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夢幻開現師 ―夢の守り人―  作者: ks21
第三章:紫苑の令嬢編
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第19話「女牢蜘蛛のわらべ唄」

 血花桜に集う怒声と狂信は、やがて一本の糸となって町を締め上げ、逃れられぬ檻を編みはじめる。

 檻は目に見えぬほど精巧で、息遣いすらそこに絡み取られていく。


 澄香が語る、家という巣に縛られた記憶。

 理恵が明かす、來瀬川の名と重なる痛み。


 そして和泉と笠井が挑むのは――闇夜に潜む、女牢蜘蛛じょろうぐも。人々の狂気が、《悪鬼》を目醒めさせる。

 血花桜の丘に、ざらついた怒声が渦巻いていた。


「てめぇら、何様のつもりだッ!」


「御神木に触れるな!」


 罵りは咆哮に、咆哮は嗄れた唸りに変わっていく。



 赤く充血した眼は濁り、口端から飛ぶ唾は獣の泡のように裂けては弾けた。

 むっとする体温の臭い――汗と線香と、古い土間にこびりついた湿り気がひとところに溜まっている。


 群衆の輪は生き物のようにうねり、肩と肩が擦れ合うたび、衣擦れの音が草を踏みにじる音と混ざり合った。


 対峙するスーツ姿の市職員は、押し込まれた小動物のように身を竦め、喉の奥を震わせる。


「本日は……あくまで経過観察で……伐採の意図は――」


「黙れッ!」


「病んでんのは、てめぇらの頭だろうが!」


 その刹那、地を叩くような重い足音が空気を断ち割った。


「どういうことか、説明してもらおうかのう?」 


 町会長・持田。

 年輪を刻んだ顔に、節くれだった根のような眼光を宿す男が、役人へ怒気を剥き出しに詰め寄る。


 差し出された診断書と腐食の写真。


 持田はそれらを一瞥すらせず、紙束を握り潰すと、裂け目から白い紙片がはらはらとこぼれ落ちた。

 風はない。にもかかわらず、切片だけが空気に引きずられるように沈んでいく。


「この立派な桜を“病気”だと? 神を愚弄する気か」


「天罰が下るぞ!」 


「女牢蜘蛛様がお怒りになる!」


 叫びが、不意に「色」を失った。


 罵詈の輪郭がほどけ、言葉が融けて流れだし――耳の奥が、きゅっと詰まった。


 音がひと呼吸、世界から吸い上げられたように消える。

 鳥のさえずりが切れ、風も葉擦れも止まる。


 次の瞬間、群衆の顔から感情が音もなく抜け落ちた。焦点の合わない瞳。


 足元の土に、白い筋がじわじわと滲み出す。糸だ。

 草の根を伝い、靴底に絡み、まるで町全体を縫い留めるように広がっていく。


 口元だけが、機械仕掛けに弾かれたように動き始めた。



こんぜ こんぜの じょろうぐも

にくし にくしと なきよるわ

なにが にくいと きいてみりゃ

こぐも ははおき ゆくひにわ

てあし もいでも とめにゃあならん

にくし にくしと なきよるわ



 最初は一人。次に十人、二十人――やがて全員が、同じ拍、同じ声色、同じ舌のもつれをなぞって唄っていた。 


 血花桜の花弁は微かに震え、粉のような香りが濃くなる。

 甘い――だが、冷蔵庫の奥で忘れられた蜜のように、鼻腔にべっとり張りつく甘腐れ。


 地面の白い糸は、人の影を呑み込みながら伸び、町の奥へと這い進む。 

 現実の輪郭が滲み、唄の旋律が糸を震わせ、遠くの屋根にまで響いていく。


 世界の凹凸が均され、わらべ唄だけが立体的に浮かび上がる。


「……儀式だ」 


 和泉が低く呟く。声は地表すれすれで流れ、音はすぐ落ちてゆく。


「小美濃さん、あの唄は……?」


 笠井の問いに、澄香は震える指先で答えた。爪の先がわずかに白くなるほど、手に力が入っている。


「あれは……“女牢蜘蛛(じょろうぐも)”の唄です」


 母蜘蛛が、巣を出ようとする子の手足をもいででも引き留める――。


 澄香の声は、もはや“声”というより、冷えた糸が木板に擦れつづける乾いた囁きだった。 


 その時、逃げかけた職員の背が僅かに引かれた。


 和泉と笠井には、見えた――現実では空を掴む背中に、夢の中では白い糸が幾重にも絡み、巣の中へ引きずり込もうとしていることが。


「……和泉!」 


「はい!」


 その瞬間―― 


「澄香さん!!」


 理恵の叫びが、弦を断つように場を裂いた。


 澄香が糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる。

 白磁の頬は一瞬で血の色を失い、熱に溶けた硝子のような瞳孔が虚空を映していた。


 その唇が、かすかに震え――


「……ごめんなさい……おばあ様」


 呟きは、乾いた糸が木板をこするような微音だった。

 それは続く。


「……お父様……お母様……」


 その声のひとつひとつが、理恵の鼓膜に刺のように触れる。

 耳の奥で、澄香の吐息に紛れて、あのわらべ唄が細く細く揺れていた。


 ――その瞬間、木漏れ日の残像が胸裏に差し込む。


 理恵の視界の奥で、遠い日の食卓が浮かび上がった。

 父も、母も、姉も……誰もが笑顔をたたえていた、あの黄金の日々。

 笑い声の温度と、湯気の立つ味噌汁の匂い。


 けれどその情景は、まるで糸で縫い留められた繭の中に閉じ込められている。

 触れようとすると、指先に冷えた糸の感触だけが残った。


(……私も、逃げられないのですね)


 理恵は唇を固く結び、澄香の頬に手を当てた。

 その掌の下、かすかな湿りと震えが生きている――糸に絡め取られた小鳥の心音のように。



   ◇  ◇  ◇



 小美濃家・応接間。


 澄香は布団に寝かされ、額に氷嚢(ひょうのう)が置かれていた。 


「……すみません、ただの貧血で……」


「無理をなさらずに」


 理恵の柔らかな声。


 しかし、次の瞬間、扉が開き、澄香の両親が現れる。 


「このたびは娘が……申し訳ありません」


 澄香の父は深く頭を垂れた。


 だが、母の口調は異様なほど冷たい。 


「……來瀬川の御息女の前で、なんとまあ。恥ずかしい限りです」


 その声に、澄香の表情が一瞬、硬くなる。 


「おい、やめろ。客人の前だ」


 父が(とが)めるが、母の目はなおも澄香を見下ろす。


「澄香、御無礼のないように」


 理恵は柔らかく頭を下げた。


「倒れられたのは、私の責任です。お願いを急ぎすぎました」


 母の口元が、わずかに嗤った。


 やがて両親が出ていき、沈黙が落ちた。


「……私、この家が……苦手です」


 澄香の声は淡々としているのに、底に棘がある。


「祖母は男の子を望んでいて……母はそのことで責められていました。私はずっと、“お家潰し”って、呼ばれてきて」 


「……家を出た友人たちが羨ましかった。だけど――同時に、憎かった」


「……憎い?」


「自由になれて。私だけが、ここに縛られているのに。そう思ってしまう自分が、また……嫌だったんです」


 理恵は澄香の手を取った。冷たい――糸に絡め取られた繭のようだった。


「……私も、似たようなものです。“來瀬川”の名が、ずっと私を縛ってきました」


「だから、私はこの仕事を通して、“私自身”を証明したいんです」


 沈黙の後――


「でも、町をご案内いただいたときのあなたの笑顔。あれは、心からこの町を愛している人の顔でした」


 その瞬間、澄香の目から涙がこぼれた。


「……私、この町が――好きなんです」


 呪縛を断ち切るような告白。


 だが、その奥で――微かに、あの唄の旋律が脈打っていた。 


「澄香さん――!」


「お嬢様!!」


 梓が扉を乱暴に開ける。


「澄香さんが――!」


 理恵の腕の中で、再び彼女は意識を失っていた。


 胸元から漂う香と、耳の奥で揺れる唄が、また糸を紡ぎ始めていた。



   ◇  ◇  ◇



 和泉と笠井は、駐車場で職員たちが倒れているのを発見した。

 外傷はない。ただ、深い眠りに落ちたように動かない。


 だが、地面には、まだ白い糸が残っている。


「……間に合わなかったか」 


 ――視界が軋む。糸が一斉に張り詰め、次の瞬間、世界が反転した。


 夢の中の町並み。地面も壁も屋根も、白く粘つく糸で覆われている。 

 その糸は、現実で見た足元の筋と寸分違わぬ配置で町を縫い止めていた。


 そして、その中心―― 

 屋根の上に、それはいた。


 ――女の顔を貼りつけた、肥大した蜘蛛の躯。


 六本の脚は町家の屋根を貫き、壁を伝い、町全体を巣に変えている。

 脚の間には、白い繭がいくつも揺れ、その中で職員たちがもがいていた。


 背景には、まだあの唄が微かに反響している。糸を伝って、骨の中に響くように。


飛火剣(とびひけん)!」


 和泉の炎のクナイが閃き、繭を縛る糸を焼き裂く。焦げた甘さと獣脂の匂いが夜気を黒く染める。


 炎の影に紛れ、和泉は繭ごと職員を背に括りつけた。


 女牢蜘蛛の瞳が憎悪で濁る。


 笠井が跳躍し、風塵鴉鎚(ふうじんがつい)が左腕を直角に叩き砕く。衝撃波が屋根瓦をめくり、破片が頬をかすめる。


 女牢蜘蛛の左腕は、皮一枚だけで何とか繋がっている状態だった。

 蜘蛛の口は笑うが、目は笑わない。皮の下で別の生き物が這っているように頬が蠢いた。


「狙いは……お前じゃない」


 笠井の視線の先――繭はもうない。和泉はすでに次の屋根へ。


 血花桜の根が地を這い、生き物のように伸びてゆく。乾いた土の上で、根はぬるりと滑った。


 ――次の瞬間、悪鬼の姿は闇に溶けた。 


 気配だけが、桜の幹を伝って落ちてくる。糸が夜の縁に触れて振動を返す。


 唄の最後の一節が、遠くで断ち切られた。


「來瀬川のもとか……」


「……急ぎましょう」


 肩の後ろの繭が微かに重みを訴える。甘い。重い。

 舌の根にさびの味が広がった。 


 血花桜は揺れる――だが、風は吹かない。


 夜のどこかで、糸が一本、そっと引かれる。

 “それ”は、次なる“巣”へと這い進んでいた。

【次回予告】


 女牢蜘蛛は消えた。だが、それで終わりではなかった。


 現実が軋みを上げて崩れ出す――町を包み込むように広がる《鬼夢》、次々と昏睡に陥る住民たち。そして、救い出されたはずの子どもたちに忍び寄る第二の“牢獄”。


 誰が、何のために、夢と現を繋ごうとしているのか。


 辿り着いたのは、古き血の因習に囚われた“屋敷”――そこに眠る、もうひとつの「心の牢獄」であった。


 次回、第二十話「屋敷牢獄」


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