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夢幻開現師 ―夢の守り人―  作者: ks21
第七章:死灰の残響編
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第53話「夏の余白」

 燃え尽きた戦いの熱が、まだ肌の奥に残っていた。

 止まった時間が、ようやく動き出す――そんな夏の終わり。


 束の間の休暇、そして、それぞれの帰路。

 蝉の声に混じって、かすかな記憶の残響が胸の底をかすめていく。


 まだ誰も知らない。

 その静かな夏の日々が、やがて“逢魔の刻”へと続いていることを――。

 ジジジジジジ――。


 まだ日も昇りきらぬというのに、電信柱に張りついた蝉が、息せき切って鳴いていた。


 すでにアスファルト舗装の道は、朝の陽光に照らされて輻射熱を放っている。

 これでは、飼い犬の散歩ひとつ出るのもためらわれるだろう。


 一通り、日課のジョギングを終えた和泉は、額ににじむ汗をぬぐいながら息を整えた。

 脳裏では、どうでもいい思考が泡のように浮かんでは消え、また浮かんでは消えていく。

 ――夏の朝というのは、そういう時間だ。


「……おお、もうこんな時間か」


 スマートフォンに表示された時刻を見た和泉は、慌てて動画アプリを開き、最近の日課になりつつあるラジオ体操の動画を再生する。

 イヤホンから流れる軽快なリズムに合わせて身体を動かしながら、ふと、これまでの経過を思い返した。



   *  *  *



 笠井先生から休暇を命じられた和泉は、特に予定もなく、夏の終わりまでをどう過ごすかに頭を悩ませていた。

 そんな折、所長の大塚 玲之(おおつか あきの)から呼び出しがかかる。


「和泉か、こっちへ」


 所長室の扉を開けると、玲之さんが笑顔で迎えてくれた。

 笠井先生と同様に付き合いは長いが、玲之さんはまた違う意味で“上の存在”だ。


 師である笠井先生が現場の炎なら、玲之さんは組織を束ねる氷。

 かつて笠井先生の師の先輩にあたり、俺にとっては“師の師”のような存在なのだ。


 大塚探偵事務所に入って以来、いくらか距離は縮まったつもりだが、それでもどうしても頭が上がらない。


「何だ? そんなに固くなるな。取って食おうってわけじゃないさ」


 緊張する俺を見て、玲之さんは肩をすくめた。


「は、はあ……」


 不意の呼び出しにどう返せばいいか分からず、声が裏返る。

 玲之さんはそんな俺を見て、静かに笑った。


 現役を退いたとはいえ、その内に眠る“牙”はいまだ衰えを知らない。

 ここにいる多くの女性職員の中でも、玲之さんはまさしく“キャリアウーマン”の象徴だった。

 理恵の品の良さとは違う、現場で磨かれた強さと気品がある。


「単刀直入に聞くが――和泉、お前、休暇中の予定は決まっているか?」


 思いがけない問いに、少し戸惑いながら答える。


「い、いえ……特には」


「そうか」


 玲之さんは何かを確かめるようにうなずくと、デスクに両手をつき、少し身を乗り出した。


「なら、私の里帰りに付いてこないか?」


「え……?」


 その提案に、思わず間抜けな声が漏れた。

 まさか休暇の行き先が、所長の“実家”になるとは思ってもみなかった。



   *  *  



「へぇー、よかったじゃん! トッキーも夏の予定が決まってさ!」


 訓練終わりに、杏樹から休暇中の予定を聞かれ、俺は玲之さんの実家にお世話になることを話した。


 あれから笠井先生は検査入院となり、訓練は一時中断。

 それでも俺たちは、休暇までの数日を使って自主練として集まっていた。


 突然の提案にもかかわらず、三人とも最終日まで参加してくれた。

 ……そういうところが、このチームのいいところだ。


「ところで、所長のご実家はどちらなんですか?」


「ああ、たしか香川の方だって聞いた」


「おおっ! なら、お土産はうどんで決まりだね!」


 杏樹が目をキラキラさせながら、俺の方にぐいっと顔を寄せてくる。


「あのなぁ……俺は別に遊びに行くわけじゃ――」


 たしなめようとしたそのとき、横の理恵まで楽しげに頷いていた。


「私も、おうどん自体あまり食べたことがなかったので……楽しみです!」


「お嬢様、酢橘(すだち)を入れて召し上がるのもおすすめでございます」


 いつの間にか理恵の付き人である藤本 梓(ふじもと あずさ)さんまで現れ、当然のように話に加わっている。


「さすが、和泉くん!

 気が利くね。ねえ、亜子ちゃん」


 七瀬 花奈(ななせ かな)さんがいたずらっぽく笑うと、亜子も少し頬をかきながら小さく頷いた。


「うん……。

 私も、食べたことない」


 意外にも、今回の自主練には亜子も全日参加していた。

 きっと彼女なりに、何か変わろうとしているのだろう。


「はあ……分かりましたよ」


 結局、押し切られる形で俺は妥協した。


「それで、りえっちはお屋敷に帰るの?」


「そ、そうですね。しばらく帰ってなかったので……。杏樹さんは?」


 理恵が珍しくしどろもどろになりながら答え、すぐに話題を逸らす。


「わたしも一緒。家族も心配してるだろうしね」


 杏樹は腕を後ろで組み、空を仰いだ。


「あこっちは、どうするの?」


「もうすぐ師匠が日本に戻るから、そっちに行く」


 三者三葉、それぞれの夏があるらしい。


「そっか~」


 杏樹が空を見上げ、しばらく黙り込む。

 蝉の声が、どこか遠くで濁って聞こえた。


「あれ、杏樹ちゃん、難しい顔してどうしたの?」


 花奈さんが首をかしげると、杏樹は「あー」と曖昧な声を漏らし、腕を組んだ。


「いやさ、せっかくの休みだし、みんなで何かやろうと思ってたんだけど……。

 みんな忙しそうでさ」


「何か、予定でもあるのですか?」


 理恵が問うと、杏樹は首を振る。


「別にこれってものはないけど、ほら……夏っぽいこと、やりたいなって」


 その言葉に、理恵の表情がぱっと明るくなる。


「それは素敵ですね!

 ぜひ、やりましょう!」


 理恵の勢いに押されて、杏樹も笑顔を取り戻した。


「よし! なら、海! 海とかどう!?」


 杏樹の提案に、即座に亜子が首を振る。


「パス。水着に着替えるの、恥ずかしい」


「俺も、パスかな」


「何よ~、少年。恥ずかしがるなよ~」


 花奈さんがにやにや笑いながら、俺の肩をぐりぐり押す。

 ……何を考えているかは、聞かずともわかる。


「う~ん、そっか~」


 再びうなり出す杏樹の様子を見て、ふと俺は笠井先生の言葉を思い出した。


「あっ、そうだ」


 全員の視線がこちらに向いた。

 俺は鞄から、笠井先生にもらった“例のチラシ”を取り出す。


「ん~? なになに?」


 興味津々の面々が、机に広げられた紙を覗き込む。


「おおっ! いいじゃん、花火大会!」


 杏樹が満面の笑みを浮かべて叫んだ。


「そうですね、花火大会なら参加しやすいですし。亜子さんもどうですか?」


 理恵に声をかけられ、亜子は一瞬だけ目をそらした。


「えっと……わたしは」


「いいじゃん、亜子ちゃん。せっかくの機会だし」


 花奈さんが優しく肩を叩くと、亜子は小さくうなずいた。


「でも、もう一つインパクトが欲しいかなぁ」


 杏樹がまた腕を組み、唸り出す。


「そうですわ! 皆様、浴衣を着ませんか? 私、何着か持っていますので」


 理恵が両手を合わせて提案した。


「それだ! それこそ夏のクライマックスって感じ!」


 杏樹が指を鳴らして喜ぶ。


「では、着付けもありますし……」


「そうだね。集合時間は――」


 笑い声が重なり、部屋の空気が一気に明るくなる。 夏の終わり、最後の想い出づくりとして――花火大会が決まった。



   *  *  *



 かくして、俺は玲之さんの実家がある――ここ「阿賀洲(あかず)町」へとやって来たのだった。


『5~、6、7、8――』


 気づけば、ラジオ体操の掛け声が終わりに差しかかっていた。


「しまった……ぼうっとし過ぎたな」


 朝日が差し込む河川敷で、ぽつりとつぶやく。

 空気はすでに温んでいて、川面(かわも)には白い陽炎が揺れていた。


 見上げると、路線電車の踏切橋が青く佇んでいる。

 錆びた鉄骨の向こうで、ひとつの車輪が光を跳ね返した。


 することもなく、俺は家路へと歩き出す。

 鳥の声と蝉の鳴き声が混じり合い、世界がどこか遠くに感じられた。


 ――この見知らぬ町で。


 遠い記憶の底に沈んでいた“残響”が、再び姿を現すなど。

 この時の俺には、想像もつかなかったのだ。

次回予告


 静かな夏の朝――。

 止まった時間のように、踏切が鳴り続ける。


 交差するのは、過去と現在、そして“祈り”の残響。


 その手に花を捧げる女を見たとき、

 和泉の中で、何かが微かに軋み始める。


 名もなき花、燃え残る灰。

 朝焼けの空の下、運命の歯車が再び動き出す――。


 夢幻開現師 第54話「朝焼けの残影」

 それは、静寂の中で始まる“邂逅”の予兆。

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