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夢幻開現師 ―夢の守り人―  作者: ks21
第七章:死灰の残響編
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第54話「朝焼けの残影」

 ――朝焼けの空が、すべてを染め上げていた。


 静けさの中、街はまだ夢の続きを見ている。

 けれど、その眠りの底で、確かに“何か”が蠢いていた。


 祈るように花を捧げるひとりの女性。

 その姿を見た少年は、知らず胸の奥で何かが軋むのを感じる。


 失われたものと、まだ知らぬ痛み。

 それらが交わるとき、朝焼けは静かに燃え始める――。

 朝日が、ゆるやかに天高く昇りはじめた頃。

 俺はお世話になっている玲之さんの実家へと向かっていた。


 もっとも、“実家”といっても、そこに両親の姿はもうない。

 玲之さんのご両親は、彼女がまだ幼い頃に亡くなっている。

 その後、遠縁の親戚に引き取られ、今日に至るという。


 ――死因は、“泡影教(ほうようきょう)”による無差別テロ。


 玲之さんの誕生日。

 家族で街のデパートへ出かけたその日、

 不運にも泡影教が引き起こした鬼夢に巻き込まれ、両親は帰らぬ人となった。


 彼女がそのことを語ったのは、ある晩のことだった。


「そんな不幸話……。

 このご時世、いくらでもあるものさ」


 淡々とした声色。

 だが、あのときの横顔だけは――今でも鮮明に憶えている。


 その瞬間、胸の奥で眠っていた“鬼”が微かに蠢いた。


(……そう、よくあることだ)


 悪鬼による鬼夢事件に携わるようになって、

 少しは誰かを救えてきたのかもしれない。

 だが、それはたまたま――運が良かっただけのこと。


 救えなかった命の方が、多い。


 開現師となる際、笠井先生にも言われた。

 ――「救えぬ命に縛られるな」と。


 けれど、その言葉はいまも胸に刺さったままだ。

 心の奥では、何一つ割り切れてなどいない。


 そんな俺の内面を嗅ぎ取ったのか、

 体の底で“魔蟲”がざわめいた。

 怒りとも哀しみともつかぬ衝動が、静かに這い寄る。


(……俺も、いつかは覚悟を決めねばならないのか)


 朝の陽ざしが強くなるにつれて、町がゆっくりと息を吹き返していく。

 通りを行き交う人々の数も、いつしか増えていた。


 ――カン、カン、カン、カン……。


 耳元に、踏切の音が鳴り響く。


 黄色と黒の遮断機が降り、人と車が列を成している。

 誰もが小さな沈黙を胸に抱えたまま、その場に立ち尽くしていた。


 俺もまた、その群れの一人として、無意識のうちに足を止めていた。


 こうしていると、これまでの戦いの日々がまるで嘘のようだ。


 時々、思う。

 ――今、この場所、この瞬間に立っているのが、夢幻(ゆめまぼろし)のような気さえする。


 見上げれば、空にはもう大きな積乱雲が湧き上がっていた。

 白い峰のような雲の奥では、きっと雷が息をしている。


(……気を抜けば、あの雲へと飛んでいってしまいそうだ)


 そんな馬鹿げたことを思いながら、無意識に頬を掻いた。


 ふと、踏切の向こうに視線をやる。


「あれ……?」


 人の列の奥――誰かがしゃがみ込んでいた。

 女性だろうか。

 その人は、小さく手を合わせ、何かを祈っているように見えた。


 ――ガタン、ゴトン。ガタン、ゴトン。


 列車が視界を遮る。

 連結音が鼓膜の奥で反響し、思考がわずかに途切れた。


 車両が通り過ぎたとき、もうそこに彼女の姿はなかった。


 遮断機が上がり、人々の流れが再び動き出す。

 俺もそれに続き、踏切を渡る。


 通り過ぎざまに、彼女がいた場所へと視線をやった。

 路肩に、小さな花束が置かれている。


 ――オレンジ色のマリーゴールドが、風に揺れていた。


 誰のための花なのか、考える間もなく、人波が背中を押した。

 俺もそのまま流れに飲まれ、足を進めた。


 ……ただ、背後で風が鳴った気がした。

 まるで、誰かが“名もなき祈り”を呟いたように。



   *  *  *



 駅前の通りを、一人の女性が歩いていた。


 灰を溶かしたような黒髪に、淡い金を宿した瞳。

 Tシャツにジーンズという、何の変哲もない装い。

 だが、その姿には――現実から一歩だけ外れたような、儚い美しさがあった。


 夏の湿った風が髪を揺らす。

 陽光が反射し、その瞬間だけ、通りを行き交う人々の視界に彼女の姿が焼きつく。


 ――だが、誰も足を止めない。

 まるで最初から、彼女がこの世界に存在していなかったかのように。


 彼女は、人の流れに紛れ、自身を世界のノイズへと溶かし込む術を心得ていた。


 しばらく雑踏を歩いていた彼女は、ふと流れから外れ、路地裏へと足を向ける。

 その動きはあまりにも自然で、誰一人として――彼女の消失に気づく者はいなかった。


 路地裏は昼なお暗く、湿った空気が漂う。

 そこに、ビルの室外機の横で一人の女が壁に背を預けていた。


「――“彼”はどうだった? 澪音(れいん)


 声をかけられた澪音は、足を止めた。

 ただし、その視線は雑踏の方を見たままだ。


「……別に、何とも。あんな子が、本当に今回の対象なの?」


 その声色には、感情の起伏がない。

 まるで機械が音声を再生しているかのような、無機質な響き。


「さすが、“死灰(しかい)”ね。

 あなたにかかれば、彼もその程度ってことかしら」


 相対する女はくすりと笑い、室外機の上に腰を下ろす。

 赤みを帯びた髪を後ろで束ね、真夏にもかかわらず黒いスーツを纏っている。

 反射熱が肌を焼くほどの気温の中で、汗一つ見せない。


「それより――アカネ。任務の詳細を」


 澪音の言葉に、女――アカネはふっと口角を上げ、懐から封筒を取り出す。

 差し出された封筒には封蝋が押されており、澪音はそれを受け取ると、無言で目を通した。


「今は、“彼”の捕獲は保留。

 それより、“向こう”のワンちゃんたちが貴方を追ってるわよ」


「……いつも通り、蹴散らせばいいのね。

 方法は?」


「任せるわ。

 期が熟したら、また知らせる」


「……お尻、汚れるよ?」


「あら?」


 アカネは軽やかに室外機から立ち上がると、服の裾についた埃を払った。

 小さな笑みを浮かべながら、まるで子どもをあやすような柔らかさで言う。


「じゃあ、がんばってね。あなたの働き、期待してるわ」


 そう言い残すと、アカネの姿は影に溶けるように掻き消えた。

 音も、気配も、まるで最初から存在していなかったかのように。


 澪音は小さく息を吐き、封筒の中身――任務書を取り出す。

 そしてポケットからライターを取り出し、無言で火を灯す。


 白い炎が指令書を舐め、紙が静かに黒へと変わっていく。

 やがて、燃え尽きた灰がふわりと宙に舞い上がった。


 澪音はその光景を一瞥すると、踵を返して歩き出す。


 ――朝の風に乗り、灰は空へと溶けていった。

 まるで、これから訪れる闇の予兆を告げるかのように。

次回予告


 仲間と離れ、三人はそれぞれ“戻るべき場所”へ帰っていく。


 名家の静寂に閉ざされる理恵。

 地元で、かつての友と出会う杏樹。

 過去の痛みと今の幸せの狭間で揺れる亜子。


 それぞれの日常に落ちたひびは、やがて交わり始める。


 ──そして、闇の中で“死灰”が動き出す。


 次回、第55話『揺らぐ居場所』。

 静かな崩壊は、もう始まっていた。

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