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子供の頃から、彼が隣にいればと願った。
そうすれば、何もかもが上手くいくと。
それまでとまったく違う場所に放り込まれて、ひとりきりで、おっかない大人や妙に絡んでくる顔に傷ある人を相手にしても、きっと毅然とした態度を取れた。
情けなくべそかいて縮こまっているばかりじゃない、思う通りにどこまでも行ける。
ボクにとって憧れで、自由そのもので、生きる意味ですらあった。
父が男娼まがいのことをしていたのは知っていた。
その関係で、ボク自身ですら売られそうになった。
酷い言葉を浴びせかけられ続けた。
断られた客からはもちろん、周囲の冒険者達からもだ。
ああ、たしかにここは冒険をするための場所だ、ボクらは場違いだ。だが、だからと言って、他にどこに行けと言うんだ。
盗賊の技術を習ったのは、王子様を助けに行くため、それも本当だ。
だけど、理由の大半は自衛のためだった。
身体的な意味だけじゃない、「子供の方は本気で冒険者をするつもりらしい」と示す必要があった。
敵では無いのだと、媚びて阿るような行動だった。
実際、それで風当たりはそうとう弱まった。
彼なら、王子様なら、どうしていただろう――
何度もそんなことを考えた。
きっと、ボクとは違う方法を選んだに違いない。
それがどれだけ非現実的で、無茶苦茶なものでも、彼はやり遂げてしまう。
こんな情けない気持ちになんてならなかった。
冒険者の中にある程度は溶け込めた一方で、街の子たちとは徹底的な軋轢を生じさせた。
彼らからしたら、ボクは異形だった。
あってはならないものだった。
冒険者という一攫千金の夢と、身体を売るという彼らにとっての身近が同じ位置にいる。
それは、夢への裏切りだ。
憧れを汚す行為だ。
当人には手が出せないが、その子供ならいいはずだ、同じく半端な裏切りものだ、同罪だ、許してはならないものだ……
きっと、そんな風に考えた。
冒険者ギルドから自宅への道のりが、一番の生命の危機だった。
盗賊系の技術を習う時期が遅れていたらと思うと、ゾッとする。
歯抜けで右足をなくし、事あるごとにボクのお小遣いを盗んだ、いや、本人に言わせれば「いつの間にか手にあった」と述べるあの太った盗賊に感謝はできないが、それでもその技術と心構えだけはたしかに助かった。
棍棒やナイフを手にした子供の集団は、ゴブリンの群れと変わらない。
同じ子供のボクであれば、あっという間に蹂躙される。
戦うなんて、無理だ。
逃げるしかなかった。
石畳を駆け抜け、塀を越えて、下水に入り、ガタガタと震えたボクはこの世でもっとも情けない生き物だった。
怖かった。ただひたすらに怖かった。
王子様に助けをうわ言のように求めた。
当たり前のように、応える声なんてなかった。
臭い下水の音だけがしていた。
けど、その沈黙で、何の返事もない現実のお陰で、ボクは自覚できた。
この世にいるのは、ボクだけだ。ボクを助けられるのも、ボク自身だ。
やられっぱなしになるわけにはいかない――
決意して、反撃をした。
一人ずつ狙いを定めて、徹底的に叩いた。
ほんの少ししか襲撃者たちの姿は確認できなかったから、中には無関係の相手もいただろうけど、仕方ない。
ボクは、ただ怖かった。
正義を掲げて、ボクを敵として認定し、熱狂する彼らは最悪のクズだった。
なんせ、集団でボクを襲って売っぱらおうと計画してたくらいだ。そうなっているのが当然だから、親切な彼らがそうしてくれるらしい。
父が、ボクをあの家へと放逐したのは、当然ではあった。
なにせ、襲撃首謀者を昏睡させて、白タイツを履かせて身綺麗にさせたその前で、ボクは抜身のナイフを振り上げていたんだから。
振り返って父を見たボクの顔は、きっと酷いものだった。
あと十秒も遅ければ、振り下ろしていた、そうすれば何もかもが違った。
そこからの、放り込まれたあの家での日々は、正直、悪いものじゃなかった。
ただ、違和感みたいなものはずっとあった。
ずっとずっとボクを苛み続けた悪意が、不意になくなった。
それに全力で対抗するのが日常だったのに、支えといったらおかしいが、「当然あってしかるべきもの」が消えてしまった。
夢について聞かれ、王子様について、ボクの憧れについて全力で喋っていたのが、馬鹿みたいじゃないか。
ああ、そうだ、最初の面談の時、ボクの夢について聞かされた家の子と家主は、どう思っていたんだろう。
近所の子供を誘惑して殺そうとした奴が、ヘタクソな絵を見せつけながらベラベラと「その王子様がいかにすごいか」を語り続けていたんだ。
きっと目つきもおかしかったはずだ。現実を見据えてなかった。
現実から逃げ出すか、現実を叩き潰すかの二択しか、あの時のボクにはなかった。
そんなクレイジーな奴を、けれど、あの家は当然みたいに受け入れた。
家族以外の誰かから受け入れられるという経験を、ボクは生まれてはじめてした。
無条件に、当たり前に、対価の支払いもなしに、行動による義務を果たすこともなしに、そこに居ていいと言われた。
どうやら、この世は敵ばかりじゃないらしいと、ようやくボクは知った。
呼吸という活動が可能になった、そんな気分だった。
ここでは、息を潜めて敵の出方を伺わなくてもいいらしい。
天国かと思えた。
ボクはあの家で、ようやく子供になることができた。




