1.
「今年の1年にすげー可愛い子が入学したらしいぜ」
入学式の翌日、教室内で情報に明るい男子達の会話が耳に入ってきた。
2年生の俺達の所まで噂が届くのだから相当可愛い子なんだろうなと思いつつも、自分には関係ない話だと頭を切り替える。
だけど次に聞こえてきた会話でまた考えを巡らせることになった。
「どうやら西中出身らしいんだけど、お前ってどこ中だっけ?」
この辺の中学校で西中と言えば俺のいた中学校だ。
そして一個下の後輩で可愛い子といえば思い当たるのは1人だけだけど......
......まさかな。
有り得ない。
俺のいた西中とは違う西中だろうと無理矢理頭を切り替える。
だってあの楓が。
俺に嘘コクしてきたあいつが、俺のいる高校に来るはずないだろ。
部活には入らず放課後はいつも図書館で過ごすのが中学の頃からの日課になっている。
別にクラスに居場所がないとか、ハブられているとかじゃないし、話せるクラスメイトも何人かいる。
だけど親友と呼べるような友達は小学校卒業の時、全員違う学区の中学校へ行ってしまって以来作っておらず、クラスメイトになるやつとは浅い付き合いをずっと続けてきた。
放課後に図書館に来る生徒は数人いるけど、今日は俺以外に誰もいない。
テストが近くなればここでも勉強をしていくんだけど、今日は読書の日だと鞄から読みかけの文庫本を取り出して本の世界に入っていく。
しばらくするとガチャりと扉の開く音が聞こえてきた。
たぶん常連の誰かが来たんだろう。
スタスタと迷いなくこちらに向かってくる足音は気になるけど、視線は文字に落としたまま本の世界にまた入り込もうとして。
「春希先輩、やっぱりここにいたんですね」
鈴を転がしたような弾んだ声が俺の名前を呼ぶ。
俺、宮内春希を春希先輩と呼ぶ相手はたった1人。
ゆっくりと声が聞こえた方へ視線を向け......
「......吉野さん」
「はい! お久しぶりです。春希先輩」
中学3年の時、嘘コクされて1ヶ月間だけ恋人関係になった後輩。
吉野楓はその双眸で俺を見つめながら嬉しそうに笑った。
───
中学3年の9月、いつものように図書館で本を読んでいた俺は「あの、宮内先輩」と楓に話しかけられた。
楓のことは知っていた。
一個下に可愛い後輩がいるというのは有名な話で、全校集会の時にも何度か顔を見たことがある。
そんな人気者の楓が、全く面識もない目立たない俺なんかの名前を知っていたことに驚きつつも要件を尋ねてみると、そのまま「ずっと気になっていました」と告白された。
正直突然過ぎて意味がわからなかったし、なんで俺? とも思った。
でもすぐに一つの結論に辿り着いた。
あ、これ、嘘コクってやつだ。
そう考えたら全てのことがストンと腑に落ちた。
そしてその後に出てくる問題は告白を受けるか受けないかだけど。
俺は告白を受けることにした。
俺には大好きな幼馴染や心に決めた好きな女の子なんていない。
それに楓みたいな可愛い子と嘘コクとはいえ付き合えるチャンスなんてもう一生ないだろうし、仮に、もしも嘘コクじゃなかったとしたら悔やんでも悔やみ切れない。
そして予想通り嘘コクだったとしても、まぁ話のタネになるだろうと告白を受けることに対してのデメリットがほぼ無いように思えた。
俺がそんなことを考えている間、楓はずっと伏し目がちに俯いていた。
その時に楓が何を考えていたかはわからない。
だけど俺が告白を受けた時、楓が驚きの表情から笑顔を作るまでの一瞬、申し訳なさそうに眉を下げた表情になったのは今でも印象に残っている。
次の日の放課後から楓は毎日図書館にやってくるようになった。
俺が受験勉強をしている時は一緒に勉強をやって、それ以外の時間は本を読んだり他愛のない話をする。
楓と付き合う時に言われた約束。
2人の関係は絶対に誰にも話さない。
その約束さえなければ、俺達の姿は誰が見ても本物の恋人同士に見えたに違いない。
最初の週末がやってきた。
金曜日の夜、日曜日にデートの約束を控えた俺は早々に頭を抱えることになっていた。
相手は学校で人気の吉野楓。
対してこちらは一般中学生A。
女性との交際経験もなければ、知恵を授けてくれる姉も妹もいない。
予算だって中学生のそれレベルで使えばすぐに無くなってしまう。
そんな俺が唯一頼りに出来たのは手元にある端末、G先生と知恵袋だった。
金曜日の夜から土曜日を使い、先人方の知恵を借りながら身だしなみを整えてデートコースを考える。
男たるものや紳士としてのマナーを頭に叩き込んで迎えた決戦の日曜日。
待ち合わせ場所は、知り合いに見つからないように数駅離れた駅の改札口付近。
待ち合わせ時間よりもだいぶ余裕持って到着したつもりだったけど、待ち合わせ場所には既に楓の姿があって、初っ端から出鼻を挫かれる形となった。
しかしデート自体は問題なく進み、楓もすごく喜んでくれて自分的にはほぼ満点なんじゃないかと思う結果に終わった。
そして今日一番の収穫は出会ってすぐの楓からの一言「先輩、今日すごくかっこいいですね」だ。
G先生、本当にありがとうございます。
楓と付き合い始めて2週目が始まった。
と言ってもやることは変わらず、放課後に図書館で一緒に過ごすだけ。
だけど変化したこともあって、途中から2人でいる時はお互い名前で呼び合うようになった。
俺は「楓」と呼び、楓は「春希先輩」と呼ぶ。
楓は普通に俺を名前で呼んでいたけど、俺は異性を名前で呼ぶのなんて初めてで内心ドキドキだったけど、そんな姿を楓に見られたくなくて平然を装うのに必死だった。
2週目の週末も2人でデートに出かけた。
先週のデートもそうだったけど、楓はすごく喜んでくれた。
楓との距離は間違いなく近くなったと思う。
だけどそれとは反対に最初の頃にあった心の余裕は無くなった。
嘘コクだったら話のタネにすればいい。
そんなこと考えたくないくらい俺は楓のことが好きになっていた。
楓と付き合い始めて3週目。
放課後に図書館に行くことが何よりの楽しみになっていた。
楓と恋人でいられる唯一の時間。
並んで座る席は肩が触れ合うくらいまで近くなった。
だけど肝心な言葉は未だ言えてない。
楓が好きだ。
だけどその気持ちを伝えてしまったら、俺達の関係が壊れてしまいそうで怖かった。
この関係は嘘コクから始まったものだ。
俺が楓を本気で好きだと知ってしまったら、きっと楓は「ごめんなさい」と言って明日から図書館に来なくなるだろう。
だからこそ希望に縋るように何度も考えたことがある。
楓の告白が嘘コクじゃない可能性。
だけど何度考えてもそれは有り得ないという結論に至ってしまう。
楓が時折見せる憂いを帯びた表情が、俺に負い目を感じていることを物語っている。
そして何よりの証拠が、楓がいつも連んでいる4人の女子生徒。
廊下ですれ違う時、図書館に楓の様子を見に来る時、あいつらの俺を見る目に蔑みや嘲笑の色が混じっているのだ。
そしてその目が俺に伝えくる。
お前それ、嘘コクだから って。
そんなどうすることも出来ない状況のまま迎えた週末間近。
さすがに3週連続で出かけるのは......
そう躊躇する俺に楓は「春希先輩、今度の日曜日、一緒に映画を観に行きませんか?」と言ってくれた。
もちろん断る理由なんてない。
すぐにOKして、俺達は日曜日に映画を観ることになった。
観た映画は邦画。
若手人気俳優主演のミステリー系。
落ちる照明。
映画に観入ってしまい、いつの間にか使ってしまった右側の肘掛け。
右手の甲にそっと添えられた楓の左手。
初めて触れた楓の温もり。
初めて知った楓の感触。
でもすぐにそれだけじゃ満足出来なくなってしまう。
きっと雰囲気に当てられて欲が出たんだと思う。
手のひらを上に向け、楓の指の隙間に自分の指を絡ませる。
嫌がられるかもと思ったし、拒絶されたら......とも思った。
だけどもっと触れたいと思った。
もっと知りたいと思ってしまった。
楓は驚いたように指を震わせた後、ゆっくりと握り返してくれた。
映画はおもしろかった。
だけど俺の意識は途中からずっと右手に向かいっぱなしだった。
楓と付き合い始めて4週目。
嘘コクから始まった恋人の関係だけど。
まだ好きだと伝えていないけど。
あの時の俺達は間違いなく恋人だった。
楓は「ありがとうございます」と「ごめんなさい」をたくさん言うようになった。
些細なことでも感謝を伝えてくる。
ふとした時に謝罪をしてくる。
俺はその度に「こちらこそ」「大丈夫」「わかってる」と伝える。
楓が伝えてくる感謝の意味。
楓が伝えてくる謝罪の意味。
当時の俺でもわかっていた。
俺達の関係の終わりは、もうそこまで近づいている。
週末の日曜日、どちらからともなく俺達は手を繋いで街を歩いた。
待ち合わせ当初から楓はずっと笑顔だった。
大袈裟に喜び、大袈裟に感謝を伝えてきた。
お昼が過ぎ、夕方を迎え、そろそろ帰る時間になった頃。
「......先輩にお礼がしたいんです。嫌だったらごめんなさい」
突然そう言われ、何のお礼か聞き返す間もなく、楓の唇が俺の口に優しく押し当てられた。
初めて感じる柔らかい感触と突然の出来事にただ立ち尽くすことしか出来ない俺に楓は。
「......私の初めてです。先輩、本当にありがとうございました。......さよなら」
一方的に別れを告げると駅のホームへと走っていった。
俺はそれをただ見送った。
それはいつもの流れだったから。
最寄り駅が同じ為、別れのあいさつをした後に違う電車に乗るのはいつもの流れなんだ。
そう自分に言い聞かす。
でも本当はわかっていた。
もう楓との明日は来ないんだって。
翌日の月曜日から、楓は図書館に来なくなった。
お読み頂きありがとうございました。