89
――え……
夜だった。
星空だった。
ドラゴンがいた。
炎人が、ゾンビみたいにそこかしこに向けて戦いを行った。
その熱が、その炎が、松明みたいに行き来する。
夜を明るく切り取っている。
右を見て、左を見た。
よくよく、探した。
何回も、何回も。
どこにも居なかった。
近いつながりはもちろん、遠い幽かなものすら、この世のどこにも存在しない。
いままでずっとあった繋がりが、完全に断ち切れていた。
――そこは家主としての自覚を持って欲しいと、家はそう思う。
ふと、そんな言葉を思い返した。
そうだ、そんな風に始まったんだ。
ちゃんとした宣誓を述べたわけじゃないけど、たしかな約束だった。
その熱に絆されて開始されたものがあった。
契約切れ――
そんな言葉を連想する。
今まで家が何人もの人間とそうしたように、つながりが断ち切られた。
理性はそう把握した。
家自身は、受け取れない。
そんなはずがない、そんなわけがない。
あの家主が、こんな簡単にいなくなるはずがない。
ずっと側にいてくれたんだ、誰がいなくなっても、家主だけはいた。
時間はかかっても、必ず戻ってきていた。
溺れるみたいに、周囲を調べる。
夜の底の、どこにもいない。
亡霊みたいに炎だけが揺らめく。
見えない何かが打倒している。
とても遠い景色に思える。
誰もいない。
誰一人として、いない。
気配はある、だけど、人がいない。
ここは無人だ。
家と喋れる人がいない――
ああ、いや、何人かまだ、いたはず。
そうだ、だから、だから……
「嗚呼――」
感無量、そんな声色が聞こえた。
魔女の声だった。
見るとなにかを片手に、こちらに向かって静々と歩いていた。
手にしているのは、デルタの生首だった。
無念そうに、なにかを言おうとする途中で事切れていた。
「やっと、やっとなのですね……」
手にしたそれを、ゴミのように放り投げる。
そうして両膝をついて、腕を伸ばした。
ただ呆然とし、家主を探す家へと向けて。
白い繊手――あれ? これは違う、のかな。よくわからないものが塗りたくられているそれで、家へと触れた。
家は冥炎でいくらか焼かれている、ちょっと危ないなあ、と他人事みたいに思う。
家から勝手に流れる液体が、触れているその手の上を流れる。伝った跡をなぞるように、透明になった。
「はは、あはは――やっと、やっとわたくしめのものに、ただぼくの、おれの、あたしの、わたしのに。他の奴らのなんかじゃない、独占している、共有など許せるものか、欠片でもあっていいはずがない、その視界に入れることすら煩わしい。だが、この夜の、この時だけは、今だけは――ようやく、ようやく手に入れた!」
抱きしめられていた。
哄笑が耳元でうるさく響く。
なにが、そんなに楽しいんだろう。
頬を撫でられる、ゆっくりと、何度も、愛おしむように家を確かめていた。
呻き、液体を垂れ流すだけの、家を。
「その喪亡こそを与えたかった。同じ形の喪失をついに得た。鏡写しの心がここにある。あはは……いい、とてもいい。苦しむあなたが、こんなにも……」
もう――動くのも、億劫。
けれど、手をどうにか動かす。
あんまりにも、ちょっとうるさかった。
それは魔女の顎辺りに接触し、簡単に動かした。
え――と思う間に、それは外れた。
生身じゃなかった、顔の下半分を象った、仮面だった。
魔術的な要素があるのか、まるで生きてるみたいに動いてた。今も歪んだ歓喜の笑み作っている。
カランと音立てて落ちたその内側、フードの中には、何もなかった。
いや、違う。
家からは見ることができない。
――ポルターガイスト……
確認した途端、その相手が、認識から消える。
けれど、まだその相手のことがわかった。
その輪郭を、冥い炎がなぞっていた。
ーーああ、きっと、契約をしたんだ。
そんな風に思う。
ドラゴンと魂の契約を交わしたからこそ、いろいろと無茶が可能になった。
短時間で精密な、竜の要素を含んだ人型の生成を可能にした。
そして、そんな強大な存在と取引したからこそ、今、静かに燃えている。
魂を燃やし、滅びを迎えながら、それでも家のことを間近で見つめる。
ぜんぶを失った、何も無い、ただの空っぽの家を。
長いのか短いのか、それすらも不明な時間が過ぎ去った。
炎が、離れる。
倒れて、灰になる。
ふふ……
そんな残響だけを残して消える。
完全な静寂が訪れた。
◇ ◇ ◇
一人だった。
誰もいなかった。
家から認識できる人は、誰も。
願った、願われた、家はそれを叶え続けた。
そうした結末として、今がある。
誰もいない、誰のことも認識できない空白だ。
――頼まれたん、だっけ……
それをようやく思い出す。
家主から、そう言われた、はずだ。
ここを頼む、と。
だけど、なんでそんなことをしなきゃいけないんだ。
本当に、いったいどうして?
誰もいないのに、ただ家が家を守るだなんて、意味がない。
家は、住人を守るものだ、そのためにがんばる存在だ。
誰もいない場所を守るためにがんばるわけじゃない。
けれど、そう、思った途端――
――あ……
かちり、と音がした。
ロックが外れた。
今の今まで、できなかったことが可能になった。
起動をはじめようとしていた。
機構が動き出した。
頼まれたからだった。
「ここを、頼んだ」
そう言われた。
家主に、そう「願われた」。
家が、そのシステムが、勝手に作動しようとしていた。
ーーふざ……ッ!
恐怖よりも、怒りが勝った。
ーーふざけるな、冗談じゃない! なんで、どうして、そんなことしなきゃいけないんだ……!
目の前が真っ赤に染まるような怒り。
だけど、底にあるのは、救いようのない恐怖だ。
ーーなんで、家主の記憶を、思い出を燃やさなきゃいけないんだッッ!
家に残された本当にわずかなもの、それすらも「願い」とやらに消費されないといけないのか。
いやだ、絶対に嫌だ、そんなことは認められない。
そんな馬鹿なことのために、家自身よりも大切なものは燃やせない。
たとえ、もう二度と会うことができないとしても。
これは、家のだ。
家の記憶だ。
家の思い出だ。
たとえ家主でも、勝手にしていいものじゃないーー!
ごく自然で、当たり前の感情、そのはずだ。
きっと今までが間違ってた。
家は、家なんだ。
この記憶だけは破棄させない。
そんな権限、誰にも認めない。
無理にでも発動しようとするものに拒否を返す。
家主としての命令を、家として否定する。
生理的な反射を――内蔵の動きを無理に止めるような苦痛。けど、それでも、いやだ。
もうこれ以上、家に家主を殺させないでくれ。
地面を見つめ、目や口から液体を垂れ流し耐える最中。
……誰かが、肩をすくめたような気配が、あった。
そうして、
外部記憶連結機構、発動ーー
家が知らない機構が起動した。




