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起動し、連結されて来たのは、家主の記憶だった。
家のじゃない、家主視点の、家主の思い出だ。
家とは別の人の、別の情報。
たましいの欠片に込められたものが再生される。
たぶん、最期に腕を握られたときに、それを渡された。その絶対に本人しか知り得ない記憶を。
家主だった。
家が知っている、よくわかっているひとのだった。
それは間違いない。けど――
――え……?
知らない情報があった。
わからない思い出があった。
それは家が知らない場所でしていたことで、でも、それだけじゃなかった。
もう一度、読み込まれた記憶を再生する。
なにかの間違いとか、勘違いじゃないかと期待して。
あっていた。
どう考えてもそうだった。
――あ……
自然と、言葉が出た。
言わざるを得なかった。
――最低だ。
するりとこぼれると、次から次へ。
――最低だ、最悪だ、この世の中で一番、誰よりも最悪だ、この家主。
だって、こんなの――
――家に、選択肢なんてないじゃないか……!
そのメモリーが提示してたのは、誘惑だった。
魔女よりもずっと悪魔じみた。
――くそ、こんなの、もう、本当に最悪だ……!
それは、たぶん希望じゃなかった。
絶望は絶望のままだった。
なにも変わらない、なにも変化しない。だけど――
『さて』
頭の中で家主への罵詈雑言を並び立ててる中、重々しいものが着地した。
ドラゴンだった。
とんでもない巨体、のはずだけど、あまりそうは思えない。
『かの魔女は、逝ったか。気の早いことだ。あれだけのものを見た以上、約束が破られたなどとは言うまい』
もしかしたら、その意思が、その魔力量の膨大さが、その姿を巨大に見せていたのかも知れない。
近くにあるドラゴンは、家本体と同じくらいの大きさに見えた。
『これは満足を得た。それは確かだ、だが確かめなければなるまい。その勇壮は認めよう、だが、これと真に戦う力を持つか否かを』
その言葉も、あまり耳に入らない。
家主から示されているのは単純だった。
もう一度、逢いたくないか。
あるいは、いままであったことは、間違いだったのか。
そう、問いかけられていた。
そんなの、迷うまでもなかった。
興味半分、だけど諦め半分というドラゴンの視線に見守られながら、家はひとつ呼吸をする。
手のひらに魔術を構築し、側頭部に打ち込む。今までできなかったことを、これからするために。そうして――
「家内記憶全燃焼機構、起動――」
ちゃんと声に出して、それを行った。
◇ ◇ ◇
燃える、記憶の一切が。
灼ける、思い出のすべてが。
引火し、他へと燃え移り、全メモリーが焼却される。
そうして、それは力になる。
「機構体を顕現」
溢れた力の域は、言葉として口にしたことが、即座に実現するくらい。
上方にて在る家に――光り燃えて力を回す機構そのものに、いくつもの鉄片がまとわりつく。
想定された最硬、あらゆる熱を退ける鋼鉄、それを纏う巨体の人の形になる。
かつての、願われた形。
巨大な戦う人の姿。
英雄体から意識の中心を移し、その視点にて見据える。
これがもっとも相応しい。
流す涙を見せることなく対峙できる。
家本体を中心に秒もかからず構築されたその大きさとしては、ドラゴンと同じくらい。
目線の高さが水平だった。
『ほぉ?』
片眉を上げる表情は、あんがい表情豊かだ。
『小癪な――』
小手調べとばかりに吐き出された冥い火球を、真正面からの拳で粉砕し、貫き、ドラゴンの頭部まで突き刺さる。
その一撃は「ガア!?」とドラゴンを驚きに呻かせた。
「舐めるな――」
それは、許せないくらいの、ぬるさだった。
「この身に、その程度の熱が通じるものか」
追撃の拳も直撃する。
胸元へと突き刺さり、ドラゴンの巨体を彼方まで水平に吹き飛ばした。
縦に回転しながら行くそれに、飛翔にて追いすがる。
背部に展開させた鋼鉄の翼がジェットを吹き出し、夜に白い線を引く。
手には凝縮させた剣を携え、幾度もそうしたように突き刺すが――
「く――」
『なるほど?』
くぐもった声で、ドラゴンが言った。
山肌を足場に着地し、牙で剣をがっちりと噛み止めていた。
剣先より白炎を放出するよりも先に、噛み砕かれた。
長く黒い爪が振り向かれ、機構体の表面に傷をつけ、数歩ばかり後方へと弾かれる。
『これの前に立つに相応しい敵だと認める――』
ドラゴンの両眼が更に朱く染まり、その口から冥炎光が照射された。
すべてを焼き尽くすであろう熱、けれど、その防ぎ方はもう理解している。
そもそも知恵とは、エネルギーを制御するためにこそあるのだから。
『なに!?』
全天全球全星の完全結界、円盤状の不完全版。
即効性という点ではこっちの方が優れている。
家主からの知識を連結されたことで使用が可能になった。
そう、知っていることであれば、実現できる。
今のこの身は、そうなっている。
その代わりというように、燃える。
窓際からアイドルと家の、その歌う様子を眺めている記憶が。
遠くからでもわかる、その輝きに感心し、けれど『私』は本当なのかと思う。
私にとって、本当にただキレイなものだった。
それに憧れることはないが、ああ確かに――
家主のそれに同期して、家と呼ばれた存在がたしかに到達したと思えた踊りが、歌が、全力のパフォーマンスの記憶の一切が焼却される。本当にかすかにしか残っていなかった実感までもが、消えて失せる。
代わりに、力となって完全結界の構成をより強固にする。
いかなる熱にも耐えうるものと化す。
長い長い吐焔の一切が届かない。届くわけがない。
より強く吐き出されたそれを含めて完全に耐えきった。
『ハ――』
吐き終えたドラゴンが目を見開き、牙をむき出しにした。
『ハ、は、ハ、ㇵ、は、ハ、ハ!』
一音一音、区切るような哄笑。
笑い上戸が、長い長い時を開けて、ようやくまた笑えたような。
『なるほど! あの魔女は正しかったか!』
背後の遠くから、声が聞こえる。
誰かが大声で避難指示をしていた。
どこかで聞いたような声、けれど、そんなものにかまっている暇はない。
『これが全力を出せるときが、ようやく来たのだ!』
ドラゴンが、その全身の鱗を歓喜に逆立てた。




