第40話「黄昏の戦姫」(後編)
*こちらは、第40話の後編になります。
「よくもォォ……!!」
蟻婆の咆哮と共に、石弾が再び嵐のように吐き出される。
その数は先ほどをも凌駕し、黒紫の奔流となって視界を覆い尽くした。
亜子は必死に身を翻す。
だが――蓄積したダメージが確実に身体を蝕んでいた。
(……足が……重い!?)
一瞬。視界が揺らぐ。
その隙を――蟻婆が見逃すはずもなかった。
「カアアアアアアアッ!!」
裂けた自らの脚を掴み、槍のように亜子へと投げ放つ。
「――ッ!?」
亜子は反射的に跳ぶ。
致命傷は免れた。
だが――
ズブリッ。
「くッ……!」
鋭い脚が、彼女の踵を貫いた。
鮮烈な痛みが背骨まで奔り、身体の動きが鈍る。
さらに追撃が迫る。
だが――少女の身体は鉛のように重く、もはや動けなかった。
石弾が――眼前へと迫る。
(……あぁ……)
亜子の脳裏に、過去の記憶が一気に噴き出していく。
――思い出したくもない、地獄のような日々。
――それでも、確かにそこにあった大切なもの。
(……ごめん……イユ、マイ、リコ……!)
胸を裂くような痛みが走る。
仲間を守れなかった悔恨。
不甲斐ない自分への怒り。
それが全身を焼き尽くすように駆け巡る。
――だが、もう手は届かない。
石弾が迫り、亜子は思わず目を閉じた。
――ガンッ!!
轟音。
次の瞬間、眼前の礫弾はすべて弾かれていた。
『――間に合った!』
光の壁が亜子を覆っていた。
花奈が必死に張った結界が、迫りくる死を押し返していたのだ。
「……どうして」
亜子は息を呑む。
守られた安堵と――込み上げる悔しさ。
自分は、また守られてしまった。
仲間を救えなかったあの日と同じように。
唇を噛みしめる。
口中に広がる鉄の味は、後悔の味だった。
『亜子ちゃん……私はあなたの過去に何があったかは知らない。
でも――誰かを頼ることは、そんなに悪いこと?』
花奈の声が、優しくも真っ直ぐに響く。
揺らいだ心に、その言葉はかつての友の面影を呼び覚ました。
――“あーちゃん。他人を頼るのも、大事なことなんだよ”
慧珠から放たれる光が温かく亜子を包み、傷だらけの肉体を癒していく。
裂けた踵も、石弾に打たれた痕も、光の下でゆっくりと塞がっていった。
「……すごい。こんなに早く……」
驚愕の息を漏らす亜子。
『一時的なものだけど……でも、これで戦えるでしょ!』
花奈の励ましに、亜子の瞳が再び強く光を帯びる。
「……うん!」
力強く頷いたその姿に、蟻婆の目が細くなる。
焦りがにじみ、醜悪な口元からしわがれた声がこぼれた。
「ちィ……! これ以上は分が悪いか……」
踵を返し、逃走を図る。
――バンッ!!
だが、その行く手を黒き烈風が塞いだ。
「おい。誰が逃げていいと、言った?」
漆黒の風を纏う笠井が立ちはだかる。
蟻婆の複眼に怒気が走る。
「くッ……!? なぜ援軍が来ぬ!? 約束では……すでに来ているはずじゃッ!」
その瞬間、脳裏をよぎる。
――気付いてしまった。自分は“捨て駒”。
(わしは……最初から切り捨てられる運命……?)
複眼が揺れる。
あれほど誇り高く叫んでいた老婆の面影は、一瞬だけ「哀れな犠牲者」の姿を覗かせた。
「……おのれェェェッ! 朱天ッ! 計りおったなぁ!!」
怒号と共に憤怒を燃やす蟻婆。
だが、その前に再び立ちはだかる影があった。
――川合 亜子。
炎を宿した瞳で、一歩も退かずに見据えていた。
「こうなれば……! 貴様を殺して、奴の思惑ごと潰してやる!!」
怒り狂う蟻婆が石弾を吐き散らす。
しかし――花奈の張った結界がそのすべてを弾き返す。
「なっ……!?」
結界の光の中で、亜子が静かに右手を掲げる。
その姿はもはや“モルモット”などではない。
ひとりの戦士――そして、自らの意志を持つ人間の姿だった。
「あんたたちの思い通りになんて……絶対にならない!」
その宣告に、蟻婆の複眼が揺れる。
己の終わりを悟ったのだ。
「アアアアアアアアッ!!」
咆哮と共に襲いかかる攻撃は、光の壁に遮られ霧散する。
静寂が訪れる。
その中心で、亜子の口がゆっくりと動いた。
「……我が敵を討て――」
大地が震え、空気が張り詰める。
世界の呼吸が、一瞬止まった。
「――綾悉兵・砲部限定ッ!!」
燦然たる光柱が闇を裂いた。
次の瞬間――
亜子の両腕に顕現したのは、白銀に灼ける三連装の巨大機銃。
砲身は清冽と邪気のあわいに脈打ち、装甲の継ぎ目からは星屑めいた火花が滴る。
まさしく、悪夢を断罪するためだけに鍛えられた“律”の兵器。
「……何だ、あれは?」
笠井の眼がわずかに見開く。
その刹那、世界が――“揺れた”。
きぃ、きぃ、と歯車が噛み直すような違和の波。
景色の輪郭が半拍ぶれて戻る。
足下の大地すら薄膜越しに見えるかのように位相がずれる。
(質量が乗った……? 顕現の瞬間に“世界側”がラグった……尋常ではない)
ヴァジュラの発動に伴い、鬼夢そのものの許容量が一時的に軋んだのだ。
その余波は敵へも及ぶ。
「き、貴様……そ、それは――!」
蟻婆の複眼がひくつく。
一瞬、思考が空白になる。
遅れて、自分が今どれほど不利な位置に立たされたのかを理解した。
亜子は肩の線ひとつ揺らさず、銃口をわずかに上げた。
「……じゃあね」
静かな別れ――
ドオオオオオオオオオッ!!
砲声が異界の柱を折る。
収束された光が連弾となって解き放たれ、白熱の奔流が蟻婆の装甲を層ごと剥いでいく。
音は遅れて押し寄せ、街並みの影が一度だけ逆光に透ける。
甲殻が裂ける乾いた悲鳴、焼け焦げる匂い、圧縮空気の衝撃。
三感すべてが飽和し、闇は白で塗り潰された。
「ひいいいいぃぃぃぃッ!!」
絶叫が木霊する。
どんな刃も砕けなかった堅牢な甲殻が、光弾の奔流の前では脆い紙のように切り裂かれていく。
豆腐を切るように細切れにされ、肉体は光の奔流に飲み込まれていった。
やがて砲声は止み、銃身から立ち上る白煙だけが残る。
「……終わったな」
笠井が低く告げる。
その言葉の通り、悪鬼の残骸は霧散し、主を失った鬼夢の世界は音を立てて崩壊を始めた。
(だが、これほどの力を有した悪鬼……奴の“白影”と同じ因果が、ここにも――)
笠井の憂いとは裏腹に、深海に沈んでいた町並みが浮上し、砕けた空の裂け目から、一筋の木漏れ日が差し込む。
黄金の光が、亜子の身体を包み込む。
その姿は、戦場に立つひとりの少女であると同時に――まるで黄昏に舞い降りた女神のように神々しく輝いていた。
『……黄昏の、戦姫……』
花奈は思わず、声にならぬ憧憬を呟いた。
「――さあ、戻るぞ」
崩れゆく深海の夢幻を背に、笠井の声が響く。
少女の戦いは、確かにここで終わりを告げた。
◇ ◇ ◇
光が収束し、現実の島の夜が戻る。
海風が冷たく頬を撫で、耳の奥にかすかに波の音が差し込んできた。
荒い息を整えながら、亜子は拳を見つめていた。
光を帯びていた砲は既に霧散し、ただの傷だらけの腕に戻っている。
「……わたし、本当に……」
声は震え、だがそこにあったのは怯えではなく実感だった。
「戦えたんだ……」
花奈が駆け寄り、迷わずその手を取った。
小さな掌が、汗と血に濡れた拳を優しく包み込む。
「うん! すっごく……すっごく強かったよ! 亜子ちゃん!」
その言葉に、亜子の瞳が揺れる。
あの日救えなかった友の顔が脳裏をよぎる――だが今、花奈の涙交じりの笑顔がその影を覆っていった。
「……ありがとう」
かすれた声で呟くと、花奈は堪えきれず抱きついた。
亜子は少し戸惑いながらも、その背をそっと支える。
その様子を見届けて、笠井はわずかに目を細める。
戦場では決して見せない、柔らかな眼差しだった。
(……生き延びるだけじゃない。誰かに寄り添われ、支えられることで、人はようやく前に進める)
彼の胸中にもまた、かつての“失われた誰か”の影が掠めていた。
やがて、亜子が静かに顔を上げる。
「……ボス。あたし――もっと強くなれるかな」
その問いは震えながらも、確かな未来を求める響きを宿していた。
笠井は短く息を吐き、微かに笑んだ。
「ならば、ここからだ。……お前が選ぶ限り、道は続く」
亜子は頷く。
その頬に流れる涙は、もう悔しさだけのものではなかった。
夜空には雲の切れ間から星が瞬き始めていた。
その光が、三人を静かに照らしていた。
【次回予告】
悪鬼・蟻婆との死闘は終わった。
だが亜子の胸に残るのは、消えぬ痛みと喪失。
花奈の手が、その心を繋ぎとめる――。
そして現れる、菩提府の影“聖斂隊”。
新たな光か、さらなる闇か。
次回、第41話「光輝への旅立ち」
涙と抱擁が、少女を再び現実へと導く。
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