第35話「迎陽の墓標」
黒の部隊を揺るがす「理想と責任」の狭間で、時は流れる。
一方その頃、笠井と花奈は新たな候補生を探し、海を越えて小さな離島へと向かっていた。
潮騒に包まれた静かな島。
だが、その奥に眠るのは――忘れられた廃墟と、ひっそりと積まれた石の墓標。
そして彼らが出会うのは、両腕に抱えきれぬほどの向日葵を抱えた、ひとりの少女。
哀しみと光を宿したその瞳が、黒の部隊の未来を大きく揺り動かすことになる。
黒の部隊を揺るがす「理想と責任」の狭間で、時は流れる。
一方その頃、笠井と花奈は新たな候補生を探し、海を越えて小さな離島へと向かっていた。
潮騒に包まれた静かな島。
だが、その奥に眠るのは――忘れられた廃墟と、ひっそりと積まれた石の墓標。
そして彼らが出会うのは、両腕に抱えきれぬほどの向日葵を抱えた、ひとりの少女。
哀しみと光を宿したその瞳が、黒の部隊の未来を大きく揺り動かすことになる。
笠井と花奈を乗せた船は、ゆるやかに波を割り、目的地の港へと滑り込む。
並ぶ木造の桟橋には小さなボートがいくつも繋がれ、少し先には魚市場の建物が軒を連ねていた。
潮風に混じる磯の香り。
防波堤に砕ける波の音。
空を見上げれば、白いカモメと黒いカラスが入り交じり、鋭い声を響かせて旋回している。
「俺は対象と会いに行く」
船を降りた笠井が、短く告げる。
「なら、私も一緒に――」
花奈が追いすがろうとするが、彼は首を横に振った。
「いや、悪いが向こうからの要望で、俺一人がいいらしい」
「……はあ」
花奈は深いため息をこぼす。
置き去りにされる感覚は、もはや慣れつつある――それがかえって苦い。
――また、一人。
気持ちを持て余しながら、港の魚市場をひととおり見て回る。
新鮮な魚を並べる威勢のいい声、氷が溶け落ちる水音、潮の香り……それらも、どこか他人事のように通り過ぎていく。
次に民家の並ぶ通りを歩いてみるが、島の広さに比して人の住む家は驚くほど少ない。
空き地と草むらが目立ち、どこか“人が去った後”のような寂しさを漂わせていた。
花奈はポケットからスマホを取り出し、画面を何度も確認する。
――鳴らない。
じれったい沈黙が続き、胸の奥で不安が膨らむ。
「……まさか忘れた、なんてことないよね」
ぽつりと呟いたそのとき、視界の端に人影が差し込む。
思わず顔を向けると、そこにはひとりの少女がいた。
年の頃は和泉や理恵と同じくらい――高校生ほどだろうか。
(あの子……?)
少女は大きなカバンを片手に、悪戦苦闘していた。
華奢な腕にはさらにもう一つ、抱えきれないほどの荷物。
そしてその中身は――
陽光を浴びて揺れる、一面の向日葵。
両手いっぱいの黄色い花弁が、彼女の小さな身体を覆うように輝いていた。
大きな麦わら帽子に、白のワンピース。
抱えた向日葵と相まって、まるで絵画から抜け出したように、その少女の姿は島の風景に不思議なほど溶け込んでいた。
「大丈夫? 手伝うよ」
花奈が声をかけると、少女がゆっくり振り向く。
その瞬間、心臓が――どきり、と跳ねた。
(き、きれえ……!)
透き通るような白い肌は陽光を受けて淡く輝き、柔らかなクリーム色の髪は風に揺れて波打つ。
後ろで結ばれた髪が光を散らし、まるで金糸のようだった。
ぱちりと開いた瞳には空の青が映り込み、見つめられるだけで吸い込まれそうになる。
だが同時に――底知れぬ影も潜んでいるように見えた。
「……お人形さんみたい」
思わず漏らした言葉に、少女が首をかしげる。
「?」
「あっ、ああ!? ごめん、ごめん!」
慌てて取り繕う花奈。しかし、少女は気にする素振りもなく、じっと見つめてきた。
「ナンパ?」
小さな唇から、不意にそんな言葉が飛び出す。
「い、いやいや!? ちがうってば! 何か、困ってそうだし、手伝おうかと思っただけ!」
再び慌てる花奈。少女は口元をわずかに緩めると、ひと言。
「冗談」
「は、はあ……」
肩を落とした花奈に、少女はひょいと大きな鞄を差し出す。
(……つかみどころがない子だなぁ)
花奈は仕方なく鞄を受け取り、その小さな背中の後を追うことにした。
「その向日葵は……誰かへのプレゼント?」
問いかけに、少女はこくりと頷く。
だが言葉はなく、そのまま足を進めていく。
港の喧噪はすぐに遠ざかり、道はやがて島の奥へ。
少女が迷いなく踏み込んだのは、鬱蒼と木々が茂る森の入口だった。
「ちょ、ちょっと待って! 本当にこっちで合ってるの!?」
花奈の声に、少女はまたも静かに頷くだけ。
(こんな可愛らしい子が、森の中に……いや、絶対ヤバいやつでしょ!)
ひやり、と背を汗が伝う。
それでも少女は一度も振り返らず、影の深い森の奥へと消えていった。
「……ええい、ままよ!」
花奈は息を整え、意を決して後を追う。
木漏れ日さえ遮られる森を抜けたとき、不意に視界が開ける。
「な、何ここ……?」
そこに佇んでいたのは、大きな施設のような建物だった。
壁や屋根は蔦と草に覆われ、窓は割れ落ち、錆びついたフェンスが不気味に軋んでいる。
――廃墟。
人々に忘れられ、時間に置き去りにされた空間。
しかし少女は一瞥もせず、その横を素通りしてさらに奥へと進んでいく。
やがて、彼女は不意に立ち止まった。
「……着いた」
ぽつりと告げると、両腕で抱えていた向日葵をそっと地面へと置く。
そこにあったのは、粗末に積み重ねられた石の塔――。
(……お墓?)
墓と呼ぶにはあまりにみすぼらしい。
誰も足を止めず、誰も祀らぬような場所。
けれど少女は、その前に膝をつき、深い悲しみを湛えた瞳で、愛おしげに花を供えた。
「みんな……帰ってきたよ」
囁く声は、風に揺れる向日葵とともに森へと溶けていく。
「……終わったよ」
少女は暫しの間、黙祷を捧げ、やがて花奈へと視線を向けた。
「大切な人のお墓なの?」
花奈の問いに、少女は遠い目をその小さな墓標へ向ける。
理恵が和人形なら――この少女の儚さと美しさは、まさに洋人形。
「……うん。大切な家族の」
陽に照らされた少女の横顔は、金色に染まり、言葉にできないほどの輝きを放っていた。
その光の中に、かつての惨劇の残響を抱えながら――彼女は、ただ生きていた。
二人は小さな墓標を後に、森を出る。
差し込む木漏れ日が、どこか現実に戻ってきたことを告げていた。
「そういえば、名前をまだ聞いてなかったよね。わたしは――七瀬 花奈」
花奈が微笑みながら名乗ると、前を歩いていた少女が足を止め、静かに振り返る。
「……亜子。川合 亜子」
その名を告げる声音は小さいながらも、不思議な余韻を帯びていた。
夏風がふたりの間を吹き抜ける。
揺れる向日葵の香りとともに――止まっていた時が、ゆっくりと動き出す予感が訪れるのだった。
【次回予告】
忘れられた墓標に、向日葵を捧げた少女――川合 亜子。
彼女は、かつて忌まわしき実験の唯一の生き残りだった。
その過去が明かされるとき、黒の部隊の未来は大きく揺らぎ始める。
次回、第36話「忌まわしい記憶」
――語られる真実は、希望か、それとも呪縛か。
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