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暗い、暗い、暗い。
何も見えない。
なにもわからない。
ヴィガーラが指を鳴らし、手を横に振る――ただその動作で、その暗闇が訪れた。
熱狂の熱すべてが完全に冷めてしまうような暗さだった。
ボク自身のわずかな輪郭を除いて、一切が夜闇に沈んでいる。
かすかに、遠くから祭り囃子の音だけが聞こえた。
それもはるか彼方の出来事のよう。
祭り会場から遠く離れてしまった。
「魔に属している俺は、己の性質を広げることができる。肉体的な制約よりも、精神的な性質を強く持つからこその『魔』だ。お前たち人間は、これを悪魔と定義した、なら、それが明るいはずもないよなあ」
巨大な口が、ニィィぃと笑う。
無理やり引き伸ばした笑顔。
歪な亀裂のようなそれだけが、晦冥の中で浮かぶ。
「この場所でこそ、俺は俺を取り戻せる」
言って、口が閉じられた。
それで完全に暗闇へと閉じ込められる。
自然と身体が震えた。
鼻が嫌なにおいを嗅いだ。
獣臭だった。
獣がいた。
原始的な、闇夜へのおそれがあった。
「――さあ、夜をはじめよう」
「ぐおっ?!」
「団長!?」
打撃音と驚き混じりの声がした。
何度か床を転げるような音も。
「だ、大丈夫だ!」
「カッカッカッ、分からねえだろ、気づかなかったろ、お前らはここではただの獲物だ。俺に狩られて喰われて骨だけ残して飾られるだけの、哀れで滑稽な敗残者だ」
見えない、わからない、気づかない。
攻撃された直後しか、その攻撃を捉えられない。
気配ですら、感知できない。
だから、その悪寒は、身体のいかなる感覚にも由来していなかった。
ただ恐怖だけが無根拠に発生した。
それに全力で従い地面へと転がり――直後、ざり、という音と痛みを体感する。
「おお、いいカンしてんな?」
二回三回と転がりながらも震えが止まらない
耳の直ぐ側で、牙を噛み合わさった音がしていた。
体勢を立て直し、中腰で首に触れるとぬるりとしたものがあった。
血だ。
掠っていた。
その牙が。
やばい――
それだけは、痛いほどわかった。
この敵は、盗賊の最上位に近い。
多少なりともその技術を持つからこそ理解できる。
相手が注意を払わない地点こそ、もっとも隙が多い。
剣豪だろうと魔術師だろうとたやすく殺せる。
その状態を、この悪魔は自力で作り出せる。
獣の威力と速度で、真正面から不意打ちを行う。
「く――」
ボクはわずかに残った『力』をかき集めた。
白い魔力がわずかに発光するけど、あまりに頼りない。
視界範囲はないに等しい。
「あたしは――」
「アライダ?」
そのわずかな光が、彼女の横顔が照らした。
「もう完全に取り残されたと思った、もう一人しかいないと。でも、そうじゃないなら、あんな奴でもいるなら、我慢するよ。うん、最後にちゃんと話せたしね……」
「なにを言って――?」
息を吸い込む動作。
大声を出す前兆。
させないとばかりに、疾走音と生々しくめり込む音がした。
牙が、肉を食んだ音だった。
わずかな視界の中に、アライダの腕に巨大な獣が噛んだ様があった。
見えるだけで三つの牙持つ口腔が喰んでいた。
いくつものあぎとを持つ巨大な獣がそこにいた。
悲鳴も、苦痛も漏らさず、それでも叫んだ。
「あたしは願う!」
気高く、けれど勇気をもって――
「失恋祭りにさらなる力を!」
「待てぇえッ!」
思わず叫んだ。
◇ ◇ ◇
悪魔が根城にするダンジョン内部、そこにいくつもの光が灯った。
放置されていた神輿が、モニターが、バラバラになった木が輪郭をぼうと蛍光を発した。
失われた、消えて去った騒ぎが舞い戻る。
失恋祭りだワッショイワッショイ!の馬鹿みたいな囃子が、困ったことにありがたい。
モニターの一つが点灯する。
家の子の、目を閉じた顔が映る。
接続が悪いノイズ混じりの映像。
眠る様子を間近で撮影したような姿は、誰かを思わせた。
「――!」
直感なのかわからない。
あるいはそれが当然だと思えたからか。
ボクはそのモニター前で剣を振った。
かすかに残る白い灯火が獣の突進に直撃する。
「俺の邪魔を、するなああッ!」
「祭りを再開されるボクの身にもなれッ!」
「知ったことか!?」
背後から、夢見るように言葉が漏れる。
――記憶燃焼機構、追焼。
途端、煌めきが弾けた。
冥闇の世界を強い光が切り裂いた。
いくつも灯るモニターが吠えるように白光を吐き出し、あちこちをスポットライトのように照らし出す。
「俺のこれすら――魔魄法すら照らすつもりかぁッ!」
頬を裂かれた巨大な獣がうっすらと見えた。
全体としては大猿に近いが、あちらこちらから狼の牙が突き出ている異形だ。
悪魔そのものの姿に反発するように、背後から。
「いま行く、友よ」
聞いたことがない声がした。
知らない人の、憶えのない響きだった。
だけど、背後から――モニターの中から囁かれたその声を、たしかに知っていた。
「え――」
思わず見た背後、モニターには家の子から二重写しになるように、よく似た別の人が出ようとしていた。
幾度も夢見た姿、思い描いた通りの、そのままの人が、家から分離する。
そこに、王子様がいた。
目を開き、何もない空中をまっすぐ駆け出す。
髪を靡かせ、手にレイピアを握り、エメラルドの瞳は絶望なんて知らないように澄んでいて。
走る速度をいっさい緩めず、ついにはモニターすらも飛び越え、手にしたレイピアで悪魔を吹き飛ばした。




