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夢幻開現師―悪夢を断つ者―  作者: ks21
第三章:紫苑の令嬢編
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第21話「咲き乱れしは、哀しき囚人たちよ」

 一方、その頃――。


 崩れ落ちた小美濃家の廊下が、吹き荒れる砂塵の中へ呑み込まれていく。


 壁も天井も消え去り、鬼夢の景色は乾いた荒野へ姿を変えていた。


「とっとと鼠は、屋敷から出ていけェッ!」


 祖母の姿をした悪鬼の怒声が、荒野を震わせる。


 その声に呼応し、鬼夢に囚われた澄香の父を縛る黒い糸が一斉に張り詰めた。


「ぐっ……!」


 父の顔から血の気が引く。


 黒い糸へ抗うように腕を震わせながらも、その呪縛から抜け出すことができない。


 右腕から突き出した黒い鎌が、笠井へ向けて振り下ろされた。


 砂混じりの風が巻き上がり、鋭い刃が頭上へ迫る。


「……隙だらけだ」


 笠井は半歩だけ前へ踏み込んだ。


 ガンッ!


 錆びた金槌――風塵鴉鎚《ふうじんがつい》が、父の腹を捉える。


 鈍い衝撃音とともに身体が折れ曲がり、鮮血が砂の上へ細い弧を描いた。


「ゴハッ……!」


 父は膝から崩れ落ちた。


 それでも鎌を杖代わりにし、震える脚で立ち上がろうとする。


 その瞳には、助けを求める色が浮かんでいた。


 だが、祖母の支配へ逆らう意志だけは、最後まで宿らない。


「やめておけ」


 笠井の低い声が、砂嵐の音を断った。


「その程度の覚悟で、誰かを守れると思うな」


 父の唇がわななく。


 こぼれたのは反論ではなく、鉄臭い血と、遅すぎた後悔だった。


「情けないねぇ、あんたは……」


 祖母の姿をした悪鬼が、憎悪と嘲笑の入り混じった笑みを浮かべる。


 皺だらけの頬が吊り上がり、開いた口から腐肉の臭いが漂った。


「甲斐性も、意志も、誇りもない。全部、あんたのせいだよ!」


 悪鬼は倒れた父へ、ゆっくりと近づいていく。


「あんたが何も決められないから、あたしがこの家を守るしかなかったんだ!」


「や……やめろ……」


 父は逃れようと身を捩った。


 しかし、身体に絡みついた黒い糸は緩まない。


「だったら――あんたは、あたしの糧になりな!」


 悪鬼が父の首筋へ牙を突き立てた。


 温い血が弾け、青白い光が傷口から吸い上げられていく。


 精気を啜る湿った音が、荒野へ響いた。


「やめろッ!」


 笠井が風塵鴉鎚を振り抜く。


 巻き起こった真空の刃が、祖母の姿をした悪鬼を斜めに切り裂いた。


 父を拘束していた黒い糸が千切れ、その身体が砂の上へ投げ出される。


 だが、悪鬼の傷口から噴き出したのは血ではない。


 黒い蒸気が渦を巻き、裂けた身体をつなぎ合わせていく。


「ひひひ……うまかったわぁ……」


 悪鬼は恍惚とした表情で、濡れた唇を舐めた。


「あんたのも、味見させておくれなァ!」


 背中が大きく膨れ上がる。


 肉を突き破り、黒光りする翅が左右へ広がった。


 熱気と腐臭が入り混じり、耳障りな羽音が風を震わせる。


 笠井は倒れた父から目を離さず、淡い水色の慧珠へ呼びかけた。


「七瀬。父親の治療を頼む」


 父の身体を、淡い光が包み込む。


『了解しました。こちらで意識を保たせます』


 花奈の返答を聞き、笠井は空を舞う悪鬼を睨み上げた。


「シャアアアアアッ!」


 悪鬼が急降下する。


 鋭い爪が稲妻のように閃き、笠井の立っていた砂地を深く抉った。


 笠井は紙一重で身をかわし、巻き起こる風の流れを読む。


「ひひっ……逃げ回るしかできないのかい!」


 悪鬼は砂嵐の中へ身を隠し、再び上空から鎌を振り下ろした。


 刃が笠井の肩を切り裂く。


 しかし、裂けたのはジャケットだけだった。


「……終わりだ」


 砂塵の向こうで、笠井が風塵鴉鎚を構える。


 足元の砂が渦を巻き、周囲の風が一点へ収束していく。


「――大鏡辻風《だいきょうつじかぜ》」


 荒野が大きく割れた。


 地中から立ち上がった巨大な竜巻が、悪鬼の身体を呑み込み、上空へ巻き上げる。


「な、なんじゃとォ!?」


 悪鬼が暴れ、黒い翅を羽ばたかせる。


 だが、風の檻から逃れることはできない。


 笠井は竜巻を駆け上がり、その腹部へ左手を添えた。


「――失意落城《しついらくじょう》!」


 爆ぜた風圧が、悪鬼を地上へ叩き落とした。


 砂地が陥没し、衝撃によって周囲の岩が砕け散る。


 やがて砂煙が晴れ、荒野へ沈黙が訪れた。


「……まだ……終わってない……」


 地面に横たわる悪鬼の皮膚が、乾いた音を立てて剝がれていく。


 祖母の顔が崩れ、その内側から現れたのは――澄香の母だった。


 母の内側には、いつしか祖母の声が深く根を張っていた。


 長い年月をかけて染みついた因習と怨念。


 鬼夢はその呪縛へ祖母の姿を与え、母の心と身体を覆い尽くしていたのだ。


 ただれた頬を、一筋の涙が伝う。


「やらなきゃ……」


 母は、誰に言い聞かせるでもなく呟いた。


「私が……この家を守らなきゃ……」


 その言葉は、すでに本人の心にすら届いていない。


「……もう、いい」


 花奈の光に包まれた父が、掠れた声を絞り出した。


「これ以上は……やめろ……」


 母の目が、ゆっくりと父へ向けられる。


 笠井は二人を見下ろし、静かに風塵鴉鎚を下ろした。


「あんたも腹を括れ」


 その言葉は、父へ向けられていた。


「家族を取り戻したいなら、今度こそ自分の手で守れ」


 父は答えられない。


 それでも震える腕を伸ばし、倒れた母の手を握った。


 荒野の先――丘の上で、血花桜が赤黒く脈打っている。


 花弁は呼吸するように開閉し、樹皮の下では、巨大な何かが蠢いていた。


 愛という名の檻。


 狂気と怨念を孕み、咲き乱れる牢獄。


「……放ってはおけんな」


 血花桜を見据える笠井の瞳に、静かな怒りが宿った。


◇◇◇


 金是町の別の一角では、紫の閃光が白い糸を切り裂いていた。


 女牢蜘蛛の脚が屋根を穿ち、理恵の立華鉢頭摩鋏《りっかはずまぎょう》と激しくぶつかり合う。


 刃と糸が衝突するたび、紫の火花が町家の屋根へ降り注いだ。


 紫光と白い糸は互いに退かず、金是町の空を削り続けている。


 その遥か先で――。


『百希夜くん、右後方!』


 花奈の警告が飛ぶ。


 和泉は即座に身を翻した。


「了解!」


 点火針《てんかしん》が赤い軌跡を描き、背後から迫っていた根を断ち切る。


 だが、地の底から新たな根が次々と湧き上がり、鋭い先端を空へ突き出した。


「花奈さん。あの根を囲うように、結界を張れますか?」


 和泉の意図を探るように、淡い水色の慧珠が揺れた。


『できます。でも、何をするつもりですか?』


 和泉は増殖する根を見据えたまま答える。


「結界の中へ、炎を閉じ込めます」


 花奈はすぐに意図を理解し、地面から這い出す根を中心に結界を展開した。


 淡い水色の壁が、根の群れを半球状に覆う。


『これでいいですか?』


 和泉は結界の範囲を確かめ、右手を振り上げた。


「十分です! 飛火剣《とびひけん》!!」


 指先に集まった炎が、幾つもの細長い刃へ形を変える。


 クナイ状の火の刃が根を切り裂く。


 しかし、根は燃やされたところから再び生えだす。


「ならば!!」


 和泉が右手を振り下ろす。


 無数の飛火剣が赤い流星となって結界内へ降り注ぎ、根の群れへ次々と突き刺さった。


 炎のクナイが根を貫くたび、赤い火種がその内部へ埋め込まれていく。


 焼かれた根が身を捩り、結界の壁へ激しく身体を打ちつけた。


 だが、炎も根も、花奈の結界から逃れることはできない。


「花奈さん、そのまま維持してください!」


 和泉の声に、淡い水色の壁がさらに輝きを増した。


『わかった!』


 すべての飛火剣が根へ突き刺さったのを確認し、和泉は左目を閉じる。


 点火針を正面へ構え、結界の中心へ切っ先を向けた。


「飛火剣――炸嵌火《さざんか》!」


 結界内へ突き刺さった無数の飛火剣が、一斉に爆発した。


 轟音とともに烈火が膨れ上がり、半球状の結界を内側から真紅に染め上げる。


 閉ざされた空間を爆炎が駆け巡り、逃げ場を失った根を余さず呑み込んでいった。


 根の絶叫にも似た軋みが響き、黒く焼け焦げた破片が炎の中で崩れ落ちる。


 やがて花奈が結界を解くと、あとには灰と焦げ跡だけが残されていた。


『……百希夜くん、少し無茶をしすぎです』


 花奈の声に、和泉は焼け跡を見つめたまま答えた。


「花奈さんなら、爆発を抑えられると信じていました」


 淡い水色の慧珠が、不満そうに揺れる。


『信頼してくれるのは嬉しいですけど、先に説明してください』


「すみません。次から気をつけます」


 和泉は短く謝り、点火針を握り直した。


 根の動きは止まった。


 それでも、胸の奥に残るざわめきは消えない。


 風向きが変わったような、嫌な感覚。


 遠くから聞こえていた子どもの泣き声が、突然途絶えた。


◇◇◇


「た、助けてくれええっ!」


 泥を跳ね上げながら、一人の男が和泉へ駆け寄ってくる。


 町会長・持田だった。


「住民たちが、狂って襲ってくる! 金でも何でもやる。頼む、助けてくれ!」


 切迫した声を上げながら、両手を伸ばす。


 だが、口の端だけが、場違いなほど緩んでいた。


『百希夜くん……この人、目が笑っていません』


 花奈の声を聞き、和泉は持田を真っ直ぐに見据えた。


「……本人じゃないな」


「な、何を言っている。私は本物の――」


 和泉が一歩踏み出す。


 持田は反射的に半歩下がった。


 その足跡の下で、血花桜の根が小さく脈打つ。


『正体を確認します』


 淡い水色の慧珠から放たれた光が、持田の身体を包んだ。


 光の中で皮膚がざわめき、影が大きく歪む。


 人間の輪郭が一枚ずつ剝がれ落ち、その内側から、無邪気な少年の笑みが現れた。


「久しぶりだね、《赤き烈火》」


 学生帽のつばを指で持ち上げ、少年は笑う。


 朱天《しゅてん》だった。


 その姿が現れた瞬間、周囲の空気が一変する。


 温度が下がり、景色から色が失われ、風の音さえ押し殺された。


 朱天は、燃え残った根を踏みつけながら和泉へ近づいてくる。


「また会えたね、和泉百希夜」


 和泉は点火針を構え、朱天を睨みつけた。


「朱天……てめえ!」


 朱天は楽しそうに目を細める。


「そんな顔をしないでよ。でも、今日は君と遊ぶ気分じゃないんだ」


 軽く指を鳴らす。


 地面が大きく揺れ、町中へ血花桜の根が広がった。


 その先端が狙ったのは、町の各所に浮かんでいた子どもたちの影だった。


 現実では救出されながらも、意識だけを鬼夢へ囚われている子どもたち。


 根はその身体へ絡みつき、次々と空へ吊り上げていく。


「やめろォッ!」


 和泉が炎を放った。


 だが、朱天は笑ったまま身を翻し、その一撃をかわす。


 町に立ち尽くしていた大人たちが、一斉に顔を上げた。


 その口元へ、同じ笑みが浮かぶ。


 こんぜ こんぜの じょろうぐも――。


 わらべ唄が、町中から響き始めた。


 それは幸福の笑顔ではない。


 逃げることを許さない、醜く哀しい檻の仮面だった。


「お前……何をした……!」


 和泉の問いに、朱天は丘を見上げた。


「目覚めさせたんだよ」


 その声は甘く、毒を含んでいる。


「血花桜をね」


 丘の上で、巨大な花弁がゆっくりと開いていく。


 赤黒い雫が幹を伝い、地面へ落ちるたびに、新たな根が脈打った。


「さあ、どうする?」


 朱天は両腕を広げ、和泉を挑発する。


「僕と遊ぶ? それとも――あれを止める?」


 和泉は点火針を握り締めた。


 目の前にいるのは、悪鬼を暴走させ、多くの人間を苦しめてきた張本人。


 今すぐにでも、その胸へ刃を突き立てたい。


 朱天の瞳の奥に、血に濡れた牙を剝いて笑う自分の姿が映る。


 それでも、和泉は左目を閉じた。


 一度だけ息を整え、朱天へ背を向ける。


「……今は、お前じゃない」


 丘へ向かって駆け出した。


 根に囚われた子どもたちを救い、血花桜を止める。


 それが、今の和泉が果たすべき役目だった。


 朱天は遠ざかる背中を眺めながら、愉快そうに笑う。


「そうだ。それでいい」


 学生帽の奥から、二本の角が微かに覗いた。


「君の内にいる悪鬼を……もっと僕に見せてくれよ」


 丘の頂で、血花桜が血と怨念を滴らせながら咲き乱れていた。

【次回予告】


 ――愛とは、赦すこと。


 だが、赦すためには、まず痛みと向き合わなければならない。


 理恵は女牢蜘蛛の前へ立ち、自らの答えを刃へ託す。


 その一閃は、澄香を縛る怪異へ届くのか。


 次回、第22話「鬼ノ刻《おにのこく》・“追想”」

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