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29910日
ミタさんと会話ができるようになった。
文字というワンテンポ遅れるものではあるが、思っていることの情報を交わした。
考えてみれば、それを最初にした相手はデルタだった。
だが、あの時とは違う部分がある。
必要なことではなく、不必要な情報だけを交換する。
あるいは、情報を行き来させることそのものに価値があった。
お話をするとは、実は面白いことなのかもしれないと、初めて知った。
「あの球、美味しくない」
「あれらに美味い不味いがあるのか?」
「知らないのぉ?」
「家は知らない」
「ふふん」
「外見による違いはあるのだろうか」
「活きがいいと、美味しい」
「おー」
「家は物知らずー」
「どうやら、そのようだ」
そんな会話だ。
さすがに家としてはあれらの踊り食いはやめておきたい。
どれだけミタさんに薦められてもだ。
30021日
デルタに頼まれたことがある。
ここで燃え続ける炎、いわゆる竜炎についてである。
どうやら、外部ではそれらはすぐに消えてしまうものであるらしい。このようにいつまでも残ってはいない。
その理由を知りたいが、それ以上に「竜炎とはなにか」についての研究がしたいとのこと。
おそらくではあるが、この結界が壊れた後では消えてしまう類のものだろう。
いま行わなければならないのは理解できる。
だが、なぜこの性質について知りたいのか、そもそもその理由がわからない。
『倒すため』
本気だけが窺える筆跡だった。
本気で、ドラゴンを倒すつもりらしい。
伝聞しか知らないが、それは無理なのではと忠告した。
いままでドラゴンを倒せた例はない。
無謀な戦いはすべきじゃない。
とんでもなく強い相手からは、逃げた方がきっといい。
『そうだね』
書かれた筆跡が、なぜだか棒読みに聞こえた。
31025日
いつしかミタさんに、家が別形体を取れることが発覚した。
家としては隠しているつもりだったが、実はバレバレだった。
そこかしこに潜んではこっそり家のことを観察するのが趣味となっているミタさんからすれば、そんなことはとっくの昔に知っていたことであった。
むしろ、家が隠しているつもりであった事実に驚いた様子だ。
だからこそ、ミタさんもそのような形を取ることに挑戦したが、難航していた。
「ぬー」「うー」「なぁー!」と鳴いてはジタバタとする。
原因としては、サンプル元になるものの偏りだ。
ミタさんからすれば、人間とは腹に大穴を開けているか、普通に動いているか、自分を指差し騒ぐ影だった。
そんなものに変身することに、きっと無意識の抵抗があった。
人間は別に怖くないよと言いたいところだが、更に薄くなった結界外では花火と歓声と大騒ぎの大合唱だった。
どうやら85周年とやらが祝われているらしい。
敏感な聴覚を持つミタさんは大いにビビった。
まったく、家の敷地近くで勝手なお祭りをしないで欲しい。
31121日
この場に、家という自意識が発生してから随分と時間が経過した。
また、この結界内に新たな生命が誕生してからも、結構な時間が経った。
こうした事態は、おそらく予測してしかるべきだったのだろう。
毛玉が、死んでいた。
外的な理由ではなかった。
ミタさんが襲ったわけでも、竜炎に触れたわけでも、ましてや家が害したわけでもない。
ただ死んでいた。
おそらく老衰だろうとデルタに指摘された。
知識としては、それは知っていた。
だが、ここでそのようなことが起きるとは、家は思っていなかった。
肉体を持つものは、いつしか滅びてしまうのが道理であるようだ。
……家としては、それを素直に認めたくはない。
この結界内で、生きた情報が一つ減った。
きっと、それについてもっと考えを巡らせるべきだった。
31556日
竜炎についての調査がいくらか進んだ。
実験のための設備がなにもない上に、魔力がこれ以上なく充填された場所である、調査にとって有利と不利が同時に存在していた。
不利な面としては、一般的な調査が不可能であること。
魔力計測器を作成したところで、すべての数値が振り切れる。
また、竜炎自体がかなり特殊だ。
長いことこの場所に在ることで、変質した可能性も否めない。
ただ、魔力を直接行使することは手軽にできた。
未だに燃え盛るそれに対して、様々な属性の魔力を打ち込んだ。
結果としてわかったことは、どうやらこの竜炎は多属性の融合であること。
ほとんどの属性を網羅するが、炎および光の属性だけは欠けていることだった。
見た目は炎だが、実はその要素だけが無かった。
魂を損なうことができた理由でもある。
魂魄が持つ光や燃え盛る部分を、この竜炎は喰らっていた。
また同時に、だからこそ多量の火炎魔術を当てればこの炎を消し去ることができた。
竜炎とは、その欠落を埋めるために猛るものだった。
あるいは、それこそがドラゴンと呼ばれるものの根幹なのかもしれない。
決して埋められないものを、その心に抱え続けている。
ふと、思う。
あるいは想像する。
家はこの竜炎について、わずかではあるが知った。
また、長い間とても近くに、この竜炎はあった。
知って、覚えた。
その欠落の有り様について把握してしまった。
家は、もうこの竜炎とやらを操れるようになったのでは?
とはいえ、これを使って、なにをするのだという話ではあるが。
31810日
ミタさんの魔力上達は、もう完全に家を越えていた。
家が一段一段と登っていたものを、ミタさんは空飛ぶように越えていく。
あるいは、魔術的な構造を直感的に把握しているからかもしれない。
世界の道理を認め、それを形として出力する。
「ふふん」
「すごい」
「でしょでしょ」
「家もがんばる」
「がんばらないで?」
なぜかそう言われた。
ちなみにミタさんは竜炎の操作は苦手だ、本能的な拒否反応を示した。
多属性の融合が、どうしても感覚的に受け入れられないらしい。
「あんなの使うくらい暇があるなら、星を見たほうがいい!」とのことだった。
家としては、ようやく竜炎をふゆふゆと移動させることに成功して自慢したい気分だったのに、全身の毛を逆立てての拒否である。
そこから数日間は雲隠れしたし、また撫でさせてくれるまでに一週間もかかった。
31927日
どうやら、この結界が壊れる日が近いらしい。
観測結果は、もうそれほど長く持たないことを示した。
同時に、この結界内部に充満する魔力および竜炎の対処にも追われることになった。
内部と外部との差が、どれほどのものになっているか、予想もできない。
下手をすれば都が吹き飛ぶのではないかとすら言われている。
そんな大げさな、と言うことはできなかった。
デルタ曰く、世界全体の魔力量も僅かではあるが減少しているらしい。
結界の壊れる日とはすなわち、内部の魔力に結界が耐えられなくなる日である。
長い間この結界は都とやらの観光施設となっていたが、今となっては巨大な爆弾扱いだった。
なぜこの危険を放置したのかと、国やギルドに対して民衆がデモを起こしてもいるようだ。
当事者である家としては申し訳ないとは思うが、できることはあまりない。
32851日
ミタさんが、動かなくなった。




