第34話「理想と責任」
かつて菩提府随一の開現師とまで謳われた女傑――大塚 玲之。
その肩に今あるのは、組織から離れ、新たに築き上げた「黒の部隊」という重責。
己の理想と責任のはざまで揺れる玲之の前に現れるのは、かつての弟子・南 沙織。
再会の中で交わされる言葉は、過去と現在を結びつけ、やがて彼女の歩む道を照らすものとなる。
重圧の只中に立つ玲之が選び取る答えとは――。
「怪人“赤マント”」「ガブルマンによるデスゲーム」「金是町での血花桜事件」……。
数々の事件を解決してきた大塚探偵事務所――もとい、『黒の部隊』。
だが、その存在を疎ましく思う者も少なくなかった。
所長・大塚 玲之は、菩提府本部へと召還されていた。
『菩提府』――国家公認の鬼夢専門特務機関。
その成り立ちは飛鳥時代にまで遡るとされ、比叡山の中腹に築かれた本部は外観こそ荘厳な寺院。
だが内部は、冷ややかな光を放つ最先端の技術と防衛機構に満ちていた。
まさに“夢の戦場”に立つ者たちの中枢である。
玲之が呼び出された理由は――上層部からの横やりに他ならない。
「大塚所長。今回の金是町での事件……君の部隊が単独で動いたと聞いているが?」
薄暗い議場。
机を挟み、ずらりと並んだ老人たちの視線が一斉に玲之を射抜く。
冷気のような圧が皮膚を刺す。
「今回は緊急を要しました。応援を待てば被害は拡大したでしょう。ゆえに、我々が有する“独立行動権”を行使したまでです」
毅然とした声。
気圧されたら終わりだと、玲之は知っていた。
「しかしねえ。権限があるからといって、勝手が過ぎれば示しがつかん」
「來瀬川家と勝手に接触するとは、身の程をわきまえたまえ!」
「もし世間に知られれば、収拾がつかんのだ!」
次々に浴びせられる声。
玲之は拳を膝の上で強く握った。爪が掌に食い込む。
――だが、顔には出さない。
「……ですが、我々の行動は『無上衆』の承認を得ています」
一言で、場が凍りつく。
老人たちは互いに視線を交わし、言葉を失った。
「……まあ、今回は彼らの顔を立てるとしましょう」
中央に座す男が、歯切れ悪く結論を下す。
「だが忘れるな、大塚所長。君の部隊は“実験的な存在”だ。これから現れる新たな戦力の――ただの先駆けに過ぎないのだからな」
冷ややかな声が響く。未来をすでに決めつけるかのように。
玲之は黙して受け止めた。
だが胸の奥には、消えぬ火種が確かにくすぶっていた。
◇ ◇ ◇
「先生」
議場を出た玲之を呼び止める声。
「……沙織か」
廊下に立っていたのは――『南 沙織』。
凛とした表情の奥に、研ぎ澄まされた力強さを宿す。
幾多の戦場をくぐり抜けた者だけが纏う風格が、その姿にはあった。
肩まで流れる髪は柔らかく波打ち、眼差しは鋼のように鋭い。
「先生が珍しくこちらへ来られると聞いていましたので、待たせてもらいました」
「沙織……あんたも、日本に戻ってきていたのか?」
「数日前に、報告のためです。先生は――」
「ふん、老人どもの愚痴を聞かされただけさ」
玲之は顔をわずかに歪めた。つい先ほどのやり取りが脳裏をよぎる。
「それは、災難でしたね」
沙織は小さく笑みを浮かべると、声を落とした。
「良ければ、お茶でもどうですか? この前の出張の際に、いい茶葉を手に入れまして」
二人は応接間へと足を運ぶ。
深紅の絨毯、磨き込まれた調度品。
蓄音機から流れるジャズの旋律が、柔らかく空気を満たしていた。
沙織は慣れた手つきで紅茶を淹れ、玲之の前に差し出す。
深紅の液体から芳醇な香りが立ちのぼる。
玲之は一口含む。
香ばしさと渋みが舌を満たし、熱が喉を落ちていく。
苛立ちでこわばっていた胸の奥が、少しずつ解けていった。
「上層部は……なんと?」
沙織はカップを置き、低く問う。
「こっちの動きが目障りなんだろうさ」
玲之は紅茶を揺らしながら答える。
「……まあ、連中の言い分も分からなくはないんだがな」
玲之は苦笑した。
菩提府という巨大な組織を動かす以上、上層部の存在は避けては通れない。
だが同時に――その古びた論理こそが、現場を縛っている。
「……すみません。私の力が足りなくて」
沙織の声は沈んでいた。
「あんたはよくやっているさ――それに、亮もな」
笠井の名が出た瞬間、沙織の顔に光が差す。
「あの子も、少しずつ勘を取り戻しているようですね」
「ああ。亮がいなければ、私もここまで来られなかっただろう」
大塚 玲之。かつて菩提府随一と謳われた開現師。
その地位を捨ててでも成し遂げたかったもの――それが、黒の部隊の設立だった。
「亮には私の我儘に付き合わせてしまったが……そのおかげで、有望な子たちと共に戦えている」
「……ご子息の一件ですか」
沙織の問いに、玲之の表情が曇る。
「――これは失礼しました。無神経なことを」
「いや、いい。実際に、私怨も多分にあるだろうさ」
玲之は苦く笑い、そして言葉を続けた。
「だが……それでも。あの悲劇を、もう二度と繰り返させたくはない」
沙織はその横顔をじっと見つめ、やがて視線を窓の外へと移す。
灼けつく陽光が、夏の支配を誇示するかのように大地を照りつけていた。
――私怨、理想、責務。
それぞれの想いが渦巻き、交錯しながらも。
世界を蝕む悪意に立ち向かう者たちの意志だけは、確かにひとつへと収束していく。
【次回予告】
夏の陽光、抱えきれぬ向日葵。
白いワンピースの少女が立つのは、忘れられた廃墟の奥――粗末な墓標の前。
花奈が見たその横顔に、時が動き出す気配が宿る。
次回、第35話「迎陽の墓標」
――その出会いは、希望か、それとも運命の残響か。
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