65 エピローグあるいは永久に変わらないもの
「何かについて憶えておくことは、案外難しい。少なくとも、のんべんだらりと日々を過ごして、記憶していられることは限られる」
どこからか、声がしていた。
「それがよっぽど好きか。嫌いだが必要か。それともなければ周囲がそうなっているから憶えるか。まあ、そのくらいか?」
はは、と乾いた笑い声がした。
「オマエは、三つ全部だ、一目見た王子に惚れ込み、クソみてえな環境に耐えるために必要とし、そしてそれが日常になった。オマエの記憶は、それだけで埋め尽くされていた。それだけの熱意であの家に語り続けた。だからこそ、幻の人間が具現化するなんて無茶まで起きた」
ああ、この声は、家主か。
でもどうして……
「そうだ、何かについて憶えておくことは難しい。それが好きでも嫌いでも必要でも周りにもねえとなると、まあ、だいたい忘れる。よっぽどシンプルじゃねえと無理だ」
ふん、と鼻を鳴らした。
「みんなを苦しめた悪魔がいた。
これをどっかの家が作り出した「幻」が退治した。
しかし、この悪魔は復活し「幻」を倒した。
その際に、一般の騎士を取り込んだらしい。
だが結局は、この悪魔は、前騎士団長が退治した――」
ケッと不愉快そうに。
「こんな複雑を、偉くてふんぞり返ってる奴らは受け取らねえ。そんな面倒なことはしねえ。単純に最後の部分だけを受け取る。つまり――
みんなを苦しめた悪魔は、最高の騎士が打ち倒しましたとさ、めでたしめでたし。
そんな単純に落とし込む。それ以外の情報? なんでそんなもんを憶えておく必要がある? そんな面倒なことはしない。家の危険性? 戦力として脅威? だが結局、あの悪魔を倒したのは騎士団長だ、問題ない、って話になるわけだ」
足音がする、近づく音がしていた。
「お前が命がけで作り出したのは、そのシンプルだ。それがなきゃ、どうなってただろうな」
近づく音がした。
真面目に、おそらく頭を下げながら。
「感謝する。私達は助けられた」
そう言われた。
その言葉で、ようやくボクは目を覚ました。
◇ ◇ ◇
「あ――」
目を覚ますといたのは、あの家の内部にある集中治療室だった。
ボクは全身をガチガチに固められて、身動きがほとんどできない。特に左腕付近は、まったく感覚もないしピクリとも動かない。
前に見た憶えがあるような天井を見つめる。
「ボクは、生きてる……?」
「あのな……感謝はしたいんだが、それはそれとしてぶん殴るぞ、おい」
家主が、直ぐ側にいた。
事態が理解できない。
たしかに終わったはず、相打ちのような形で決着がついたはずなのに。
「なに週一ペースで手術必須の大怪我してんだよ。お陰で私はここ数日間かかりっきりだった。まあ、ガチで助けられたことは確かなんだがな」
「え、どうして……」
どさりと家主は横の椅子に座った。
よく見ればその目の下には濃いクマが出来ている。
「あの釘を使って作成した広間があったな、あれを起点に空間繋げてオマエを引っ張り込んで、そのまま手術した」
「……簡単に言うけど、それってかなりの無茶では?」
「知らね。可能だからやった」
相変わらず、ここは無茶苦茶だった。
道理もなにも知らないように、やりたいことだけを、欲するままにしていた。
「……完全に、致命傷だと思ったんだけど」
「あの前団長だっけか? いい腕してんな、重要箇所をすり抜けるような刺突だった。それでもまあ、ギリギリだったけどな」
全身は、なんだかふわふわしていた。
おそらくは麻酔がかかっている。うまく身体を動かすこともできなかった。
頭だけはどうにか動かせる。
周囲を見渡すこともできた。
他に人がいないことを確かめてから、睨みつけた。
「家主」
「なんだ」
「あの祭りだけは、無かった」
「あー、まあ、な?」
な? じゃない。
「祭り、つっても、目的がねえままだったんだよ。神を祭るためですらないお祭りだ、いまいちノリとして寒かった。オマエのお陰でその目的ができた、騒ぐ理由が与えられた、どんなトラップがあろうと消し飛ばすほどの大盛況だったぜ!」
「いい笑顔でなにを言ってる……」
親指をグッと立てるな。
いや、まあ、仕方が無かったことは確かだけど、今ひとつ納得ができない。
身体がちゃんと治ったら、感謝とは別に一発殴るくらいのことは許されるとは思う。
ボクも怪我連続を理由に殴られてもいい。
「ああ、そういえば魔女の声を聞いた」
「は?」
「この家は観察されているかもしれない、ボクみたいな関係者すら見ていた。ダシにされたのは気に食わないが、たしかに目的ある祭りは必要った、それは認める」
家主は、いままでで一番嫌そうな顔をしていた。
よっぽどそりが合わないようだ。
その顔に向けてボクは言う。
「ひとつ頼みがある」
「なんだ、どんな呪いをかけられた」
「いや、そういうのは無いと思う」
ボクは、自由が効かない身体をどうにか起こす。
座った姿勢になることすら、多大な苦労があった。
「おい、あんまり無理は――」
「あの家の子を、呼んで欲しい」
「……別にいいけどよ、わかってるか?」
「もうボクのことはわからない、いないもの扱いされる、それは理解してる」
ボクは皮肉に口の端を歪め。
「ただ、決着はつけたい」
◇ ◇ ◇
やったことそのものは、後悔していない。
それでも、思うところがある。
本物の王子と、ボクが思い描いて作り出した王子様は似ても似つかなかった。
徹頭徹尾、全部が幻で、だけど、その幻は「願い」により実体化した。
現実の存在として現れて、悪魔を打ち払った。
それは、家や寮生を危険に晒す行為に繋がったけど、行動そのものは決して悪じゃない。政治的な事情、諸々の力関係を把握した上で悪魔退治をしろと要求するのは、あまりに無茶だ。
そう、そうだ。『彼』は、決して悪くない。
ボクら側の事情で勝手に呼び出して、勝手に殺した。
――家主、どしたの?
「ちょっとな」
待ち受ける最中、いつものようにトコトコと、自然に入った。
その顔形は、あの王子そのもので、けれど浮かんでいる表情はまったく違う。
そして、ボクの方はまったく見ない。
空の手術台だとしか、受け取っていない。
家の子にとって、ボクはもう存在していない。
あの幻の相手の時のように、悪魔の力が間に介在していない以上、なんの伝達もされない。
「ごめん」
それでも、そこに『彼』がいると、ボクにとっての王子様がいると思い、話しかけた。
「君に酷いことを言った、酷いことをした、謝って許されるとは思わない。ボクは、君よりもこの家を、ここに住む人々を選んだ。彼らを助けるために、君を殺した。本当に、すまない」
こんなの、自分勝手に過ぎる。
自己満足以外の何物でもない。
それでも、心底から頭を下げる。そうせざるを得なかった。
可能ならばこの素っ首を刈っても構わない気持ちで、深々と頭を垂れる。
かすかに、息を吸い込む音がし――
「気にするな、友よ」
声がした。
聞いた声だった。
床に向けた目を見開き、すぐさま顔を上げる。
キョトンとした顔の家と、家主がいた。
それは、この場でなにも起きていないことを示していた。
「え」
だが、
たしかに、聞いた。
たしかに、聞こえた。
ボクが、間違えるはずがない。
――どしたの?
この声ではなかった。
あの声は――
覚えている光景が、溢れ返った。
忘れられない記憶だ。
最初の、掲示板での出逢い。
最後の、後悔に満ちた顔。
すべて一つ残らず憶えている。
家の内に残ってなくても、ボクの内にはある。
元々は、そこにしかいなかった。
「ああ……」
彼の顔を、声を、仕草を、そのあり方。
すべての思い出が、刻み込まれている。
そして、『彼』は受け入れた。
ボクが勝手な理由で殺したことすら。
「なんて、酷い……」
聞いた声は、本当にただ幻だったのかもしれない。
ボクの内部から響いた幻聴でしか無かったのかもしれない。
だが、それでも、もう忘れられなくなった。
この恋は、叶えられない。
けれど永久に残り続ける。
たった今、そう決定された。
六章 了
あるいは、家と寮生のために、初恋を殺した話




