プロローグ
──ドラゴネス魔法学園に第三王子アルバートが入学する約千年前。
深い森の中、自然には精霊が宿る。
川にはウンディーネが、花にはシルフが。
ここは耳の長い半妖精、エルフ族が住む【妖精の森】である。
エルフとは老化での死はなく肉体の損傷や魂の死によって妖精の国へと至る、種族によって美的感覚は違えど美男美女が多い。
木の上で生活している彼らは果物のみを食し、平和主義のため他種族との戦争もない。
現に魔王が復活し、魔族の軍隊の進行を始めても沈黙を続けている。
世界で最も平和な地。
誰も傷付くこともなく、涙も流すこともない。
そんな理想郷を全速力で疾走する影。
魔力量の多いエルフだけが持つとされる輝く金の髪をした女性エルフ。
片目を前髪で隠し、たわわと実った胸には傷だらけのエルフの子供を抱えている。
抱えられたエルフの子供の髪色は茶髪。
茶髪のエルフは魔力量が少なく、『妖精のなりそこない』と呼ばれ、多くの森では追放の対象にされてきた。
この子もそんな風習の被害に合ったひとりなのか殴られた痣や切り傷などが出来ている。
一番深い傷は喉、これではもう話すことは叶わない。
「もう大丈夫だから。私が絶対に守ってみせる。あと少しで森を抜けられる。そしたら一緒に人間の王国で暮らそう。きっと明日からはいい日になるから……だから、頑張って」
女性エルフは泣きそうな声で話しかける。
しかし子供のエルフは今にも息が消えかかってた。
心が折れて力が抜けそうになるけど、それでも走った。
運が良ければ冒険者たちに会ってそこで回復職に助けてもらえるかもしれない。
「〝風妖精の矢〟」
「ぐはっ!?」
見えない矢が女性エルフの肩を貫く。
矢の正体は見えなかったが風の妖精が小馬鹿にして嗤っているような声がする。
痛みでおかしくなりそうだったし、一瞬足を地面に着いたけど立ち上がって走る。
もちろん速度は格段にさがった。
「へぇ。今のをくらっても諦めないか。心が脆いエルフ族にしては珍しいね」
「弓使いの火力不足のせいだろうが。やっぱ遠距離で殺すなら銃じゃなくちゃな。──〝水妖精の銃弾〟」
水で出来た銃弾が走る女性エルフの太ももを貫く。
流石に地面に転げ落ちる。
なんとか子供エルフだけでも守ろうと背中から。
「あああぁぁぁあああァァッ!!」
痛み、それよりも逃げきれなかった悔しさの方が強い。
女性エルフは追手の3人を睨みつける。
ひとりは弓使い。
ひとりは銃使い。
そしてその中で一番強いであろう魔法使い。
全員が男性のエルフ。
「どうしよ。このお姉ちゃん殺しとく?」
「なかなか良い乳してやがるし、楽しんだ後に殺すのはどうだ? と言ってもアニキはそういったことに興味はねぇみたいだし、テメェはまだガキだ。オレが独り占めさせてもらうぜ。大丈夫、早撃ちは得意だ。1時間もらえりゃ終わる」
「四肢を潰しておくくらいにしておけ。ティターニア様の器の回収が最優先だ」
「ちっ」
いやらしい手つきで女性エルフを触ろうとしていた銃使いは落胆する。
それから荒い手つきで子供エルフの首を引っ張り、弓使いに向かって投げ飛ばす。
見た目よりも力があるのか弓使いは片手で子供エルフを抱えた。
「この外道の宗教家共め! 子供の幸せを祈れないクズの集団に呪いあれ!!」
唇を噛みしめ、これ以上ない侮辱の言葉を浴びせる。
ただし返ってくるのは嘲笑のみ。
「子供の幸せは心から祈っているとも。我等エルフ族の未来は子供たちに託されていく。なによりも大切にしなくてはならない。しかしこの器はただの道具だ。花を生ける花瓶になれるだけ大層じゃないか。本来、妖精のなりそこない……汚らわしいゴミでしかない」
「──……これだから魔法使いは嫌いだ。他人を魔力量でしか見ていない」
「だから君のことは尊重している。女としての尊厳を辱めるようなことはしない。ただ我々の儀式が完了するまで大人しくしておいて欲しい。──〝火妖精の火炎〟」
「ぐぁぁぁあああッ」
手が、足が、燃える。
燃えた腕で魔法使いの首を掴もうとしたが銃使いによって手の平を打ち抜かれる。
「必ずお前たちからその子を奪い返す! 私の名前をよく憶えておくんだな。エルナ・シシリー。お前たちを殺す者だ」
「おーと、そいつはおっかねぇ。きししっ」
「ねえ、やっぱり殺しとかない? 僕殺されるのイヤだし」
「この傷だ。腕のいい回復職に会えたとしても、完治までに早くても100年はかかるだろう。万全の状態じゃなくても我々に勝てるとしたら脅威だが、それは絶対にない」
なんの問題はないと、魔法使いは背中を向けた。
3人とも徐々に遠のいていく。
担がれた子供エルフの希望を失った瞳を眺めながらエルナ・シシリーは力尽きて地面に顔を埋めた。
ここはエルフたちが住まう妖精の森。
誰も傷付くこともなく、涙も流すこともない。
世界一の理想郷である。