第2話「追う影」
儀式の翌日。
教室に入ったユキは、すぐに異変へ気づいた。
「……来てない」
ミキの席が空いている。
それだけではなかった。
昨夜、儀式に参加していた少女たちの席が、いくつも空席になっていた。
「みんな、休み……?」
隣に立つカレンが、不安そうに呟く。
担任は朝の会で、欠席した生徒たちは体調不良だと説明した。
風邪でも流行っているのだろう。
そう言って、普段どおりに授業を始めた。
だが、ユキには偶然だと思えなかった。
昨夜の儀式。
赤く染まったスマートフォン。
誰が答えたのか分からない声。
そして――。
『悪い子、悪い子、見~つけた』
あの文字が、頭から離れなかった。
「カレン」
「なに?」
「放課後、ミキの家に行こう」
カレンの顔が強張る。
「でも……」
「確かめたいの。昨日のことと、みんなが休んでることが関係あるのか」
「関係なんて、ないよ」
カレンはすぐに否定した。
「たまたまだよ。きっと、みんな風邪をひいただけ」
「だったら、ミキの顔を見れば安心できるでしょ?」
「……うん」
カレンはためらいながら、小さく頷いた。
◇◇◇
放課後。
二人はミキの家を訪れた。
インターホンを押すと、しばらくしてミキの母親が玄関へ現れた。
「ユキちゃんと、カレンちゃんね」
いつも明るいはずの顔には、深い疲労が浮かんでいた。
「ミキ、大丈夫ですか?」
「熱はないの。でも、朝からずっと部屋に閉じこもってるのよ。何を聞いても、怯えるばかりで……」
ミキの母親は困ったように二階を見上げる。
「二人なら、話してくれるかしら」
案内された二階の廊下は、薄暗かった。
突き当たりにあるミキの部屋。
ドアの隙間からは、光一つ漏れていない。
ユキはドアを軽く叩いた。
「ミキ、わたし。ユキだよ」
返事はない。
「カレンも一緒にいるよ。少しだけ、話せない?」
しばらく待っていると、部屋の中から小さな物音が聞こえた。
何かを引きずるような音。
やがて、ドアがわずかに開いた。
隙間から覗いたミキの顔は、別人のように青ざめていた。
「……入って」
二人が部屋へ入ると、ミキはすぐにドアを閉め、鍵を掛けた。
カーテンは固く閉ざされている。
机の上には教科書やノートが乱雑に積み重なり、床には丸められた毛布や衣服が散らばっていた。
部屋の隅には、電源の切れたスマートフォンが置かれている。
その上には、何枚ものタオルが被せられていた。
「ミキ……?」
カレンが声をかける。
ミキはベッドの上へ戻り、膝を抱えた。
目の下には、濃い隈ができている。
「昨日から、ずっと寝てないの?」
ユキの問いに、ミキはゆっくりと首を横に振った。
「寝られない……」
「どうして?」
「寝たら、来るから」
ミキの指が、小刻みに震えていた。
「何が来るの?」
ユキが一歩近づく。
ミキは怯えた目で二人を見た。
「夢の中にいるの……」
「夢?」
「学校にいる。真っ暗な学校。どれだけ逃げても、同じところに戻ってくるの」
ユキとカレンが顔を見合わせる。
それは、昨夜の儀式の直後にユキが見た夢と、あまりにもよく似ていた。
「後ろから、ずっと追いかけてくる」
ミキの呼吸が速くなる。
「足音が聞こえて……赤い影が近づいてきて……。目が覚めても、すぐ後ろにいる気がするの」
「ただの夢だよ」
カレンが言った。
「昨日、怖い話をしたから――」
「違う!!」
ミキが突然、声を張り上げた。
カレンの肩が跳ねる。
「夢じゃない! あれは、夢なんかじゃない!!」
「落ち着いて、ミキ」
ユキが手を伸ばす。
だが、ミキは身を引き、壁際まで逃げた。
「わたしたち、見つかったんだよ」
「見つかったって……誰に?」
ミキの目が、大きく見開かれる。
「……“赤マント”だよ!!」
その声が、暗い部屋に響いた。
ユキの背筋を、冷たいものが走る。
「儀式をしたから?」
「分からない……。でも、あれからずっと聞こえるの」
「何が?」
「声」
ミキは両手で耳を塞いだ。
「『悪い子はどこにいる』って……何度も、何度も……」
「わたしたちも同じ儀式をしたけど、何も――」
ユキが言いかけた、そのとき。
ミキの顔が、さらに強張った。
「帰って!」
「え?」
「帰ってよ!!」
ミキはベッドから立ち上がると、二人をドアの方へ押した。
「どうしたの、急に!」
「お願いだから帰ってよ! 二人まで見つかっちゃう!!」
「ミキ!」
「帰って!!」
ミキは泣きながら叫び、二人を部屋の外へ追い出した。
ドアが勢いよく閉まる。
直後、鍵の掛かる音がした。
「ミキ……」
ユキが呼びかけても、返事はなかった。
閉ざされたドアの向こうから、押し殺した泣き声だけが聞こえていた。
◇◇◇
ミキの家を出る頃には、空が夕焼けに染まっていた。
ユキとカレンは、並んで住宅街を歩いていた。
しばらく、どちらも口を開かなかった。
「……ユキは、信じるの?」
カレンが足元を見つめたまま尋ねる。
「ミキの話?」
「赤マントのこと」
ユキはすぐには答えられなかった。
信じたくはない。
だが、儀式に参加した少女たちが同じ日に学校を休み、ミキが同じ夢に怯えている。
それをすべて偶然だと言い切ることもできなかった。
「分からない」
ユキは正直に答えた。
「でも、わたしがもっと強く止めていれば、こんなことにはならなかったかもしれない」
「ユキのせいじゃないよ」
「わたしも最後には参加したから」
「みんなで決めたことだよ」
「それでも――」
ユキは唇を噛んだ。
あのとき、自分だけでも儀式をやめていれば。
スマートフォンを取り上げていれば。
誰かが返事をする前に、サイトを閉じていれば。
後悔ばかりが、頭の中を巡っていた。
「ミキたちに何かあったなら、放っておけない」
「どうするの?」
「分からない。でも、何かできることを探す」
ユキは隣を歩くカレンを見た。
「カレンのことも、わたしが守るから」
カレンは足を止めた。
「カレン?」
夕焼けを背に立つその顔は、影に沈んでいた。
「……ユキも、もう見つかってるのに」
「え?」
ユキが聞き返す。
カレンは顔を上げ、不思議そうに瞬きをした。
「どうしたの?」
「今、何て言ったの?」
「何も言ってないよ」
「でも――」
「ユキ、疲れてるんじゃない?」
カレンはいつものように微笑んだ。
自分が口にした言葉を、本当に覚えていないようだった。
「早く帰ろう。暗くなっちゃうよ」
カレンが先に歩き出す。
ユキはその場に立ち尽くし、遠ざかる背中を見つめた。
夕暮れの道に、二人以外の人影はない。
それなのに。
カレンの背後へ、深紅の布のような何かが一瞬だけ翻った気がした。
◇◇◇
その夜。
ユキは、真っ暗な校舎に立っていた。
「また……ここ?」
蛍光灯は消えている。
窓の外には、何も見えない。
長い廊下が、闇の奥へ伸びていた。
夢だ。
そう理解しているのに、目を覚ますことができない。
自分の頬をつねっても、痛みだけが鮮明に伝わってくる。
「カレン?」
呼びかけても、返事はなかった。
ユキは一人で廊下を歩き始めた。
コツ、コツ、コツ……。
自分の足音が響く。
やがて、その後ろへ別の音が重なった。
ずる……ずる……。
何かを引きずるような音。
ユキが立ち止まる。
音も止まった。
振り返っても、暗闇しかない。
「誰……?」
返事はない。
ユキは再び歩き出した。
ずる……ずる……。
音もついてくる。
少しずつ。
確実に。
距離を縮めながら。
ユキは歩く速度を上げた。
音も速くなる。
廊下の角を曲がる。
その先に、赤いものが見えた。
深紅のフード。
床を引きずる長いマント。
その奥にあるはずの顔は、真っ黒な闇に覆われている。
怪人“赤マント”が――。
――現れた。
「――あああああ!!」
ユキは叫び、背を向けて走り出した。
廊下を駆ける。
階段を下りる。
教室を抜ける。
どれだけ逃げても、背後の音は消えない。
ずる、ずる、ずる、ずる――。
赤い影が、すぐ後ろまで迫ってくる。
『悪い子、悪い子……』
「来ないで!!」
『どこにいる?』
ユキは教室へ飛び込み、机の陰に身を隠した。
口元を両手で押さえる。
廊下を引きずる音が、教室の前で止まった。
扉の向こうに、何かが立っている。
ガラッ――。
教室の扉が、ゆっくりと開く。
『見~つけた』
「いやああああ!!」
ユキは悲鳴とともに目を覚ました。
自分の部屋。
見慣れた天井。
カーテンの隙間から、朝の光が差し込んでいる。
全身が汗で濡れていた。
胸へ手を当てると、心臓が激しく脈打っている。
「夢……」
そう呟いても、安心できなかった。
足音も。
赤いマントも。
扉の向こうにいた気配も。
すべてが、あまりにも現実に近かった。
◇◇◇
それからユキは、夜ごと同じ夢を見るようになった。
暗い校舎。
終わりのない廊下。
背後から近づく、何かを引きずる音。
目を覚ましても、恐怖は消えなかった。
眠るたびに、赤マントとの距離が縮まっていく。
最初は廊下の端にいた。
次の夜には、曲がり角の向こうにいた。
その次には、教室の扉の前まで来ていた。
そして――。
「ユキ!」
誰かの声に、ユキは振り返った。
暗い校舎の廊下に、カレンが立っていた。
「カレン!?」
ユキは駆け寄り、その肩を掴む。
「どうして、ここにいるの?」
「分からない……。気づいたら、ここに」
カレンの身体は震えていた。
「これ、ユキが言ってた夢なの?」
「同じ夢を見てるの……?」
二人は顔を見合わせた。
これはもう、ただの夢ではない。
同じ場所にいる。
互いの声が聞こえる。
触れた肩の感触まで、はっきりと伝わってくる。
ずる……ずる……。
廊下の奥から、あの音が聞こえた。
ユキはカレンの手を掴む。
「逃げよう!」
二人は走り出した。
だが、どこへ逃げても同じ教室へ戻ってくる。
階段を上っても。
廊下を曲がっても。
開いた教室を通り抜けても。
そのたびに、赤い影は近づいてきた。
『悪い子、悪い子……』
暗闇の中から、声が響く。
『どこにいる?』
ユキはカレンの手を握り締めた。
「離れないで!」
「うん……!」
そのとき。
カレンの指が、わずかに動いた。
ユキの手を握り返したのではない。
逃がさないように、絡みついたように感じられた。
カレンが、ゆっくりと後ろを振り返る。
その唇が、かすかに動いた。
「――わたしを、馬鹿にする“悪い子”は……」
「カレン?」
声とも思念ともつかない怨嗟が、闇の中に滲んだ。
ユキが振り返る。
二人のすぐ後ろに、怪人“赤マント”が立っていた。
◇◇◇
同じ夜。
静まり返った街の一角で、一人の少年が顔を上げた。
夜風に、首元の深紅のマフラーが揺れる。
少年は閉じていた左眼を、ゆっくりと開いた。
「……見つけた」
和泉百希夜は、夜の向こうに広がる異様な気配を見据えた。
【次回予告】
逃げても、逃げても、終わらない校舎。
赤マントに追い詰められたユキとカレンの前へ、異形の小鬼が姿を現す。
だが、閉ざされた悪夢へ足を踏み入れたのは、少女たちだけではなかった。
次回、第3話「介入者」




