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家での日々は、本当に悪くなかった。
嘘だ、最高だった。
これ以上を望むのは完全に罰当たりだ。
だけど、それでも奥底にこびり付いたものは落ちてはくれなかった。
ボクはこの場所にふさわしくないという想いが、消えなかった。
周囲の人々を見渡せば、ここでは誰もが望みを持っていた。
誰もが胸に目標を掲げていた。
それがないと、ここにいてはいけない――
当時のボクはそう思い込んだ。
たぶん、問題児として放り込まれた以上は無くても構わなかったはずだ。
けど、「かもしれない」だけでも、背筋が凍るほどの恐怖だった。
あの都では、自宅のベッドの中でしか得られなかったものが、どれだけ歩いてもまだ続いている。
裏のない笑顔で笑いかけてくれる。
病気になったら看病までされる。
こんな馬鹿な幸せが、いつまでも続くわけがなかった。
そんなことはありえなかった。
不意に誰かがボクの肩を叩き「もういいね、十分だろう?」、そう言うに違いなかった。
殊更に王子様について、その素晴らしさや助けに行くのだと主張していた部分が、きっとあった。
必要のない媚びへつらいをしていた。
そうしている内に、実際の男の子がどういうものをかを観察する内に、その素晴らしさについて発見した部分がないわけではないけど、まあ、それはそれとして。
対応する彼らの「変わらなさ」が、その時間の継続の長さが、ボクに実感をくれた。
どうやら、ボクはこの家に居てもいい。
あのクソ貴族の指示で騎士団へ入る頃には、もうある程度の傷は癒えていた。
人間として、少しは成長ができた。
周囲の人からの評価は違ったかもしれないが、ボクからすれば長足の進歩だ。なにせ、あのまま都にいれば良くてアサシン、悪ければ性病を山程抱えた娼婦、普通なら野垂れ死にだ。
だからこそ、あのクソ貴族からこの家を守りたいと思った。
彼らは、この家そのものに直接攻撃はしなくても、元寮生をランダムに惨殺するくらいのことはやる。
ボクを思い通りに動かすため、それくらいのことは絶対する。
ゴミを捨てることで、別のゴミを少しはマシにするのだから「良いことをした」とすら思う。
なんとしてでも、握りつぶされないだけの情報を得る必要があった。
犯罪の証拠などではない、彼らが敵対貴族に渡したくない情報が必要だ。
そのためなら、どれだけ下に見られようが構わない。
盗賊騎士? 上等だ。それに頼らなきゃいけない奴らの、面の皮の厚さこそが滑稽だ。
衛兵騎士としても活動をした。
街中を巡り、あるいは近隣の村やダンジョンへと赴いた。
そうして、ボクの味わったことは、それほど珍しくもないものなのだと知った。
ごくありふれた悲劇だった。
むしろボクは、望外に幸運だった。
都で死体を目撃しない日はない。
その犯人が捕まることはめったにない。
その死体がどれほど酷い有様だろうと、騎士団に協力をしようというものはいない。
村は当たり前のように被害に遭う。
モンスターに、盗賊に、あるいは自然現象に苛まれる。
数ヶ月後に訪れた際、見た顔が減っているのはよくあることだった。
ダンジョン内における戦闘は暗闇の中が基本だ。
隣にいる人間に全幅の信頼を置かなければいけない。
ボク自身がその信頼される奴にならなければならない。
ここでの無能は数人の騎士の死をもたらし、村々に対する数十人の被害をもたらす。百の言い訳は必要ない、なんの価値もない、臆病者の逃走は万死に値する。
王子様の出番なんて、どこにもなかった。
彼が助ける側じゃない。
ボクが助け出す側だ。
そうでなければならない。
もし、本当に、ボクが思い描いた通りの王子様がいるのなら、
どうして、ボクを助けてくれなかった。
どうして、彼らを助けてあげなかった。
見過ごした悲劇の重さは、もうとっくに閾値を越えている。
王子という存在は、ボクに助けられるものでなければならない。
かろうじてそれで許される。
仕方がなかったと、そう思える。
もし気軽に悪魔を打ち倒すようなら、そんな馬鹿げた力があるのなら、それはボクの生き様の全否定だ。
そんな幻は、あってはならない。
◇ ◇ ◇
剣に込めた黒い魔力を全力でぶつける。
王子の白い力が拮抗し、たやすく弾いた。
「あああああぁあああああああ!!!!!!」
吠える、吠える、咆哮する。
頭にはあの日の、下水で震えた日々が蘇る。
目を見開いたまま事切れた、腹を食いちぎられた子供が思い浮かぶ。
なにをしていた。
一体、おまえはなにをしていた。
黒い蹴撃を振り抜いた。
直撃して吹き飛ばしたが、空中で立て直し、当たり前のように着地した。
追撃をすべく走り出す。
ああ、そうだ、これは八つ当たりだ。
彼に責任なんてありはしない。
だが、英雄がいるのなら、誰もが臨む王子様がいるのなら、呪わずにはいられない。
皮肉な話だ。ボクの「願い」はボクの生き方の全否定だ。
「友よ!」
悲嘆に満ちた顔で、彼は言う。
「なぜ、そのような姿に。どうして堕ちた!」
その正しさすら、今のボクには腹立たしい。
お前のそれは、決して誰も救えない。




