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「え」


その言葉の意味を、ボクは即座には理解できなかった。

「できない」ならわかる。

どこか知らない間に願いを言い、今はもうそれが不可能になったのならわかる。

ただ賭けに負けたと受け入れる。

けど、「やりたくない」は意味がわからない。


「なにを言って――」

「今は王国歴何年だ! あ、あたしがここに閉じ込められて、ど、どれだけたった……!?」


そこにいたのは、英雄じゃなかった。


「百年以上が経ったのは知ってる、ひょっとしたら二百年以上か。もういない、誰もいない、一人もいない、ああ、そうだ、もう誰もいない……!」


髪の毛を掻き毟り、血走った目で周囲を――「家の様子」を見渡す。


「あたしが生き残って戻っても、あ、あたしを知っているのは、この家の子供しかいない……本当にあの子だけしかいない!」


涙を流し、嗚咽を漏らしながら、救いを求めるように。


「ああ、あたしは酷いことを言ってる、酷いことをしようとしてる、馬鹿で間抜けで阿呆のクズだ。最悪だ。だ、だけど、ここで助かっても、それを選んだら、その「願い」を言ったら、もう誰も、誰一人として、あたしが生きて帰ることを喜ばない、誰もあたしをあたしだと認識しない! この長い長い苦しみを耐えられた理由は、それしかなかったのにッ!」


討伐不可能とされたモンスターへの挑戦者ではなく、迷い子でしかなかった。


まずい――

確信に似た想いがよぎる。


その恐れを、孤独を、解決する方法が思いつかない。


他の、影法師に囚われている寮生を助けることに注力するか?

否、彼らは「この叫びをもう聞いてしまった」。その損があることを認識した。

その上で、やる人がいるか?

アライダ・イディッシュだけが、祝福され、良かったと褒め称えられるのを良しとするか。


ボクなら御免だ。

ただの損なら受け入れても、泣きわめく奴の尻拭いなんか絶対に嫌だ。

自分以外の誰かがやれと思う。


まずい、本当にまずい、ここまで来たのに……!


「カッカッカッカ――」


低くヴィガーラが笑う。

いや、嘲笑う。


「ビビらせてくれる……いやあ、惜しかったなあ?」


半ば幻影、半ば実体化した家の広間から、悪魔はいつの間にか抜け出ていた。

半透明な家の外側から皮肉に唇を釣り上げていた。


「まったくもって教訓になったわ、油断すれば負けるもんだな、悪魔だからと調子に乗りすぎた。反省だ」


そこに身体があれば全身から冷や汗を流していた。

手袋が小刻みにふるえている。

その恐怖を隠すだけの余裕もなかった。


「お礼をしようか。お前、誰か目的の奴がいたな、開放してやろうか?」

「それ、は――」

「最初に見ていたのはこの付近か? ハハ、俺が人間に奉仕するなんざ滅多にないことだ」


そんなわけがなかった。

この悪魔の目的は、時間稼ぎた。

無駄な行動をさせることで、この『家』の顕現時間を越えようとしている。


実際、この悪魔は攻撃もしてこない。

内部の影法師が散発的に暴れているだけだ。

それだけ、この家を恐れてる。


こんな言葉は無視すべきだ。

別の対処法を考えろ。


でも、それでも、ボクの目線は自然と彼へと吸い寄せられた。

見る、という行動を止めることが出来なかった。


「ああ、この――」


笑う悪魔が、ぴたり、と止まった。

訝しむようにボクを窺う、その視線の行く末を確かめる。


「……」


ボクの視線と、その行き先を丹念に指差し確認していた。

何度も何度も往復する。


「ボクの目的は、間違いなくその彼だ」

「あー…………そう、なのか? 本当に? 勘違いじゃないのか? その隣だったりしないか?」

「くどいぞ、なんだその時間稼ぎ」

「いや……」


やけに真剣に、ボクの方に向き直りながら、


「まさかと思うが、その、この相手に?」


なぜか両手をワタワタと動かしてた。


「惚れている、子供の頃からずっとだ」

「開放、やめにしないか」

「は?」

「滅多にないどころか初めてのことだ、俺が人間に善意の忠告をするなんてな」

「はあ?」

「悪魔である以上、俺は嘘がつけん、お前に開放しようかと約束した。これは、その契約を破りかねない言葉だ。割とキツいペナルティがつく。ああ、そうか、これは俺自身のコレクションに対する矜持かもな、開示したくない収集品も中にはあるもんだ」

「ど、どういう意味だ」


声が震える。

悪魔が他に見せたくないって、それは――


「んー、いや、やっぱり違うな。これも間違いだ。どうして俺を滅ぼそうとしてる人間の気持ちを慮らなきゃいけないんだ。損した上にその加害者に優しくするのが悪魔か? それは違うよな。そうとも俺の恥はお前の恥だ、一緒に恥ずかしがろうぜ人間!」


指を鳴らし、ガラスの棺が弾けた。

時間が完全に止まっていたのか、自然な形で歩き出そうとしていた。


王子様そのものの優美な姿。

幻の広間越しではあるけど、はっきり見えた。


夢見るように閉じられたまぶたが開き、湖面のような瞳が現れる。

バラ色の頬がさらに上気し、その唇が、動いた。


「あー、オナニーしてー」


ボクの想像の中で、一度たりとて言ったことがない言葉だった。


「もう、ち○ちん爆発するって、やばいって、これもうレッツオナニーライフフェスティバルの開催だろ!」



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