たる白影――その紅蓮業火を操る《鬼焔操流》は、その気になれば、この世界ごと炎の奔流で包み込むことすら不可能ではない。

 だが、囚われた人々がいる以上、この世界を崩壊させるわけにはいかない。


 それに、そこまでの威力を発動すれば、下手をすると――再び白影が和泉の制御を離れ、暴走してしまう危険性を孕んでいる。


(厄介、だな)

(厄介、ね)


 和泉と澪音。

 二人は同時にそう感じ、次の一手で戦いが決することを予感した。


* * *


 時は少し遡る。

 和泉がシンボルタワーへ向けて駆け出した直後――。


「ん?」


 大塚の携帯へ、和泉からメッセージが届く。

 それは位置情報だった。


 ピンが刺されているのは、シンボルタワー。


「――ここへ応援を寄越せ、ってことか」


 先ほどの和泉の様子。

 そして目の前で倒れている女性。来ている病院服からして、おそらく菩提府の関係者であることは間違いないだろう。


 おおよそ、人質を救いたければ一人で来い――とでも脅されたのだろう。

 だが、だからといって独断専行はまずい。


 状況から察するに、相手は泡影教の刺客と見て間違いない。

 それに、一連の列車事故……。


 大塚の中で、ばらばらだったピースが、次々に繋がっていく。


(笠井の予見した通り、ってわけか……)


 ――ふと、昔のやり取りが脳裏をよぎる。


 笠井が、あの子を弟子として迎え入れると言った時。

 私は反対した。和泉の内に眠るもの――それは確かに素晴らしい。だが同時に、あまりにも強大すぎる。


 いくら笠井でも、守り切れるとは限らない。

 笠井の師である南もまた、判断に悩んでいた。

 だから先輩である私へ、相談が回ってきた。


 だが、私も南も、笠井の判断には反対だった。


 ――けれど、こいつも南の弟子だったのだ。

 一度決めたことは、てんで折れやしない。


 しまいには「自分一人でも見る」と、のたまい出した。

 そんな弟子に、南もまた甘い。しっかりしているようで、とんだ“親バカ”なのだ。


 そして、ただ一人、私だけが悪者扱いというわけさ。


「ああ、もう! あんたたちの好きにしな!! ただし、一つだけ条件がある」


「条件?」


 笠井が、怪訝そうな顔でこちらを見る。


「勘違いするな。これ以上、お前たちの決定に口出しはしない。

 しかし、だ。この話を聞いた以上、放っておくってことも、私の性分じゃあない」


「では、どうするんですか?」


 南は察しているくせに、わざと聞いてきた。


「私も付き合うってこと! 笠井、あんた、前の一件で菩提府に居づらいんだろう?」


 私の問いに、笠井は少し目を逸らす。


「なら、私の下で働きな!」


 ……まったく、誰に似たんだか。


 呆れると同時に、大塚の顔にはどこか満足げな表情が浮かんでいた。


「――まあ、今は笠井を動かすことはできんし、他の子たちもすぐには動けまい。

 となると――」


 大塚が、かつての後輩に連絡を取ろうとした、その時。


 ジイイイィィィ――


 突如として、携帯が着信音を鳴らす。

 画面に映し出されたのは――“南 沙織”。


「ああ、沙織か」


 大塚は電話に出る。


「先輩、お久しぶりです」


 電話口からは、かつての後輩――南の声。


「どうした。随分と突然じゃないか」


「突然、すみません。今日は、少し先輩にご相談がありまして」


「奇遇だね」


「え?」


 電話口の南が、少し驚いたように声を上げる。


「私も、あんたに相談があって電話しようとしたのさ……。

 いや――」


 そして少し間を置いて、


「あんたのもう一人の“バカ弟子”にな」

次回予告


 暮れ行く世界は、誰のため。

 逝きゆく花は、誰の手向け。

 微笑む貴方は、どこへ行く。


 楽しい時間は、必ず終わる。

 世界が夜を迎えるように。


 刺して、その(こころ)で。


 次話、「あなたに“罪”を、わたしに“罰”を」

 ――デートの終わりは、後悔とともに。

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