第60話「死灰の残花」
遂に、巡り合う二人――。
突き立てられた切っ先は、届かぬ夢の証明。
誰が、そうさせた?
誰が、悪い?
誰が、こうなると言った?
答えのない問いだけが、夜に残る。
――しかして、すべては夢の痕。
暮れる世界で、孤独な死闘が始まるのみ…。
和泉と澪音。
互いに、戦闘への準備は整った。
静かだった最上階に、どこからか忙しない喧噪が生じていた。
きっと、この世界に囚われた者たちの残滓であろう。
助けを求める声、
この後に来るであろう高波を嘆く声、
ただ泣き叫ぶ声、
怒り狂う声、
諦める声……。
いくつもの声が重なり、まるで一つの交響曲のような調和を生み出していく。
だが、それも、この二人には届かない。
世界の創造主の意志が反映されてか、最上階へ入り込む西日は沈んでは浮かび、また沈んでは浮かぶ。
そんな絶え間ない胎動を、何度も繰り返していた。
そのたびに、和泉と澪音の横顔を照らしては、濃い影を落とす。
見る者が見れば、ある種の絵画のような美しさを評するだろう。
だが、二人の間に圧縮された“闘争”は、窓から差す陽の光さえ歪めてしまうほどだ。
どれぐらい、そうしていたか。
やがて、二人の呼吸が一瞬だけ途切れ、世界は静寂に包まれる。
瞬間――。
光が閉じ、濃い闇が瞬きの合間に訪れた、その時。
闇の中心で、刹那の火花が閃光する。
再び光が戻った時には、両者とも何事もなかったように立っていた。
――が、闇が訪れると、再び激しい戦火が散る。
それは先ほどよりも更なる速度を増し、二度、走った。
そして二人は、先ほどとは距離を置いて対峙していた。
再度、闇夜が訪れる。
更なる加速と共に、金属が激しくぶつかる音が部屋全体に木霊した。
燦然たる閃光の中、一瞬、和泉と澪音の顔が映し出される。
互いに、笑っていた。
ともすると、二人の男女が仲良さげに語り合っているかのような微笑みが、そこにあった。
だが、それもまるでフラッシュ写真のように、すぐさま消えたのだ。
常人では知覚できないほどの速さで、二人は戦っていた。
もはや、先ほどまで響いていた嘆きも掻き消されている。
ただ、そこには純粋な闘争の意志があるだけ。
二人が鍔迫り合う中、この部屋に置かれた椅子や机、並べられたグラスが砕け、激しく舞った。
その破片がいまだ宙を舞う中、二人は二人だけの逢瀬に興じていた。
澪音が、その鋭い切っ先を和泉へ放つ。
闇の中、的確に飛ばされた槍先は、真っ直ぐ和泉の元へ向かう。
しかし和泉はそれを僅かな動きで弾き、彼もまた真っ直ぐに澪音の元へ走る。
和泉が、手にした点火針の刀身を振り上げる。
が、澪音が左手に握った朱い組紐を引くと、闇の中から白金の刀身が舞い戻る。
背にゆっくりと刺し込まれんとした凶器を、和泉は驚異の反応で蹴り飛ばす。
同時に、二人は互いに距離を取った。
陽が沈み、再び浮かぶ僅かな時の中で、二人の激しい攻防が繰り広げられていた。
だが、互いに一切呼吸の乱れはない。
彼らにとって、この戦闘も軽いアップに過ぎぬのだ。
両者、手にした武器の切っ先を地面へと下ろす。
澪音が、その美しい顔に笑みを含ませていた。
少しばかり高揚したのか、きめ細かなシルクの肌が紅潮している。
そして、すっと口が開く。
「想像していた以上、ね」
静かに、ゆっくりと澪音は語る。
だが、そこに潜んだ興奮を隠せないようであった。
それに答えるように、和泉も不敵に笑う。
「まだまだ、これからさ」
和泉もまた、興奮していた。
これまでの戦いでも命を賭して戦う一方で、どこかその命のやり取りに昂ぶることはあった。
しかし、はっきりとした意志で和泉に対峙した敵は、そう多くはない。
大抵は、その意志を強い感情に飲み込まれているのだ。
だが、目の前の女性は違う。
美しく――しかし冷たいほどに、はっきりとした殺意を、その手にした刃へ忍ばせていた。
「でも、ここじゃあ、少し狭すぎるかしら?」
そう言って、澪音は朱い組紐をすっと振るう。
すると、それに呼応するように、地に垂れた三角錐状の槍がゆったりと弧を描く。
和泉は、それを見ながら一瞬身構える。
だが、すぐさまその身のこわばりを解いた。
なぜなら、敵の切っ先が自身へ向けられたものでないことが明白だったからだ。
弧を描きながら舞う刃は、すっと澪音の後方の窓ガラスへ当たる。
遅れて、触れた中心から幾重にも細い線が走り、透明だった色が白へと変わっていく。
そして――パリンっ、と音を立てながら、破片が宙を舞った。
「場所を、変えましょ」
澪音は、この場に似つかわしくないほどのあどけない声で和泉を誘い、そのまま闇の底へ背を預ける。
彼女の身体は一瞬にして地上へと誘われていった。
そして和泉も走り出し、彼女の後を追う。
彼もまた、窓から外界へと飛び出していた。
和泉の全身に強烈な浮遊感が生まれ、一気に落下感が訪れる。
瞬く間に地面が彼の眼前へ迫った。
地上へ叩きつけられるかと思われた瞬間、和泉は身体に力を込め、着地していた。
ゆっくりと視線を上げる。
そこは、やはりオレンジ色と黒が支配する世界であった。
だが、先ほどまで居たシンボルタワーの階下ではない。
カン…カン…カン…。
無機質に繰り返される音。
そして足元に転がる茶色に染まった石と、冷たい二本のレール。
そのレールの先に、彼女は立っていた。
「さ、デートの続きを始めましょ?」
澪音が、美しい瞳をすっと細める。
「あんたみたいな人に誘われちゃあ、断れないな」
和泉も、静かな瞳の奥で闘志の炎を燃え上がらせていた。
* * *
世界は、黄昏時からやがて来る暗闇へと変わる、そのほんのひと時の間際だった。
だが、ここは“現実”ではない。
伸びたオレンジの光が、暗闇と静かに混ざり合って、ブラッドオレンジへと変わる世界。
それが、この世界ではいつ終わるともしれず、在り続けるのだ。
そんな淡い世界の中、鮮明に残る存在――。
和泉と澪音は、決まりきったリズムで流れる音をBGMにして対峙していた。
先ほどのシンボルタワーでの一戦とは異なり、これから行われるのは、いわば“本番”。
さっきまでの前戯とは、まるで違う。
これからが、本当の命のやり取りなのだ。
互いにそれを確かめるように、和泉と澪音の視線は交差する。
それは、かつて驟雨の中で出会った時のものとは違う。
ある種、もっと深く絡み合ったものだ。
和泉の足元に敷かれたレールが、彼の足を中心にして、赤から黄色へと変色していく。
和泉から発せられる闘気が、彼の“火”としての熱を、放射していたのだ。
そして、彼の周辺の景色は熱によって歪み、陽炎のように揺らいでいた。
“並み”の者ならば、これだけで参りましたと、対峙する者との差を理解するだろう。
だが、眼前の相手は違う。
澪音は、事もなげに涼しい表情を一切崩していない。
いや、それどころか、和泉の熱を感じて、喜んでいるようにすら見える。
和泉たちのような、“才”を持つ者が、常に正しい道を行くとは限らない。
澪音のように、道を外して、己が欲望のために、その才を振るう者も、少なくない。
そういった者たちを、総称して《外導師》と呼んでいる。
しかし、多くの外導師は十把一絡げ。
大した才能もなく、その上に粗末な技術を、無理くり塗りたくったようなものだ。
少し叩けば、あっという間に零れ落ちてしまう、その程度。
多少なりとも、力はあったとしても、菩提府のように、連綿と受け継がれてきた知識や技術によって支えられた《開現師》たちとは、やはり雲泥の差である。
だが、菩提府の最大の敵である《泡影教》が抱える外導師は違う。
やつらはその組織力だけでなく、その非人道的な行いによって、自分たちの外導師を生むのだ。
おそらく、今、敵対している彼女もまた、その被害者の一人なのだろう。
しかして、一切の躊躇は許されない。
彼女がいかような過去を背負っていたとしても、自分のやることは変わらない。
(彼女を、何としてでも止める)
和泉の信念を知ってか、知らずか、だが、澪音はその手に少しずつ力を込める。
そして、手にした組紐をくるくると回転させていく。
ヒュウ、ヒュウ……。
やがて、その回転は凄まじい速さとなり、まるで真っ赤な輪となって見える。
和泉のかっと燃えた闘志が、熱せられたレールを伝い、炎を吹き上がらせる。
それは、火鼠のように、レールを駆け、澪音の元へと走る。
が、レールがまるで大蛇がうねるように、ぐにゃりと持ち上がる。
「ちっ!!」
鍛えられた外導師の厄介な所が、まさにこれだ。
強い欲望や感情に飲み込まれた悪鬼、さらには通常の外導師は、自身の意識で生んだ“夢”を意識的に操ることは出来ない。
もちろん、悪鬼の中には操る者もいるが、それでもそれは怒りなどの強い感情によって突き動かされた一種の衝動である。
制御とは、程遠い。
しかし、今、目の前の外導師は自身の夢の形状を容易く変えた。
こうなれば、例え鍛錬と知識を積み上げてきた正規の開現師でも、対処は難しい。
言うなれば、相手が創り出した盤上に立たされた上、相手の決めたルールを強制的に押し付けられるようなものだ。
端的に言えば、圧倒的不利なのである。
そのため、泡影教が差し向けた外導師と相対するのは、慎重かつ適切な対応を求められる。
開現師たちが、中々次の一手を打てなかったのも、そのためだ。
相手の手中へ自ら飛び込むなど、絶対に勝てるわけがない。
現に、澪音はここまで意図も容易く、菩提府の開現師たちを葬って来た。
起き上がった地面は、そのまま立っていた和泉を、澪音目掛けて放り投げた。
和泉の体勢は、完全に崩れていた。
瞬間、その和泉に向けて、回転によって威力とスピードを増した凶器が、まっしぐらに飛んでくる。
通常なら、このコンボで終わりだ。
通常ならば、だ。
レールに走らされた炎の筋は、確かに澪音へと届くことはなかった。
だが、しかし、レールが歪んだことで、途切れたかに思えたそれは、突如、唸り声と共に赤々とした火柱を立ち上らせて爆ぜたのだ。
轟ぉお!!
迫る炎は、澪音を燃やすほどではない。
それでも、僅かに降りかかる火を避けるため、澪音が身体を無意識によじったために、和泉に迫った切っ先にほんの少しばかりの“隙間”が、確かに生じた。
そして、和泉はそれを逃せない。
僅かであろうと、そのほんの些細なズレが、自身への致命傷にならないことを確信した和泉は、全力で敵目掛けて突っ込んでいく。
迫る切っ先が、目の前を通り過ぎる。
切れた頬に、血のしずくが迸る。
だが、それでもなお、和泉の闘志に些かのブレは生じえない。
点火針を握った手に、和泉は渾身の力を込める。
ザッ!!
駆け出した銀の刀身が、空気を切って走る。
それを、寸でのところで澪音は避け、宙へ舞う。
降り立った澪音は、すぐさま少年を射る。
彼女が数瞬前に立っていたそこには、鋭い切っ先が突き立てられていた。
澪音の背に、冷たい汗が流れたように感じられた。
外導師である彼女は、人を殺めるなど、数えるのがいやになるほど、経験してきた。
今となっては、人を殺すことに、些かの感情の機微も生まれない。
しかし、だ。
それでも、初めて人を殺めた時、それから、いくらか経験を積んだあの時だって。
まったく躊躇いがなかったわけではない。
自分は“それ”を殺す、訓練を受けてきたのだ。
何度も、何度も。
そうして、自身の心を機械に変えて、作業として割り切るようになれたのだ。
しかし、目の前の少年はどうだ?
彼がこれまでにどれだけの修羅場を潜り抜けたかは、しれない。
しかし、それでも、自分と同等に人を殺した経験などないはずだ。
人を殺めたことがあったとしても、これまで見てきた開現師に、何のためらいもないということはなかった。
皆一応に、大なり小なり衝撃があった。
たとえ、ほんの僅かであっても、それは“隙”となる。
私たちは、プロの開現師と戦う時、そこを突くのがセオリーだ。
ましてや、こっちは人質もとってある。
言うなれば、完璧な布陣だ。
たとえ、ベテランの開現師でも、この状況はかなり厳しい。
それが、目の前の少年はどうだ?
そうした機微が、迷いが、躊躇いが、
自身だけでなく、多くの者を危険に晒してしまうことを理解しているのだ。
だから、彼は迷わない。躊躇わない。
もし、後悔するなら、それは己が役目を果たした時――。
そうした少年の強い信念が、先ほどの一閃には込められていた。
ふぅぅぅぅ……。
澪音は、少し長い吐息を吐く。
そして、すっと息を吸い込む。
この幻想世界で、それがどれほどの意味合いがあるかなど、今の彼女にとってはあまり意味がない。
――極上の獲物。
あまり戦いこと自体に興味がなかった彼女でさえも、目の前の少年との対峙は、恐ろしく、そして、何よりの愉悦だった。
だからこそ、彼女の“半身”たる獣も、その興奮に当てられたのだろう。
和泉は、気付く。
澪音の身体を中心に流れた大気に、黒いキラキラ光る粒子が浮遊しているのを。
「おいで、“カロン”」
彼女の問いかけに呼応するように、灰はどんどん集まっていく。
それは、やがて澪音の背後へとまわり、その数をどんどん増やしていく。
(灰…か?)
粒子が舞うと同時に、焼けた落ちた後に臭う独特な煤けた匂いが、彼の鼻孔に届く。
そして、その灰は渦を巻き、凝固し、ある“形”を形成していた。
それは、巨大な四肢と、鋭い牙を持ち、闇夜に黄色く輝く双眸を携えていた。
それは、巨大な灰でできた“犬”。
グルルルル…と低く唸る犬が、主人の敵である少年を睨みつけていた。
「それが、あんたの切り札ってわけ?」
和泉の問いに、澪音はさらに笑みを濃くする。
「ええ、これが私の半身。私の力。そして――」
そして、その瞳に更なる憎しみの光が灯る。
「私の、夢」
“ワン! ワン!!”
彼女の悪鬼、死灰が吠えた!
次回予告
互いに、傷つけたかったわけじゃない。
けれど、“運命”は残酷だ。
踏切が鳴り続ける世界で、澪音は“家族”――悪鬼《死灰》を呼ぶ。
斬っても、届かない。傷だけが残る。
それでも和泉は笑う。
「デートで、あくせくする所は見せたくない」と。
――次の瞬間、紅蓮が天を裂く。
次話、第61話「残響の果てに」。
――鳴り止まない踏切の向こうで、決め手はまだ、眠っている。




