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夢幻開現師 ―夢の守り人―  作者: ks21
第七章:死灰の残響編
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第52話「追憶」

 揺らぐ陽炎は、幻のごとく――。


 それは、ひと夏の出会い。

 暮れ行く黄昏どきに、鳴り響く踏切の音。


 遠い記憶の残響は、かつての惨劇を想起させる。

 どうにもならないことを、どうにかしようとして――。


 暮れなずむ街の片隅で、

 一人の少年が彼女と出会う時、

 分かたれた運命が、静かに交差する。


「……私は、どうすればよかったの?」


 そして、生まれた出会いと悲劇は、

 再び遠い夏の思い出へと変わり果てるだろう。


 夢幻開現師 第七章 『死灰の残響』

 あの人と出会ったのは……そう、夏の暑い日のことだった。

 今ではもう、その熱の残り香だけが、胸の奥に残っている。



   *  *  *



 「シガイ塚」での事件のあと、俺たちはいつものように事務所に集まっていた。

 その日も、今後に向けて笠井先生との模擬戦を行っていた。


 夏の陽射しが窓の外で(にじ)んでいる。

 (あか)い光が床に散り、舞い上がった埃がゆっくりと踊っていた。

 あの頃は、それだけで――世界が続くような気がしていた。


「ふう……。

 今日も、なかなかいい感じだったね!」


 模擬戦を終えると、杏樹が満面の笑みを浮かべて声をかけてきた。

 その声には、いつもどこか真夏の蝉のような勢いがある。

 ――明るすぎて、まぶしいくらいだ。


 加藤 杏樹(かとう あんじゅ)

 年相応の明るい女の子。

 いや、もしかするとき少し無鉄砲なだけなのかもしれない。

 けれど、彼女がいるだけで空気が軽くなる。

 俺にはできない芸当だ。


「そうですね。以前よりも、自然に動けるようになったかと思います」


 長い黒髪をなびかせながら、理恵が静かに微笑んだ。


 來瀬川 理恵(くるせがわ りえ)

 ――その笑顔は上品で、どこか遠い。

 まるで、手を伸ばせば溶けてしまいそうな光のようだ。


 けれど、彼女と何度か任務を重ねてわかった。

 その優雅さの奥に、誰よりも強い意志があることを。

 そして、彼女もまた年相応の少女であることを。


「まあ、君たちがこの俺の動きにやっと付いてこられるようになったってところかな?」


 二人の視線を浴び、思わずおどけてみせた。

 ……我ながら、もっと良い返しができないものかと思う。


「うわ、出た! ナルシストだ!!」


 杏樹がジトッとした目でにらんでくる。

 その分かりやすいリアクションが、なぜかありがたい。


「ふふ、本当ですね」


 理恵が口に手を当てて笑う。

 その仕草ひとつで、彼女の“品の良さ”が際立つ。

 俺たちの中で、理恵だけはどこか別の空気を纏っている気がした。


「ねえ、あこっち~。どう思う?」


 杏樹が理恵の後ろに座る少女へ声をかけた。

 部屋にゆるい空気が流れる。

 ――こういう時間は、悪くない。


「寝言は寝てから言え」


 少女はさらりと言ってのけた。

 その声音があまりにも自然で、誰も返す言葉を失う。


 クリーム色の髪を後ろでふんわりとまとめ、

 やわらかな印象を与える彼女――川合 亜子(かわい あこ)

 見た目だけならおっとりとしたお嬢さんだが、口を開けば刃物よりも鋭い。

 それでもどこか憎めないのが彼女らしい。


「おお~! さすが、あこっち。きっついねえ~」


 杏樹が大げさに肩をすくめてみせた。

 その様子が妙に可笑しくて、つい笑ってしまう。


「なんだよ。こっちだって、みんなを和ませようとしてるんだぜ」


 少し照れ隠しのように言うと、


「だったら、もっと努力すべき」


 と亜子が間髪入れず返す。


 一瞬の沈黙。

 それから、理恵が堰を切ったように笑い出した。

 その笑い声につられて、杏樹も笑う。


 ……気がつけば、俺も笑っていた。


 彼女たちとチームを組んで、まだそれほど日は経っていない。

 けれど――今なら、ほんの少しだけ“仲間”と呼べる気がする。


 とくに亜子は、「シガイ塚」での戦いのあとから、

 表情がずいぶん柔らかくなったように思う。

 前はもう少し、誰も寄せつけない目をしていた。

 あの戦いが、彼女の何かを変えたのかもしれない。


「お前たち、ずいぶん盛り上がっているな?」


 俺たちが笑っていると、笠井先生が所長への報告を終えて戻ってきた。

 その声だけで、場の空気が一瞬で引き締まる。


 皆の視線が、自然と先生へ向いた。

 俺とはそれなりに長い付き合いだが、他のメンバーにとって笠井先生は“上司”そのものだ。

 緊張と尊敬が入り混じった空気が、部屋の温度を少し下げたように感じる。


「た、隊長……お、お疲れ様です!!」


 杏樹が背筋をピンと伸ばして敬礼する。

 いまだに先生を“鬼軍曹”か何かだと思っているらしい。


「加藤……その変な挨拶はやめろ」


 先生は手を軽く振り、疲れたように息を吐いた。

 杏樹は照れ笑いしながら、へへっと頭をかく。


「あれ? 先生、少し顔色悪くないですか?」


 俺は思わず声をかけた。

 いつもなら鉄のような眼をしているのに、その日の先生の眼にはどこか陰りが見えた。


「そうですね……。

 少しお疲れのご様子で」


 理恵も同じ違和感を覚えたのか、心配そうに言葉を添える。


 先生はしばし沈黙したまま、視線を落とした。

 そして、ふっと笑う――それは、いつもの笑みではなかった。


「……お前たちに心配されるようじゃ、俺もまだまだだな」


 そう言って笑った顔は、どこか影を帯びていた。

 次の瞬間、その表情はすっと消え、いつもの厳しさが戻る。


「確かに、連戦続きで疲労も蓄積しているだろう。

 だが、それはお前たちも同じだ」


 先生は手元のバインダーを開き、書類に目を通した。

 紙をめくる音だけが静かに響く。


「この前受けてもらった定期健診の結果、各自確認したか?」


 俺たちは顔を見合わせ、小さく頷いた。


「微量ではあるが、精神汚染値が検出されている。

 そのため、予定していた休暇を繰り上げて――来週から実施する」


 その一言に、俺たちの間に小さなどよめきが走る。


「でも、ボス。わたしはそれほどひどくなかったよ」


 真っ先に亜子が声を上げる。

 続いて杏樹、理恵、俺も同じように言葉を重ねた。


 しかし、先生は手を上げて俺たちを制した。


「確かに、今はな。だが、鬼夢の発生件数は今年に入って増加傾向だ。

 今、無理をすれば、必ずどこかで歪みが出る。

 ……そうなってからでは遅い」


 その声は穏やかだが、どこか遠くの誰かに語りかけているようにも聞こえた。

 まるで、過去に何かを失った者の言葉のように。


 確かに、先生の言うことは正しい。

 だが、やっとチームとして噛み合ってきた矢先だった。

 訓練が止まるのは、正直つらい。


 俺たちのそんな気持ちを察したのか、先生はゆっくり顔を上げた。

 その目は、いつもより少し優しかった。


「お前たちの気持ちも分からんでもない。

 だがな、本当のプロってのは、休める時にちゃんと休むものだ」


 その言葉が胸の奥に染みた。

 それがただの教訓ではなく、先生自身の痛みから出た言葉だと分かったからだ。


 もう、誰も異を唱えなかった。

 夏の陽射しだけが、窓の外で静かに揺れていた。



   *  *  *



「……和泉、少しいいか?」


 他のメンバーが帰ったあと、笠井先生が俺を呼び止めた。

 室内の空気はもう冷房が切れていて、夏の名残りがじっとりと肌に張りついている。


「どうかしましたか?」


「少し、話がある」


 先生はソファに腰を下ろし、向かいの席を指さした。

 突然のことで、何か叱られるのかと胸の奥がざらつく。

 それでも素直に座ると、先生は少し照れたように笑った。


「……悪いな、呼び止めてしまって」


 カーテンの隙間からこぼれたオレンジの光が、先生の横顔を染める。

 その光は、まるで薄くなった命の熱を映しているようだった。


「どうだ? 連中とチームを組んでみて」


 意外な問いに、一瞬だけ戸惑う。

 けれど、俺は正直に答えた。


「正直、一人の頃とは違って、やりづらい部分もあります。

 でも、あいつらと一緒に戦っていると……自分も少しは変われている気がします」


 自分で言って、少し気恥ずかしくなった。


「……そうか」


 先生はそれだけ呟くと、再び窓の外に目をやった。

 沈みゆく陽が、室内の影を長く伸ばしていく。


「まあ、だがな。任務だけってのも味気ないものさ。

 たまには羽を伸ばすのも悪くない」


 先生は一枚の紙を取り出し、テーブルに置いた。


「これは――」


 見れば、夏の終わりに開催される地元の花火大会のチラシだった。


「こういう時は、男のほうから誘うのがマナーだろ?」


 先生が少しだけ悪戯っぽく笑う。

 その笑顔を見て、ようやく緊張が解けた。


「分かってますよ」


 俺はチラシを手に取り、苦笑する。


「だが、“不純異性交遊”は認めんぞ」


 その言葉に、思わず吹き出した。

 こんなときでも冗談を言える――それが、この人らしい。


「じゃあ、俺もそろそろ上がります」


「悪いな、時間を取らせちまって」


 先生が立ち上がろうとした――その瞬間。


「――っ!?」


 身体が傾ぎ、椅子がきしんだ。


「先生!?」


 俺は慌てて肩を支える。

 その腕から伝わる体温が、異様に熱い。


「……大丈夫だ。少し、力が抜けただけだ」


 先生は手で制して笑おうとする。

 だが、その笑みはどこか遠くの誰かのもののように見えた。


「先生こそ、無理しちゃだめでしょ!!」


「分かってるさ……検査は、受ける」


 その声は、夏の終わりの風のようにかすれていた。


(きっと……俺たちに弱い姿を見せたくなかったんだろう)


 先生が再び椅子に深く腰を下ろすのを見届け、俺は事務所を後にした。


 階段を下りると、外はすっかり夕刻だった。

 人々の往来、遠くで鳴る車のクラクション。

 空には傾いた太陽と、溶けかけたオレンジ色に包まれた街並み。


 止めていた自転車にまたがり、ペダルを漕ぐ。

 ふと振り返ると、事務所の窓が陽に照らされてきらめいていた。

 その光が、どこか懐かしい――燃え尽きた炎の残り火のように思えた。

次回予告


 燃え尽きた炎の残り香が、まだ胸の奥に燻っていた。

 仲間と交わした笑い声も、師の背に見た強さも――

 すべてが、夏の陽炎のように遠ざかっていく。


 けれど、それでも季節は止まらない。


 束の間の休息、そして、それぞれの帰路。

 静けさの中で、誰もが自分という影と向き合っていた。


 やがて、遠い残響が、ひとりの少年を呼び覚ます。

 それが何を告げるものかを、まだ誰も知らない。


 次回、夢幻開現師 第53話「夏の余白」

 ――揺らぐ陽炎は、幻のごとく。

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