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夢幻開現師 ―夢の守り人―  作者: ks21
第七章:死灰の残響編
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第57話「揺らぐ驟雨の先で」

 雨は、すべてを洗い流す。

 出会いも、別れも、そして――気づかぬうちに芽吹いた“違和感”さえも。


 だが、驟雨(しゅうう)の先に待つものは、必ずしも安らぎとは限らない。 

 境界が揺らぐその刻、人は知らず、踏み越えてはならない線へと近づいていく。

 雨は、いまだ降り続けていた。


 だが、新たに出会った二人にとっては、その雨音すら心地よい響きに思えた。


「そうなんですか。和泉さんは本島の方から来られたんですね」


「ええ。今は知り合いの方の家で、お世話になってるんです。

 澪音さんは、いつ頃から日本へ?」


「少し前です。私も知り合いの伝手で、初めて日本へ来たんですよ」


 すると澪音は、少し遠い目をして、門の向こうへ視線を向けた。


「父が……幼い頃、日本で過ごしていたようで。

 父が生きたこの地を、一度踏んでいたかったのです」


 その瞳には、儚さと同時に、言葉では言い表せないほど深い悲しみが宿っていた。


 和泉は、その眼差しに、どこか既視感を覚える。


 ――どこかで、同じような瞳を見たことがある。


「そのうち、日本の文化や、日本そのものに興味が湧いて……。

 本格的に日本語を学ぶようになったんですよ」


 いつの間にか、澪音の視線が自分へ戻っていることに、和泉は遅れて気づいた。


「……それは、何だかとても運命的ですね」


「運命的?」


 場を取り繕おうとして、咄嗟にこぼれた言葉だった。


 澪音も、そしてそれを口にした和泉自身も、わずかに戸惑ったような沈黙を共有していた。


「いや……今日、澪音さんと出会ったのも、この雨が降らなければなかったでしょうし。そもそも、あのマリーゴールドを僕が拾わなきゃ、互いに知らないままだったんだなって」


 言い終えてから、和泉は気づく。


 ――ずいぶんと、気恥ずかしいことを言ってしまった。


 自分でも驚くほど、キザな言葉を、よくもこう自然に並べられたものだ。


 少年はおずおずと、隣に佇む女性の表情を窺った。


 そこには、優しげに微笑みながら、真っ直ぐこちらを見つめる玲音の姿があった。


「そうですね……。

 それは、とても素敵なことだと、私は思います」


 その大人びた応えに、和泉は知らず、ほっと胸を撫で下ろしていた。


「ところで……なぜ、あんな所に花を?」


 和泉の問いに、澪音は再び、遠くの方へ視線を向ける。


「まあ……おまじない、みたいなものです」


 真夏の雨は、深々と世界を洗い流していた。


 それはまるで―― あらゆる罪や穢れを、静かに洗い落とすかのように。



   *  *  *



 雨が落ちる山門で、二人の時はゆっくりと進む。


 やがて雨脚は次第に弱まり、厚く垂れ込めていた雲の切れ間から、淡い陽の光が差し込んでいた。


 濡れた石畳が、きらりと光を返した。


「あら……友人が着いたみたいです」


 澪音が、山門の奥へと視線を向ける。


 彼女の言葉につられて和泉も視線を向けたが、そこには人影らしいものは見当たらなかった。


「よかったら、下までお送りしましょうか?」


「お気持ち、ありがとうございます。

 でも……もう少し参拝してから帰りますので」


 和泉がそう告げると、玲音は小さく頷き、知り合いのもとへ向かう。


 ――と、数歩進んだところで。


 澪音はふと立ち止まり、こちらを振り返った。


「また、会いましょう。和泉 百希夜(いずみ ときや)さん」


「ええ、澪音さんもまた」


(……あれ?)


 その瞬間、和泉の胸に小さな引っかかりが生まれる。


(俺の名前……言ったっけ――)


 だが、その疑問を言葉にする前に、玲音の姿は人波の向こうへと溶けていた。


「……ま、いいか」


 和泉は小さく肩をすくめ、踵を返す。


 山門を出たところで、何気なくポケットに手を入れた。


「……あ」


 指先に触れた感触で、ようやく思い出す。


 彼はそれを取り出し、そっと広げた。


 しっとりとした手触りの、シルクのクリーム色の布地。

 その端には、黄色い花の刺繍が施されている。


「しまった……連絡先、聞くの忘れてた」


 雲間から差し込む陽の光に照らされて、

 クリーム色の布地は、静かに、そして淑やかに輝いていた。



   *  *  *



「いきなり彼に会いに行くって言いだしたときは、さすがに肝を冷やしたよ」


 運転席のアカネが、助手席の玲音へ声をかける。


「別に、構わないでしょ」


 澪音は窓を開け、流れていく景色を眺めていた。


 車内に入り込む外気は少し蒸し暑い。

 だが、火照った身体には、その風が心地よかった。


「そのために、随分と苦労したんだよ。私は」


 アカネは、困ったように笑う。


 澪音は一瞬だけ横目で彼女を見てから、再び外へ視線を戻した。


「……ごめんって」


 その言葉に、アカネは軽く溜め息をつきながらも、やはり笑っている。


「まあ……あなたがそうしたいなら、そうすればいいさ」


 そう言ってから、アカネは懐から一枚の紙を取り出し、玲音へ差し出した。


「デートのお誘いだよ」


 いたずらっぽい声音だった。


 紙を受け取った玲音は、ひと通り目を通し、興味なさそうに膝の上へ置く。


「……それは、退屈そう」


 傾き始めた太陽が、 二人を乗せた車体を、そっと照らしていた。



   *  *  *



「反応、ありませんでしたね」


「まあ……今回の相手は、今までの奴らとは違うってことね」


 スーツを纏った二人の女性が、住宅の玄関を出てぽつりと呟いた。

 夕暮れの空はすでに朱を失い、曇天の名残を引きずるように沈んでいる。


 連日発生している、謎の列車事故――。


 ある時は、運転士が突如錯乱し、意味不明な急ブレーキをかけ。

 またある時は、乗客が突然暴れ出し、周囲へ暴力を振るい。

 さらに酷いケースでは、複数の乗客が自らの頭を、何度も何度も車窓へ打ち付けるという異常事態まで発生していた。


 中国・四国地方を中心に頻発する事故は、すでに“偶発”の域を超えている。

 死者、重傷者も少なくない。


 発生する対象、場所、路線――。

 それらはすべて、統一性を欠いているように見えた。


 だが、共通点は確かに存在していた。


 一つは、必ず夕刻に発生していること。

 特に、陽が沈みきる直前の、ほんのわずかな時間帯――

 人々が“逢魔が時”と呼ぶ、境界の刻に集中している。


 もう一つは、生存者たちの状態だった。


 彼らは例外なく、列車そのものに強烈な恐怖心を抱いていた。

 夜な夜な列車を起因とする悪夢に苛まれ、眠ることすらままならない。

 日常へ戻れぬまま、今も社会復帰が叶わずにいる者も多い。


 やがて、当該時刻の列車は運行を見合わせられ、

 近隣地域では通学・通勤の時間変更、さらには外出規制まで敷かれるようになった。


 社会全体が、目に見えぬ“何か”に怯え始めていた。


 当初は、単なる列車事故――

 あるいは集団パニックとして処理されていた一連の事象。


 だが、被害の拡大と不可解さを前に、

 それらが“鬼夢(おにむ)”によるものであるという結論に辿り着くのは、もはや時間の問題だった。


「こら、あんた達。気を緩めてはだめよ」


 家の主と挨拶を終えた女性が、二人へと鋭く声を飛ばす。


「す、すみません、飯沼先輩」


「佐々木部。あんたの見立て通り、今回の相手は常軌を逸している」


 彼女たちもまた、菩提府から派遣された開現師であった。


 彼女たちの任務は、被害者たちの潜在意識へ潜り込み、

 彼らが抱える“トラウマの核”を取り除くこと。


 しかし、それは目的の一つに過ぎない。


 本質は、この一連の事件――

 その首謀者の“足跡”を見つけ出すことにあった。


「今回の事故……いや、事件は、一見すれば社会不安を煽るためのものに見える」


 飯沼は周囲を警戒しつつ、部下二人にだけ聞こえる声量で告げる。


「だが本質は違う。これは……私たち、開現師。ひいては菩提府そのものへの挑発よ」


「しかし……そんな目的のために、ここまでの規模で?」


「佐々木部。連中を“普通”の尺度で考えちゃだめ」


 飯沼の声が低く沈む。


「奴らの根っこにあるのは――破滅願望」


 言葉と同時に、空気が一段、冷えた。


 それは、地を這う無数の蛇蠍(だかつ)のように、 生理的な嫌悪と、根源的な恐怖を同時に呼び起こす感覚だった。




 カン、カン、カン、カン……。




 夕闇が迫る中、踏切の音だけが三人の耳に突き刺さる。


「……待って。私たち、いつからこんな所に――?」


 気づけば、三人は踏切の内側に立っていた。


「やられた! 二人とも、すぐに体勢を取りなさい!!」


 飯沼が叫んだ、その瞬間。


 踏切の向こう側に佇む“存在”に、彼女は気づく。




「约会的邀请,已经开始了吧?」




 仮面の女の声が、距離を無視して、直接耳元に落ちた。


 次の瞬間――

 仮面の女の姿が、音もなく消える。


「しまっ――」


 飯沼が声を上げるより早く、 仮面の女はすでに反対側へ背を向けていた。


 一瞬の静寂が、オレンジ色に染まった世界を包む。


「……さ、佐々木部さん……」


 吉田の消え入りそうな声が、虚しく響く。


 その直後。


 立ち尽くしていた佐々木部の首元から、 鮮血が、音もなく弾けた。


「…飯沼、さん。…よし…」




 ドサッ――。




 そして、佐々木部は糸の切れた操り人形のように、ぐったりと崩れ去る。


「さ、佐々木部…先輩…」


「吉田!! さっさと体勢を整えなさい!!」


「……は、はい!!」


 飯沼は、混乱と後悔に呑まれながらも、必死に最善の一手を探っていた。


 それは理性というより――

 これまで何度も何度も、頭と身体に叩き込んできた経験と技術。

 それだけが、彼女を前へと押し出していた。


「顕現――旋羽槍(せんぱそう)!!」


 瞬時に、飯沼の手に自身のヴァジュラである槍が顕れる。

 彼女は迷いなく構えた。


「吉田! あんたはこのことを報告しなさい!!」


 後悔が、ないわけではない。


 佐々木部は、まだ二十六歳だった。

 最近は仕事続きで出会いがないとぼやいていた。

 甘い物が好きで、休憩時間にはよく菓子を分けてくれた。


 仕事をしていなければ――

 ただの、どこにでもいる女の子だった。


(……それが、こんな形で終わっていいわけがない!!)


「強襲を受けた時点で……あんたたちの負け――」


 仮面の女がそう呟いた、その瞬間。


 彼女の背後に、猛烈な“死”の気配が立ち上がった。


 沈みゆく線路の奥。

 深く、暗く、底の見えない闇の中で――

 二つの双眸が、ゆっくりと起き上がる。


 それは一切の淀みもなく、

 ゆらりと巨大な腕を持ち上げ、

 眼下の獲物へと振り下ろそうとしていた。


「舐めるなああああああ!!」


 恐怖に押し潰されるより早く、

 飯沼はヴァジュラの矛先を地面へ突き立てた。


 ドリル状の先端が、凄まじい勢いで回転を始める。


 ――轟音。


 地面が揺れ、歪み、

 周囲の大地がひしゃげるように隆起した。


 その衝撃で、

 彼女の胴を引き裂かんとしていた巨大な凶爪は、

 わずかに軌道を逸らされ、彼女の横を掠める。


 ――だが。


 その余波だけで、彼女の右腕は容易く吹き飛ばされた。


「ちいいいいいい!!」


 ここは仮想の肉体。

 それでも、走る痛みは紛れもなく“本物”だった。


 本来なら、動けるはずがない。

 意識を保つことすら困難なはずだ。


 それでも――

 彼女の身体は、まだ動いていた。


 使命感。

 責任感。

 後悔。

 焦燥。


 この一瞬の攻防で、彼女が何を思ったのか。

 それを正確に知る者は、もう誰もいない。


 ただ一つ確かなのは――


 地面に打ち立てられた槍の矛先が、

 眼前の刺客へと放たれていたという事実。


 それこそが、

 彼女が最後まで“開現師”であった証だった。


「言ったでしょ。

 強襲を受けた時点で、あんたたちの負けって……」


(ブ、ラフ――!?)


 穿たれた刺客の頭部は、塵となって霧散する。


 そして――。




 シュッ。




 首元に当てられた刃物は、優しく彼女を撫でる。


 一瞬の静寂。


 ――お父さん、お母さん、ごめん……ね。


 撫でられた首は、一筋の赤い線が現れた。


 そこから止めどなく溢れ出す真っ赤な血。




 プシュ――。




 暮れ行く闇夜の中で、間欠泉のように溢れ出した血しぶきは、深紅の薔薇を描く。



   *  *  *



 そして、深い闇夜とオレンジのコントラストがノスタルジックな街並みを映し出す中、仮面の女は刀身に着いた血をシルクのハンカチで拭う。


「一人、逃げられちゃったね」


 真っ赤な傘を差した女が、闇の中から歩み出る。


「そんなん言うんだったら、あなたが()ってくれてもよかったんだよ?」


 沈む夕日は仮面の女の身体を、爛々と照らす。


 色鮮やかに照らされる女の身体は、しかし、どこか煤けた色が拭えないのだ。


「それはだめでしょ?

 メッセージを伝えるんだったら、早くしてね」


 傘を折りたたみ、女は仮面の女へ微笑みかける。


「フッ、どうも今日は調子がおかしいみたい……」


 仮面の女は、ゆっくり仮面を外し、そして――


「じゃあ、伝えてくれる――」



   *  *  *



「はあ……はあ……うぅ……」


 残された吉田は、必死に走っていた。


 夕焼けはすでに闇へと呑み込まれ、彼女の小さな背中を黒く包み込む。


(……先生も、先輩も……。

 私みたいな足手まといが、いたから……!!)


 恐怖と後悔が、波のように全身を駆け巡る。


 どこへ逃げればいいのか、分からない。

 いや――この“夢”に取り込まれた時点で、勝敗はすでに決していたのかもしれない。


 出口の見えぬ悪夢の中。

 それでも彼女を動かしているのは、命を賭して託された使命だった。


 だが――


 闇の中でも異様なほどくっきりと浮かび上がる、二本のレール。

 冷たく、ぬらりとした光沢を帯び、まるで蛇の鱗のようだった。


「……うぅぅ……」


 必死に走る吉田の目から、涙が溢れ、嗚咽が漏れる。


 どれほど大切な使命を託されたとしても。

 仲間の死。

 この先に出口があるのかすら分からない恐怖と不安が、彼女の小さな身体に重くのしかかる。


 果てしなく続くレール。

 そして、永久の闇。


 その中を走る吉田の視界の端で――

 何かが、一瞬だけ過った。


 思考が、止まる。


 この黒に支配された世界の中で、

 それは異様なほど鮮明に浮かび上がっていた。


 吉田は、恐る恐る振り返る。


 ――赤。


 光沢などないはずなのに、

 それは爛々と輝いているように存在していた。


 真っ赤な、傘。


 闇の中で、それだけが“在った”。


 全神経が、警鐘を鳴らす。


 だが―― もう、彼女の身体は一歩も動かなかった。


 思考は必死に「逃げろ」と叫んでいる。

 それ以上に、「もう助からない」という絶望が、すべてを凌駕していた。


 闇の中に浮かぶその傘が、ゆらりと動く。


「……ひ、ひいい……」


 吉田は震える腕で、それでも矜持を捨てず、手にした銃口を向けた。


「あらら……そんなに怖がられるなんて、心外」


 闇の中から、女が現れる。


 赤みを帯びた長い髪を後ろ手に結んだ女。

 今まで闇の中にいたとは思えないほど、白く、透き通るような肌。


 だが、この漆黒の世界であまりにも場違いなその美しさと、

 手にした真っ赤な傘が――

 彼女が“人ならざる者”であることを雄弁に物語っていた。


「警戒しなくても大丈夫。 君には、何の興味も湧かないから」


 その口調は、ひどく優しい。

 だが、その声は、どこまでも冷たかった。


 そして―― 女の眼が、笑う。


 それは、穏やかで優しげな瞳。


 だが、その奥底には、確かなどす黒い悪が蠢いていた。


「これから言うことを―― “ある人”に、伝えてくれるかな?」

踏切に残された死の残響。

病室で呟かれた、意味を持つ言葉――「赤き火は灯された」。


逃げ出した生存者。

動き出す聖斂隊(せいれんたい)

そして、名指しで届く“呼び声”。


静かに、確実に、世界は臨界点へと近づいていく。


次話――第58話「静かなる臨界」。

運命は、もう後戻りを許さない。

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